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リレーインタビュー 第10回 倉嶋洋介さん(前編)

「コーチ道リレーインタビュー」では、指導者の先達である方々、指導者として現在ご活躍の方々のインタビューをリレー形式でご紹介しています。前回の東野智弥さんからバトンを引き継いだのは、日本卓球協会 男子ナショナルチーム監督の倉嶋洋介さんです。

2016年リオデジャネイロオリンピックで、倉嶋さん率いる卓球ナショナルチームは、男子団体が銀メダル、水谷隼選手と女子団体が銅メダルというめざましい活躍を見せました。戦う選手たちを終始熱く見つめ、共に喜びを分かち合った倉嶋さんの「兄貴」のような姿をご記憶の方も多いことでしょう。目にも止まらぬスピードと、瞬時の判断で展開が刻々と変わる緊迫感に日本中が魅せられ、卓球は一躍人気スポーツとなり、来年には、日本初のプロリーグ「Tリーグ」がスタートします。

倉嶋さんは明治大学を卒業後、協和発酵キリン卓球部に所属し、2001年全日本選手権の男子ダブルスと混合ダブルスで優勝、同年、世界選手権にも出場しました。選手引退後、選手時代から持っていた「指導する」ことへの関心が、指導者として大いに生かされることになりました。

倉嶋さんが選手との関わりにおいて最も大切にしていること、そして「心の姿勢」について、東京2020に向けての情報も含めて、前・中・後編の3回にわたってご紹介します。

(2017年8月 インタビュアー:松場俊夫)

◎指導者になろうと思ったきっかけは何でしたか?

私が協和発酵キリンに入社した時は、3,4年で卓球をやめて、その後は仕事に専念しようと思っていました。ですが元々、指導には興味があったのです。学生時代、先輩の田崎俊雄さんがオリンピックに出場する時、現地での練習相手に私を選んでくれたのですが、日本人選手の試合が重なった時には、私もベンチに入れてもらい、コーチ役をやらせてもらうこともありました。その後もナショナルチームの歴代の監督さんたちと親しくさせて頂き、その指導力を見ているうちに、少しずつ指導の道に引き込まれていったと感じています。

当時卓球の選手は通常25歳から30歳がピークと言われていましたが、私の場合、結果が出てきたのは20代後半ぐらいになってからでした。ですから、引退が32歳の時でしたのでその後仕事を選んでも、11年も仕事をしてきた同期と同じ土俵に立つのは難しいと感じたので、それであれば自分の得意分野である卓球の道を選択しようと思いました。

◎最初はコーチから始められたわけですが、コーチと監督は違うものですか?

違いますね。私は協和発酵キリンのコーチの他、選手を辞める前の2、3年は母校明治大学で、会社を辞めてからは、現在日本卓球協会強化本部長の宮崎(義仁)さんの下で、ロンドンまでの約3年半、ナショナルチームのコーチを務めました。宮崎さんは当時50歳前後、私は30代前半で選手の「兄貴」的な存在でしたから、監督と選手のパイプ役として何をするべきか考えました。ですが今は監督として、自分が判断し、決断することが卓球界に反映されますから、責任がありますし、信念を持ってやらなければなりません。

◎ナショナルチームの監督になってまず初めにやったことは何でしたか?

最初に選手に言ったのはコミュニケーションについてでした。私からだけではなく双方向、インタラクティブを必ず取ろうと。それをしないと、選手たちがどう思っているか、どういう表現の仕方をするかわかりませんから。選手たちと一日一回、卓球のことだけでなく、家族のことなど何でも話すようにしていました。続けていくうちに、少しずつ選手にとって必要なものが見えてきます。それができないと指導者側からの一方通行になってしまって、指導ができません。時には一緒に食事に行ったりして、私も自分のことを素直に話します。そうするとお互いに話しかけやすい環境ができてきます。まず大事なのはそこだと思います。

私自身は昔ながらの厳しい体質で育ってきたわけで、もちろん監督を尊敬していましたが、自分はそういうスタイルではありません。親身になってもっと選手を知りたいと思いました。指導スタイルは様々です。オリンピックでメダルを獲る。卓球界の歴史を変えるには、最後は自分たちの思いや考えがすべて一致しないと大きな壁は乗り越えることはできない。監督としてオリンピックの4年スパンをどのように進めていけば良いか、オリンピックから逆算して考えました。コミュニケーションの重要性を選手たちにしつこく伝えたことはインパクトを与えるために良かったと思います。

◎これまでに成功、失敗、色々あったと思います。一番うまくいかなかったと感じたのはどのような体験でしたか?

わからないことが一つだけあって、それは選手との間合いです。どこまで踏み込んで行ってよいのか、押し引きがあります。コミュニケーションを長年とることである程度感覚的にはわかってますが、最後にナショナルチームからはずれることを選手に告げることは特に難しいです。いわば選手の肩を叩くことですね。功績のある選手、メダルを獲っている選手もいますから、選手にもよりますが、感情を抑えながら感謝とリスペクトを込めて送り出しています。ナショナルチームに人生をかけてきた人たち、それもある程度の年齢になっている人たちに通告しなければいけないわけで、ナショナルチームでの卓球人生は充実できたのだろうか、本当にうまくできたのだろうかと思うことがよくあります。

◎これまでで一番嬉しかったのはどんな瞬間でしたか?

やめていった選手がお礼の手紙やメールをくれた時は嬉しかったです。選手たちが良い卓球人生を送れたのであればそれは嬉しい事です。オリンピックでメダルを獲った時には嬉しいという感じがなかったのですよ。決勝で負けて終わったわけですから、選手も私もやった!という気持にはなりませんでした。もっと嬉しさを出してもいいはずなのに、中国に負けたことは、たとえ差があったとしても、とても悔しかったです。金でないと嬉しくないと思ったことが、もう一度監督を引き受けるきっかけになりました。メダルを獲って多少の満足感はあるものの、もう次は中国を倒すしかない、中国には10数年かければ勝てるだろうが、東京2020までという限られた時間の中でどこまでチャレンジできるか、日本の可能性を見てみたかったのです。

中国選手に勝つと嬉しいですし、世界選手権やオリンピックで彼らに勝つことが私の使命だと思っています。中国の強さは圧倒的で、男子のランキングも1位から4位まで中国が独占しています。ヨーロッパなどの各国に帰化した中国人選手も多いですしね。でも、私たちと戦っている1位から4位の選手は10代からずっと中国代表で使われ続けています。そういった現状で中国も若手がそんなに育っていないのです。彼らはいま30歳ぐらいですが、日本選手に勝つために彼らはまだ試合に出続けています。ハードルは高いですが、彼らが抜けた時が日本にとって大きなチャンスです。将来的に中国に勝つチャンスは十分にあります。日本のレベルはそこまで迫っているのです。ただ、一方で日本も万全とは言い切れない部分もあります。水谷(隼選手)は年齢的にはリオリオオリンピックが一番良い、張本(智和選手)はまだ若すぎます。東京2020は男子にとって少々危険な時期になりますが、そこに向けて張本を強化し、水谷をさらに向上させていくのが東京のキーになっていくと思います。

水谷の場合、あとはモチベーションでしょう。彼は、金メダル以外は獲っているので、さあ次は東京でと言われてもすぐに「がんばろう」という気持ちになれないと思うのです。ですから「スタートはゆっくりでいいよ」と言っています。まだリオから一年ぐらいしか経っておらず、メディアへの露出など色々やっている中で、彼ももっとやらなくてはと自分では思っているのですが、まだ環境が整っていません。整わないと成績にもひびいて来ますから、今後はそこのバランスをとっていかなければなりません。私もできるかぎりサポートして行くつもりです。

「打倒中国」という言葉は、簡単には言えない言葉です。公の場ではあまり口にすることはありません。生半可には倒せる相手ではないです。チャンスはあると思いますが、五分の戦いができるレベルに達するまでは簡単には口にしません。でもそこを目指すのが私の使命です。世界の第二集団から抜けてきている実感はあるので、我々日本チームが先頭に立って中国を倒す、世界の卓球を変えるという使命感を持って練習と強化を進めていかなければなりません。(中編につづく)

(文:河崎美代子)

中編はこちらから↓
リレーインタビュー 第10回 倉嶋洋介さん(中編)

後編はこちらから↓
リレーインタビュー 第10回 倉島洋介さん(後編)

【倉嶋洋介さんプロフィール】

1976年生 42歳 東京都出身

1989年 埼玉県岡部町立岡部中学校

1992年 埼玉工業大学深谷高等学校

1995年 明治大学

1999年 協和発酵(株)

2007年 明治大学コーチ

2010年 男子ナショナルチーム、ジュニアナショナルチームコーチ

2012年 男子ナショナルチーム監督

【競技歴】

1990年 全国中学校卓球大会 団体優勝

1991年 全国中学校卓球大会 団体準優勝

1992年 全日本ジュニア シングルス3位

1993年 全日本ジュニア シングルス3位 インターハイ 団体優勝

1995年〜1998年 インカレ 団体4連覇

1996年〜1998年 関東学生春季リーグ戦 団体6連覇

1997年 全日本学生選手権大会 シングルス3位

1998年 全日本学生選手権大会 シングルス3位

2001年 全日本選手権大会 混合ダブルス優勝 シングルス3位

2001年 第46回世界卓球選手権大会 出場

2002年 全日本選手権大会 男子ダブルス優勝 シングルス3位

2004年 全日本選手権大会 男子ダブルス優勝 シングルス3位

2005年 全日本選手権大会 男子ダブルス優勝

2006年 全日本社会人選手権 シングルス準優勝

【指導歴】

◎明治大学コーチ

2007年〜2010年 全日本選手権大会 シングルス優勝(水谷隼)

2009年 インカレ 団体優勝

◎男子ナショナルチームコーチ

2010年 世界卓球選手権モスクワ大会 団体銅メダル

2011年 世界卓球選手権大会ロッテルダム大会 混合ダブルス銅メダル

2012年 世界卓球選手権大会ドルトムント大会 団体銅メダル

2012年 世界ジュニア卓球選手権大会 シングルス優勝(丹羽孝希)

◎男子ナショナルチーム監督

2013年 世界卓球選手権パリ大会 ダブルス銅メダル

2014年 世界卓球選手権東京大会 団体銅メダル

2015年 世界卓球選手権蘇州大会 ダブルス銅メダル 混合ダブルス銀メダル

2016年 世界卓球選手権クアラルンプール大会 団体銀メダル

2016年 リオデジャネイロオリンピック 団体銀メダル シングルス銅メダル(水谷隼)

2017年 世界卓球選手権デュッセルドルフ大会 ダブルス銀メダル/銅メダル 混合ダブルス 金メダル

⭐︎公益財団法人 日本卓球協会 公式サイト