スポーツ指導者が学びあえる場

リレーインタビュー 第16回 安西浩哉さん(前編)

 「コーチ道リレーインタビュー」では、指導者の先達である方々、指導者として現在ご活躍の方々のインタビューをリレー形式でご紹介しています。今回は、日本ホッケー協会常務理事 安西浩哉さんにお話を伺いました。

ホッケー日本代表は男女ともに、来年の東京オリンピックへの出場が決定しています。男子代表「サムライジャパン」は1968年のメキシコオリンピック以来、女子代表「さくらジャパン」はアテネオリンピックに初出場して以来5回連続の出場になります。

東京ガスホッケー部、慶應義塾大学ホッケー部での指導を振り返りながら、安西さんが来年の東京オリンピック、さらに、その先に向けてご尽力されていることは何かを伺いました。前・中・後編の3回にわたってご紹介します。

 (2019年7月 インタビュアー:松場俊夫、河崎美代子)

――現在の活動について教えてください。

現在は、日本ホッケー協会の強化本部長を拝命しており、基本的には男女の日本代表チームの強化の責任者ということになります。ピッチの上で実際に指導しているのは、ヘッドコーチを初めとするチームのコーチングスタッフですので、私は強化全体のマネジメントをしております。

日本代表といっても、トップだけではなく、U21やU18、U16といったカテゴリーも担当していますが、各チームにいるチームマネージャーの全体を見るという意味ではゼネラルマネージャーに近いかもしれません。

第18回アジア競技大会優勝(2018年 インドネシア・ジャカルタ)

――以前、安西さんは、慶應義塾大学ホッケー部の指導をなさっていましたが、学生の指導と社会人の指導で違いを感じることはありますか?

ありますね。大学の部員たちは、他の学生が勉強以外に様々なことに打ち込むことができる時期にホッケーを選んだ学生たちです。大学生は社会に出る最終段階の世代ですから、この貴重な期間に社会に出た後、しっかり役に立つことをホッケーを通じて学ばさなければなりませんでした。

誤解されがちな言い方なのですが、勝ち負けや結果がすべてではなく、ホッケーを通じていろいろな経験をさせることが大事だと思ってきました。ただし、「勝ち負けがすべてなのだ」ということを言い続け本気でそれを目指さないと、勝ち負け以外に重要なことは身につかないと確信していますので、「勝ち負けは関係ない」とは決して言いませんでした。あくまでも大学の名前で戦っているのですから、結果がすべてです。さらに、優勝するにふさわしいチームでなければいけません。

一方、社会人ですが、東京ガスの監督をしていた時は、細かいことはあまり言わず、選手一人一人にある程度任せていました。代表チームは国の代表ですから、当然、結果がすべてです。なおかつ、プライドと責任、日本のホッケーに関わる全ての方々の代表である自覚が必要です。

――「結果だけではない」が「結果がすべてだ」ということを表現するのは難しいと思いますが、学生にはどのように伝えたのですか?

「結果よりも大事なことがある」というと学生は甘えてしまいます。ですが、「結果がすべてだ」と思ってやること、勝ち負けを強く意識することで初めて、それ以外のことを学べるのだと思います。ですから、常に高い目標を持ってチャレンジさせました。特に慶應義塾大学はスポーツ推薦がなく、部員たちはみな自分の意志でホッケー部に入ってきていますので、「言い訳は言えない」という話もしていました。

――慶應の監督をなさっていた時、優勝した時のチームとそうでない時のチームにどのような違いがありましたか?

リーグ戦優勝は40年ぶりでした。違いと言えば、学生が自ら考えることができるかどうか、でしょうか。これは私が常に重要だと思っていることです。言われてやっているうちはだめです。加えて優勝したチームのキャプテンにはキャプテンシーがありました。

学生スポーツで難しいことは、どの競技もどのチームもそうですが、毎年メンバーが入れ替わることです。ですから色々な指導や育成の方法があると思うのですが、私の場合は毎年優勝を目指すこと、その意識が基盤だと思っていました。選手が充実している代で、何年後か上級生になった時に強くなる可能性が強い代があったとしても、毎年必ず優勝を目指すという積み重ねが大事になります。

代々、慶應ホッケー部の監督は平日仕事をしており、指導をするのは週末だけです。つまり、週6日の練習のうち、ほとんどを学生自身でやっていることになります。自分たちで考え、4年生が中心になってやる。逆にそこがいいところでもあります。監督の一言よりも、秋のシーズンに4年生の表情が変われば、チームは変わります。

――キャプテンシーのあったキャプテンというのはどのような選手だったのですか?

性格的には負けず嫌いでしたね。慶應の場合はホッケーの経験者は附属の高校から上がってくる学生が多いのですが、彼は滋賀県の進学校から来た学生でした。彼は小中学校でホッケーをやっており、日本一になった経験を持っていたのですが、高校にホッケー部がなく、高校3年間はホッケーはやっていませんでした。そして慶應に入ったものの、スポーツ推薦があるだろうから高校でホッケーをしていない自分では通用しないと思って最初は入部しなかったのです。ですが、「同級生にホッケー経験者がいる」と言って、ホッケー部の女子部の部員が彼をグランドに連れて来たんですね。やらせてみたらうまい。で、入部したというわけです。

彼は努力もしましたし自分自身に厳しい学生でした。練習の時から厳しくやらねば勝てないこともわかっていました。さらに、小さい頃に勝ち癖がついていました。もちろん彼の力だけではないのですが、彼のそうした考えがみんなに浸透したのだと思います。

慶應のホッケー部に関していえば、一つのきっかけが大事です。一つの勝利や一人の選手のプレーでそのシーズンの大きな流れが変わることがあります。優勝した年の後に3年間準優勝しています。優勝した時の選手たちが努力したことで結果が出たわけですが、決勝戦を戦って初めて見える景色、世界というものがあるのでしょう。それを経験できたことが大きかったのだと思います。優勝を一度味わうと、翌年も、主力の4年生が卒業した後でも、決勝に進めるようにチームの何かが変わるのだと感じました。

――大学生を指導することになった時、どのようなことから始めましたか?

まずは基本が大事だということからですね。今の学生は日々、動画サイトで世界のトッププレーヤーのプレーを見ています。ですが勘違いしてはいけないのは、トッププレーヤーの試合が面白いのは、スーパープレーのようなものがあるからではなく、単純なミスをしないからなのです。学生はいいプレー、格好良いプレーを真似しがちなのですが、まずボールを打つ、止める、そして走力という基本技のレベルを向上させること、当たり前のことを当たり前にできなければいけない、そのことをまず話しました。

――最初の頃とその後では、監督としての指導のスタイルは変わりましたか?

最初私が監督になった時、結果を出さなければいけないということで、前のめりになった部分はありました。当時は一部リーグの5位ぐらいで、私に指導者としての経験もなかったのできついことも言いましたが、結果は出ませんでした。

練習の時に目的意識を持つこと、練習の強度を試合に合わせることが必要でした。チームは昔からの練習をずっとやっていましたが、何が目的の練習なのか、試合を意識しているのか、はっきりしないところを一つ一つ潰していきました。最初は見ていたのですが、ある時点から、練習の中身を変えたりもしました。

それに、体育会的な上下関係のせいか、選手たちは練習時のミスで怒られるのを怖がっていて、得意なことばかりやってしまいがちでした。ですが、練習のミスは恥じることではありません。むしろチャレンジしないことの方が恥ずかしいのだと選手に言いました。練習の時は緊張感を持ち、試合の時はリラックスせよとも言いました。最初はそれが逆になっていましたので。

伝統にはいいものもありますが、あまりにも縛られるのはよくありません。ルールが変わっているのに、自分たちがやってきた練習がはたして有効なのかどうか、検証しなければなりません。(中編につづく)

(文:河崎美代子)

〇安西 浩哉(あんざい ひろや)さん プロフィール

1960年8月6日 東京生まれ

【学歴・職歴】   

1980年3月  慶應義塾高等学校 卒業  

1984年3 月 慶應義塾大学 商学部 卒業  

同年  3月 東京ガス株式会社 入社 

2017年6月~(公財)東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会 出向

【ホッケー競技関係】    

1976年4月  慶應義塾高等学校 ホッケー部入部  

1979年4月  慶應義塾体育会ホッケー部(慶應義塾大学ホッケー部)入部

(指導歴)

1989年~1998年    東京ガスホッケー部監督

(監督就任期間の主な戦績 :全日本男子選手権出場 他)  

2006年~2013年    慶應義塾体育会ホッケー部 大学男子部 監督  

(監督就任期間の主な戦績:関東学生リーグ優勝1回・準優勝4回、全日本男子選手権大会出場 他) 

2014年  日本ホッケー協会 理事就任  

2015年~   同 常務理事就任 

2017年~ 同 強化本部長・東京2020オリンピック準備委員会 委員長

その他   (公財)日本オリンピック委員会 選手強化本部委員  

公益社団法人 日本ホッケー協会