「コーチ道リレーインタビュー」では、指導者の先達である方々、指導者として現在ご活躍の方々のインタビューをリレー形式でご紹介しています。今回は、日本バスケットボール協会スポーツパフォーマンス部会 部会長の佐藤晃一さんにお話を伺いました。
佐藤さんは大学卒業後、当時日本ではあまり知られていなかったアスレティック・トレーナーになるべくアメリカの大学に留学、その後23年間の在米中に、NBAのワシントン・ウィザーズで5年間リハビリテーション・コーディネーター、ミネソタ・ティンバーウルブスでスポーツパフォーマンスディレクターを3年間務められ、2016年より現職に就かれています。
アメリカで学ばれたこと、コミュニケーションについて、チャレンジの大切さなど佐藤さんのお話を前・中・後編の3回にわたってご紹介します。
(2021年5月 インタビュアー:松場俊夫)
スポーツパフォーマンススタッフと一緒に、A代表からアンダーエイジカテゴリーを含めた代表選手たちのトレーニングやリハビリの指導、指導者養成講習会での講師や、審判の指導やユース世代の育成などを行っています。JBA(日本バスケットボール協会)に入った時にはA代表選手のトレーニングやリハビリを担当するのだろうと思っていたのですが、入ってみたらいろいろな取り組みに関わるようになり、JBAはいろんなことをしているということに気がつきました。
あまり知られてないと思います。多分、ここ10年くらいで増えてきたポジションで、多種多様化したスポーツチームで選手をサポートするトレーナーなどのスタッフを束ねる仕事です。元々スポーツチームで「トレーナー」というと、治療やリハビリをするいわゆるメディカルトレーナーでした。アメリカではこのメディカルトレーナーは、アスレティックトレーナーと呼ばれ、1990年に准医療従事者としてアメリカ医学会に認定されています。その後、ウェイトトレーニングを担当するいわゆるストレングス&コンディショニング(S&C)コーチが加わるようになりました。日本でもアメリカでも「トレーナー」というと、両方を指すことが多いと思います。多くのスポーツチームにはこれら、S&Cコーチとアスレティックトレーナーの2つのスタッフが存在していると思います。
その後、大体2000年以降に、これらの2つのスタッフ以外にもメンタルや栄養など他の要素、あるいはある分野に特化するスタッフが追加されるようになり、色々なスタッフが選手のサポートをすることになったのですが、残念ながらスタッフ間に壁があったり、コミュニケーションがうまくいかなかったりすることが多いです。そこで、これら多くのスタッフを束ねるスポーツパフォーマンスディレクターというポジションができたと思います。怪我を予防し、怪我した選手を復帰させ、能力を向上させようとするという点で、結局は皆同じことをやっているわけなので、皆仲良くやっていこうよという感じですね。
私がウィザーズにいた時はアスレティックトレーナーとしてリハビリを担当していたのですが、怪我のリハビリでよくみられる体の問題を怪我が起きる前にトレーニングを通じて良くできればと思っていました。そこで、普段のトレーニングを担当する立場になりたいと思っていた時にミネソタのティンバーウルブズから声がかかり、スポーツパフォーマンスディレクターとしてトレーニング指導を統括できる立場になりました。
実際は、「スポーツパフォーマンスディレクター」という名前は多くの場所で使われていますが、場所によって仕事内容には違いがあると思います。私が今J B Aで行っているのはトレーニングのスタッフとメディカルのスタッフを束ねる仕事です。みんなで選手たちをより良くするために、男女やカテゴリー間の壁をなくして協力しています。
人間の体を見るという点から言えば同じだと思いますが、指導の方法は異なると思います。例えば、選手が自分で考える能力を育てるというのが根本的なイメージとしてあるのですが、全然わからない子には教え込まないといけませんし、わかる子には「あなたはどんなことをやりたいのか」という問いかけをするようにします。同じ年齢でも精神的な成長度が違うこともあるので、年齢という括りだけではなく個人によってアプローチは異なります。
大学に入る前もそうだったのですが、やりたいことをやり続けることの一環ですね。アメリカに行くという意味では大きなステップですが、その時々にやりたいことを続けて今に至っています。
私が大学生の頃は大学3年生の後半になると、就職活動の分厚い資料がリクルートなどから送られてきて、大学でも就職セミナーなどが始まりました。「ああ、もうそんな時期なのだ」と思って考え始めたのですが、自分が就職して机に向かって仕事をしているというイメージが全く湧きませんでした。私はソ連東欧事情を勉強していたのですが、どこの学部を出ても結局大学の専攻に関連する会社に入るわけではないですからね。
その頃、「タッチダウン」というアメリカンフットボールの雑誌に、日本で最初に米国公認アスレティックトレーナーになった鹿倉二郎さんの仕事ぶりが紹介されてるのを読んで、ああ、こういう仕事があるのだ、これがやりたいと思い、早速、鹿倉さんに会いに行きました。あの頃は、メールもないですがから連絡先を調べて電話をし「アスレティックトレーナーになりたいのでお会いしたいです」と言ったところ、会って下さいました。鹿倉さんがアスレティックトレーナー養成プログラムのあるアメリカの大学のリストをくれました。その後すぐに親に電話し、大学に4年間行かせてくれてありがたいのだけど、こういうことをやりたいからもうちょっと勉強させてくださいと言ったら、親は承諾してくれました。そこから全てが始まったわけです。
大学の就職課の方との面談で、アメリカに行ってアスレティックトレーナーになりたいと言ったら、訳のわからないこと言ってないで就職しろと言われました。その方にとっては、就職率が成果になるので仕方ないですけどね。そんな資格をとって日本でどうなるのかとも言われましたが、自分はこれがやりたかったわけですし、日本に帰ってきて、もしそれでお金がもらえなくても、週末に子どもたちの世話をして別の仕事をしてもいい、くらいの気持ちで迷いはなかったです。自分のやりたいことがあって、それをさせてくれる親がいたのはラッキーです。
裏話なのですが、アメリカ留学を決めていたものの、実は私、就職活動を一回しています。それは、大学の先輩から深夜に突然「明日来い」と言われて行った会社の説明会です。その会社のこともよく知らないまま出かけたのですが、説明会というのだからただ座って説明を聞くだけだと思っていたのです。ところがプチ面接のようなものがあって、もう全くちんぷんかんぷんでした。先輩の立場もあるのでサクラのつもりで行ったらその調子で。先輩に恥をかかせてしまいました。
そうですねえ。私はポジティブシンキングなのであまり思い出せないです。今となっては全部良い思い出のようになっていますし。
苦労したこととはちょっと違いますが、日本に比べて圧倒的に色々な人たちがいることを体験できたのは良い体験であり多くを学びました。日本以上にアメリカには人種はもちろん、様々なバックグラウンドを持って育ってきた人がいるわけですが、実際は私の想像をはるかに超えていました。
例えば、私がアリゾナ州立大学のバスケットボール部のアスレティックトレーナーをしていた時、ある学生に出会いました。彼が入学して寮に入った時、大した寮ではないのでコーチ陣が半分皮肉っぽく「寮はどうだ?」と尋ねたところ、彼は「ベッドもあるし、個室じゃないけど素晴らしい」と言うのです。彼はそれまで自分の部屋も自分のベッドも持ったことがありませんでした。幼い頃に親が失業して薬物に手を出し、気がついたらいなくなっており、お兄さんに育てられたのだそうです。自分のベッドどころか、ソファーで寝ていたそうです。彼にとっては自分のベッドがあることは素晴らしいことだったのです。また、幼少期に親を無くした選手には、人の好意を素直に受け入れられない人が多かったように感じます。こちらは選手のサポートをするのが仕事ですし、良かれと思って彼のためにケアをするのですが、単純には受け入れてくれないわけです。「俺は人のことを信じられないし、親切にされるとこいつは俺から何を欲しがっているのだろうと疑ってしまう」と。もちろん時間が経てば気持ちが通じるのですが、さまざまな人たちと働いて、価値観の多様性をまざまざと見せつけられました。
スポーツにはコミュニケーションが大切とよく言われますが、コミュニケーションの定義とは何でしょうか。その定義がそもそもずれている時点でコミュニケーションは成り立たないのです。私がある講習で参加者に指導の現場で大切にしていることを聞いたところ、多くの指導者が「遊び」と「コミュニケーション」を挙げていました。そこで、「あなたにとって遊びとは何ですか」と尋ねたところ、三者三様の定義が出てきました。そこで私は、参加者に「皆さん、コミュニケーションが難しいのはこのことが原因なのですよ」。つまり、「遊び」という一見皆共通の定義を持っていると思われる言葉ですら人によって定義が違うのです。話が通じないわけですよね。
ちなみに、私にとってのコミュニケーションの定義は「Courage & Empathy(勇気と寄り添う能力)」です。「Courage」は日本語で「勇気」と訳され、火事で燃えている建物に飛び込んで人を助けるような勇ましい行為をする様を思い浮かべるかと思いますが、Courageの語源は「Cor」はラテン語で「心」で、自分の心を開いて全てを話すという意味なのです。確かにこれは勇気のある行為ですよね。このCourageについてはアメリカの研究者Brene Brownの受け売りです。
「Empathy」については、イギリス在住のブレイディみかこさんが息子さんについて書いたベストセラー「僕はイエローでホワイトでちょっとブルー」からの引用で、「相手の立場に立ってみる」と表現されています。ブレイディみかこさんによると、「Sympathy」は「かわいそう」というような自然に湧いてくる「感情」である一方、「Empathy」は「自分がその人の立場だったらどうだろうと想像することによって誰かの感情や経験を分かち合う能力」とケンブリッジ英英辞典には書かれています。「能力」なので、自然に湧き出てくるものではなく、身につけなくてないけない、あるいは身につけることのできる能力なのです。
こういう人がいる。この人はきっとこういう立場になるだろうと考える。その人が失敗したり恥をかいたりした時に、言葉を添えなくてもただ寄り添う。それだけでもその人にとって救いになることもあります。こちらがいくら主張しても相手に通じないこともあるのです。相手の立場になるというのはそういうことだと思います。
ですから私は、自分の心にあることをしっかり相手に曝け出す必要があり、同時に相手の立場に寄り添って初めてコミュニケーションが成り立つと思っています。私はアメリカや日本で様々な人に接して、さまざまな境遇や立場にある人々と接することで、この能力を養うことができたと思っています。
「あの人は自分のことをわかってくれない」と言うのは簡単ですが、心を開いて自分のことや自分が考えていることをきちんと伝えてなかったら責任の半分は自分にありますよね。最初から以心伝心であればいいですが、そういうわけにはいかないです。相手の立場になって、自分の心にあることをしっかり伝えることでコミュニケーションが取れるわけです。伝えていなかったとしたらそれは自分の責任です。偉そうに言いますが、私も日々努力してます。
私自身、トレーナーとして選手に心を開いてもらうためにこだわっているのはやはり「Empathy」です。私は大怪我をした選手に多く出会っていますが、寄り添い方はそれぞれ異なります。「大丈夫?」と肩をさすってあげることもあれば、冷たく見えるかもしれませんが、距離と時間を空けることもあります。「リハビリ頑張ろうね」という言葉をどのタイミングで言うかもその選手によって違ってきます。(中編に続く)
(文:河崎美代子)
中編はこちらから↓
https://coach-do.com/interview/29-2/
後編はこちらから↓
https://coach-do.com/interview/29-3/
◎佐藤晃一さんプロフィール
日本バスケットボール協会スポーツパフォーマンス部会部会長。
1971年生まれ、福島県出身。
東京国際大学教養学部国際学科卒業。
イースタンイリノイ大学体育学部アスレティックトレーニング学科卒業。
アリゾナ州立大学大学院キネシオロジー研究科バイオニクス修士課程修了。
アリゾナ州立大学スポーツメディスン・アシスタントアスレティックトレーナー、
ブリストールホワイトソックスヘッドアスレティックトレーナー。
2008年から
NBAワシントン・ウィザーズでリハビリテーション・コーディネーター。
2013年から
NBAミネソタ・ティンバーウルブズでスポーツパフォーマンスディレクター。
2016年から現職。
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