「コーチ道リレーインタビュー」では、指導者の先達である方々、指導者として現在ご活躍の方々のインタビューをリレー形式でご紹介しています。今回のインタビューは、元プロ野球選手の荻野忠寛さんです。
千葉ロッテマリーンズのリリーフピッチャーとして活躍、日立製作所野球部を経て、現在、ご自身が考案した「スポーツセンシング」を学ぶスポーツセンシングアカデミーを運営、昨年からは社会人野球JFE東日本の投手コーチも務められています。
荻野さんが独学で生み出した「スポーツセンシング」とは何か、千葉ロッテ時代、ボビー・バレンタイン監督と小宮山悟さんからどのような影響を受けたか等、貴重なお話を3回にわたってご紹介します。
(2024年4月 インタビュアー:松場俊夫)
前編はこちらから↓
https://coach-do.com/interview/53-1/
日本の野球界においては、いちばん細かく教えないのはプロの世界なのではないかと思います。アマチュアや下のカテゴリーに行けば行くほどオーバーティーチングになりがちで、自分で考えて自分で答えを見つける、自分で課題を見つけるということができていないことが多いように感じます。本来は、学ぶ前にまず自分の課題を見つけることがスタートだと思うのですが、それすら誰かに言ってもらうのを待っているようなところがあります。
自分にはこんな課題がある、ならばそれに対してどのように解決しようかという思考が大事だと思うので、なるべく早い段階で、自分で自分を成長させる能力を身につけることが大事です。大谷翔平選手の高校時代のマンダラチャートを見ると、その頃にはすでに自分自身を成長させる高い能力を身につけていたことがわかります。おそらく彼は小中学生の頃から他の選手よりそうしたマインドが高かったのでしょう。自分自身を成長させる能力はより早く身につけた方が将来的なピークパフォーマンスは上げられると思います。
0から1の段階では大量に教える、1から先は教えないというのが私のスタンスです。0から1は気づきの部分なので気がつかなければその先はありません。だから気づきをあたえる必要があると考えています。現在社会人のピッチャーに対しても、例えば投球フォームですが、一番根本にある物理学と生理学のような説明しかしません。「ボールを投げるのに誰にとっても絶対に必要なことはこれだ、これを守れば故障も減るしパフォーマンスも上がる」といったことです。物事には原理原則がありますから、全員に当てはまる原理原則というものをまず理解するのが必要だと思います。
例えば「投げる」ことの原理原則というのは、足でより大きな力を生み出して、その力をなるべくロスを少なくしてボールに伝えるといったことです。その上で、野球は肩肘の故障のリスクが非常に高いので、そこの負担をなるべく減らしながらパフォーマンスを伸ばしていくのを目指します。
今指導しているJFE東日本には12人のピッチャーがいるのですが、足を負傷している選手が一人いるだけで、他の11人全員が投げられる状態にあります。これは社会人野球では珍しいことで、プロ野球でもチームに数人は肩や肘を故障していて投げられない選手がいると思います。根本に「幸せでなければいけない」という考え方があるので、怪我をさせないのが第一です。ですから安全管理の部分はどこのチームよりも徹底してやっていると思います。
私は、野球に限らず競技スポーツというのは、やめるまでフォームを追求し続けることだと考えています。トップの選手は全員そうしていると思います。大谷選手はバッティングもピッチングも年々フォームを変えています。陸上選手も同様です。スポーツ選手は上になればなるほど、少しでも効率的なフォームは何かを追求しなければならないと思うので、選手には野球をやめるまでフォームを追求し続けること、勉強し続けることが必要だと常に言っています。つまり、生涯学び続けるという習慣をつけることが大事だと思うのです。子どもたちに教えることがあるのですが、「勉強が好きな人は?」と質問してもほとんど手が上がらない。それではダメだという話をします。
今の日本のシステムの中では、高校や大学を卒業した時点で多くの人が勉強が終わったと考えてしまいます。本来は、学校を出て社会に出た時点で、そこが本当の勉強のスタートだと思うのです。学校というのは生涯学べる土台を作る場所なので、「こんなことをやっても仕方ない」と思うようなことがあったとしても満遍なく学ぶ場所です。でも社会に出たら、そこからは自分で学ぶことを見つけなければなりません。野球で食べていくと思うのなら、野球を勉強する。他の仕事ならその仕事についての学びをスタートさせる。そして探求していく。これが必要だと思うので、とにかく生涯学び続けられるマインド、習慣をなんとかつけてあげたいと思っています。
私は野球が好きですから、データなどどんどん進化している部分に少しでも乗り遅れないように努めています。データをとりながら様々なことが数値化できるようになっていますので、それらをうまく使いながら、さらなる知識を得ることによって、自分の気づきを変え、より新しい気づきや今まで創ったことのないイメージを創るように努力しています。新しい情報はネットでも調べられますが、やはり実際に見てみること、人に話を聞くことが大事です。そして自分で試してみる。自分でやってみるというのが最も重要なことだと思います。
私は基本的に教えてくださった方全員を参考にしていますが、特に大きな影響を受けたのは、千葉ロッテマリーンズにいた時のボビー・バレンタイン監督と当時現役のピッチャーだった小宮山悟さんです。
日本のスポーツ界では「チームのために」という考え方が主流で、私自身そういう場所で育ってきました。高校でも大学でも社会人でも、選手の身体が壊れようと勝てばいいというような考え方がありました。でもバレンタイン監督は真逆で、私は「チームがどんなに勝っても荻野の身体が壊れたら何の価値もない」とはっきり言われました。かなり衝撃を受けました。「今日はピッチング練習やりません」と言うと「グッドアイデアだ」、「今日は練習で投げます」と言うと「なぜだ。まずはコンディションだろ」と。練習をしないことが褒められることもありました。
その上で自分にわからないことは全て、小宮山さんが毎日ブルペンで教えてくれました。小宮山さんはバレンタイン監督の考え方を非常に深く理解していたので、私はブルペンで毎日勉強しながら試合をしていたようなものです。その経験は私にとって非常に大きいです。「神」みたいな時間を過ごし続けたということですね。お金を払ってもそこで学びたいという環境をいただきながら、そこで毎日野球ができ、学ぶことができたというのは私にとって非常に大きな財産です。
バレンタイン監督のベースには選手と家族が幸せにならなければいけないという考え方があったと思います。チームが勝つよりも選手と家族が大事だとはっきり言葉にしておっしゃっていました。優先順位が明確でしたね。スポーツの現場にいると、盲目的に「勝つことが全て」になりがちで、特に日本には「自分の身体、自分の個性を犠牲にしてでもチームのために」といった空気がありますが、バレンタイン監督の考えはそうではない。「一人の人格、個性、人権といったものが一番大事だ、幸せにならなくてはいけない」というものでした。それは当たり前のことだと私は思うのですが、そうした思考が失われてしまいます。勝って当たり前、勝たなければ監督はすぐにクビになるプロ野球においてでも、バレンタイン監督のようなやり方ができるのなら、アマチュアはなおさらそうでなくてはいけないという考えが私のベースにあります。
私が今指導しているJFE東日本のピッチャー陣には「JFE東日本ピッチャーの心得」という紙を渡してあります。その冒頭に書いてあるのが私のベースである「人権と尊厳」です。できる限り組織優先主義は排除しようとしています。組織優先主義は勝利至上主義とイコールであるように思います。チームの勝利のために個人を犠牲にしよう、勝つためには反則でも何でもする、個人の幸せよりもチームという考えは排除したいです。
「人権と尊厳」についてですが、「人権」は「幸せに生きる権利」です。自分の幸せを優先する、どうなるのが自分にとって幸せなのかを考えてそれを目指すことです。うまくなること、プロに行くことを幸せと考えるのならそれを目指せばよいのです。「尊厳」は「自分自身のことをまず大切にし、同じように周りの人を大切にする」ことです。この「人権と尊厳」が私の指導の本当のベースです。全ての選手が自身を大切にし、お互いを大切にしあいながらみんなで幸せを追求するというものです。ですから選手には、「まずは自分が幸せになるために行動しよう。だからといって人の幸せを阻害する権利はない」ということを頻繁に言っています。
逆に、幸せを感じないのはどんな時かを選手に考えてもらっています。その答えは大きくは三つに集約できるのではないかと思います。一つ目は「怪我や故障などで好きな野球ができない時」。これは私自身がプロ野球人生の後半は故障に苦しみプレーできない期間が長かったのでよくわかります。二つ目は「自由が奪われた時、自由が満たされていない時」。これは自分がやりたい練習ができない、やりたくない練習をしなくてはならない時などです。みんなそうだと思うのですが、自分が自由でないと幸せを感じることはできません。三つ目は「理想と現実がかけ離れている時」。こういうプレーがしたいのになかなかできない、こういう選手になりたいのにどうしてもなれない。プロ野球選手になりたいのになれない、といったことです。
選手が幸せを感じられない時というのは、ほぼこの三つに当てはまるので、これを排除する必要があります。まず、怪我や故障でプレーできないということに対しては、負荷のコントロールと投球数の管理を私が徹底的にします。安全管理は私のコーチとしての義務だから我慢してくれと選手に言っています。その分、すべての練習とトレーニングは選手が自分で決めます。理想と現実の乖離については、自分を成長させる能力、スポーツセンシングをうまく使いながら成長させていきたいと思っています。
ただ、このやり方をしていると言われるのが「チームワークがなくなるのではないか」ということです。ですがそれは単純にこちらの説明不足であったり、「人権と尊厳」の考え方が浸透できていないからなのではないかと思います。「人権と尊厳」は民主主義の国には必ずあって、様々な価値観や意見を持つ人たちみんなが幸せになるためにどうするかというものですから、これを深く理解することは全員がチームワークを発揮することにつながるわけです。
そこで重要になるのが、「人の幸せを阻害する権利はない」ということです。他人に怪我をさせない、他人の自由を奪わない、他人の成長を阻害しないことです。練習は自由にやってもいいのですが、自分がやる時に他人の邪魔をしてはいけない、自分が練習しないのは自由だが、練習したい選手を誘い込むのは絶対にだめだと言っています。また、他人の成長を絶対に阻害せずに、一緒に成長を目指すことも大事です。一生懸命やっている選手を冷やかしたり邪魔をしたりしない。そうしたことを徹底的に言っています。
人権と尊厳を深く理解してきちんと実践することはなかなか難しいと思いますが、選手たちが共に学びながら成長していけば自然にチームワークはできてくると思います。今のJFE東日本のピッチャー陣はチームワークがしっかりできています。選手たちは完全に自走し、教え合い、自分だけではなく他の選手もよくしようという姿勢で日々努力しています。(後編に続く)
(文:河崎美代子)
後編はこちらから↓
https://coach-do.com/interview/53-3/
◎荻野忠寛さんプロフィール
東京都町田市出身。
桜美林高校、神奈川大学、日立製作所を経て、2006年のドラフトにて千葉ロッテマリーンズから4巡目で指名。
リリーフピッチャーとして2007年から3年連続50試合登板。2008年には30セーブを記録。
2014年に退団。退団後、日立製作所野球部に復帰。2年間プレーし2016年をもって選手生活を終える。
現在は、「センス」を磨く指導者として小学生から大人まで幅広く指導に当たっている。
プロ野球生活の後半は怪我に苦しみ、5度の手術を経験したことから怪我の予防を伝える活動に注力し、青少年のスポーツ現場における指導者及び父兄への適切なスポーツ教育の周知、育成を目指した活動等も行っている。
野球の現場だけでなく学校や塾、企業等で授業、講演、研修、等を行いスポーツで得た知識や経験を多くの人に伝えている。
2021年4月には自身が考案した「スポーツセンシング」を学ぶ場であるオンラインサロン「スポーツセンシングアカデミー」を主宰、運営。
2023年より社会人野球JFE東日本で投手コーチに就任。
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