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リレーインタビュー 第22回 榎敏弘さん(後編)

「コーチ道リレーインタビュー」では、指導者の先達である方々、指導者として現在ご活躍の方々のインタビューをリレー形式でご紹介しています。今回は、石川県でスポーツを通じて数々の地域コミュニティビジネスを展開されている「地域プロデューサー」榎 敏弘さんにお話を伺いました。

剣道教士七段の榎さんは、長年中学校教員として剣道部を指導、強豪チームに育て上げました。その後、教育行政に携わっている時、総合型地域スポーツクラブに興味を持つようになり、NPO法人「クラブパレット」を設立。さらに、障害者スポーツの拠点として地域スポーツシステム研究所「ジョイナス」を設立し、教員退職後は障害者人材育成機構「カラフル・金沢」の理事長としても活躍されています。

スポーツを通じた地域づくりと人づくりの考え方、「剣の道」の人生への活かし方など、榎さんのお話を前・中・後編の3回にわたってご紹介します。

(2020年5月 インタビュアー:松場俊夫)

前編はこちらから↓
リレーインタビュー第22回 榎敏弘さん(前編)

中編はこちらから↓
リレーインタビュー第22回 榎敏弘さん(中編)

▷ これまでの指導で「これは失敗した」という経験はありますか?

いくつもありますが、キャプテンの子が不登校になったことがありました。5年連続で勝った後、2年間負けていたので「さあ優勝奪回だ!」と、新たな指導でスタートした時のことでした。その子には力があり抜群のセンスも持っていたので、その子を中心にやっていこうと思っていました。

私からのプレッシャーを感じていたのだと思います。冬の大会まで、話をしたり、勇気づけたりしたのですが、結局最後の大会に出られませんでした。大会にはその子なしで優勝できましたが、私はその子が持っているものを支えてあげられませんでした。何とかしてあげなければと寄り添っていたつもりでしたが、それは私のエゴだったのかもしれません。

あと、不思議に思っているのは、2年間負けていた時の子たちは、今でも剣道を続けていて、今も私の近くにいることです。勝った時の子たちよりも、その子たちの方がずっと一緒にいます。きっと選手時代の自分に満足していないのでしょう。逆に、5年連勝の時の子たちは力をすべて出し切ってバーンアウトしてしまったのかもしれません。

連勝時代の子で「かつてのように力を出し切りたくても今はできない」という子がいました。「勝ち続けていた時の自分は本当に頑張ったけれど、今の自分は頑張っていないから先生の前に顔が出せない」と。必死にやっていない自分、動いていない自分が道場に足を踏みいれて、そんな姿を先生に見せるのが怖いと言うのです。一方で、あの時に力を100%出し切ったことが今の仕事の原動力になっているとも言います。「あれだけやれたのだから今の自分があるのだ」と。でも彼らはもう剣道をやっていないわけです。

勝てなかった時の子は、当時、私が一生懸命やったことはわかってくれていますし、私も彼らに何らかの影響を与えたかもしれないとは思います。でも、果たして私の指導が良かったのかどうかと言うと反省しかありません。でも今の私がこんな気持ちになって考えることができるのはその時代があったからです。失敗があったからこそ気づくことができたのだと思います。

▷ 失敗から学ぶためにどのような方法をとられたのでしょうか。

若い頃は、失敗した悔しさが原動力でした。私には負けたことや非難、中傷をエネルギーにする力があったのではないかと思います。困難に陥れば陥るほど、非難されればされるほど、負ければ負けるほどエネルギーが出て来て、それを発奮材料にすることができました。結果的には良かったのですが、その姿は決して美しくはなかったと思います。ただ悔しいと思っているだけで、自身の負けや至らないところへの反省は浅かったと思います。

今は恥ずかしいこと、省みることばかりの毎日です。自分だけでは解決できませんから、コーチングもしてもらっています。先日ある方に、白山比咩(ひめ)神社という神社に連れて行ってもらったのですが、私はあまり信心深い人間ではないので、その方に「どうして神様に祈るのですか」と聞いたのです。すると「自分には力がないから神に頼るしかない。自分にはどうしようもないこともあるでしょう」と言うのです。その言葉がドーンと入って来ました。これまでずっと「自分がやった」とか「自分でやらないと」としか思ってきませんでした。実際は、色々な人に迷惑をかけたり、多くの犠牲を出したりしたことがあるのだと思います。今も助けて下さっている方がたくさんいます。自分には力がないのだから、まわりの力を借りてこうしてやれていることに感謝しないとだめなのだとその言葉から学びました。深いなと思いました。

今も勝ちたい気持ちは強いですが、たとえ勝てなくても、いい指導ができているとは思っています。今でも遠征で5~6時間マイクロバスを運転するのですが、その間、後輩の指導者と失敗談や指導論議などいろいろな話をします。それが少しでも役にたってもらえればと思っています。そして、その時間がとても楽しいです。

▷ 榎さんにとって、いい指導とは何でしょうか。

決まった型はないと思います。指導と言う言葉は「指さして導く」ですよね。伴走と言いますか、引っ張ることがあれば押すこともある、選手が走っているのをただ見ることもある、そうしたものかもしれません。

先日、発達障害の人が講演で「いつも思っているのは『わかってほしい』と言うことだ」と話していました。「福祉・支援」という言葉はきれいな言葉なのですが、彼らは「助けてくれ」なんて言いません。生きづらさを感じている人に対して、こちらが「さあ支援しよう」と肩肘を張ってしまったら、彼らは自分の殻を破ることはありません。でもこちらがパートナーとして接していけば、彼らは本心を見せてくれます。「協力してほしい」と言って来ます。

大切なのはお互いの力を合わせることです。支援というのは上から目線ですが、協力というのは対等です。指導者である自分の経験や力と子供たちの力が協力し合えばいいのではないでしょうか。そんな指導ができたらと思います。

▷ これまで指導してきた中で最も嬉しかった経験は何ですか?

子供たちが勝った瞬間、目標にしていた大会で勝てた瞬間はもちろん嬉しいです。ですが、最後に勝つのは一校だけです。チャンピオンにならない限り、最後は負けて終わります。みんな泣いて終わるのです。その姿は悲しいですが、嬉しいものでもあります。なぜならそれは最高の涙、一生の思い出になる悔しさの涙だからです。負けることは日本の武道の美徳と言われますが、それでいいと思います。大事なのは、勝つばかりが全てではないということです。勝てばメディアに載ったり記録に残ったりしますが、そうではないところに良さがあるからスポーツをするのではないでしょうか。それこそがスポーツの価値であることがもっと評価されてほしいと思います。

▷ 指導者として、これは譲れないということはありますか?

一つは「逃げる」ことです。逃げたら許しません。逃げたら追いかけます。「逃」という漢字をてへんに変えると「挑」になります。「逃げずに挑戦する」。これは私がいつも言っている言葉です。逃げずに向かって行け、怖くても逃げるな、挑戦しろ、常に前に出ろ、と。挑戦しないのは負けることです。「敗北」ではなく、「自分の中にある一歩を踏み出せない」という意味の負けです。「自分の中にある弱さをさらけだして一歩踏み出せ」と言い続けています。

ただ、一歩踏み出すのは簡単なことではありません。「覚悟」が必要です。覚悟というのは「決める」ことです。自分で決めれば、一歩踏み出しやすくなります。歩まざるを得なくなります。つまり、歩めないというのは決めていないということなのです。だから、歩めない言い訳を探したり、動かないための理由づけをしたりする。決める、動く、負けた。それでもいいのです。また決めればいいのですから。

人生とはその連続なのではないでしょうか。自分の人生ですから、自分で決めた責任は自分でとればいいのです。私はそんな風に生きています。

▷ 榎さんが剣道から学んだことは何ですか?

たくさんありますが、一つは「勇気」です。剣道の世界では、何かを捨てないと生きてはいけません。勇気をもって捨てることが必要です。飛び込むだけの勇気ではなく、時には、退かなければいけない勇気、その場にとどまって耐える勇気もあります。

それから、剣道には「殺人剣」と「活人剣」というものがあります。昔の侍はいつでも斬れるように刀を磨いていますが、盲滅法に刀を抜くことはありませんでした。日本刀の鞘には下緒(さげお)という紐がついていて、それを切らないと刀は抜けません。重い刀を抜くときは二つに一つ、「人を殺して生きる時」か「自分が死ぬ時」ですから、よほどのことがない限り、抜きません。「刀を抜く」ことは命がなくなるということ、それが殺人剣です。

もう一つの「活人剣」というのは「抜かない剣」、抜くことなく相手を活かす剣のことです。「抜くぞ」と見せて、相手のいいところを引き出すことで、お互いのいいところの相乗効果が起きます。お互い高め合い、苦しさを耐えながら、最後にドンとぶつかる。いわゆる対話です。自分だけが打てればよいというものではなく、「自分の最後はここだ、おまえはどうだ」と相手を引き上げていくのです。

そして、打たれた方は「参りました」、打ち込んだ方は「打たせてもらってありがとう」と、相撲と同じように無表情に喜びを表すことなく終わります。負けた相手に対してガッツポーズをすることはありません。剣道はこんな世界ですから、学ぶことは山ほどあります。

仕事も、すべてが剣道だと思っています。このように話をさせていただいているのも剣道です。どんなスポーツも同じなのではないでしょうか。それぞれが持つ様々な魅力を活かさない手はありません。ユニホームを着ていない時にも、その良さを活かすというのがスポーツなのだと思います。

▷ これからのビジョンについて教えていただけますか?

剣道ビジネスがしたいです。剣道の道場はどの都道府県でも減って来ているので、剣道で十分な収入を得られる指導者を育てたいです。現在、剣道で十分な収入を得て剣道を仕事としてできる環境は、警察か教師ぐらいしかいません。

道場に動作分析や食育、メンタルトレーニングやコーチングの場を作り、私が学んできたことや、築いてきたネットワークで、チームをつくり、みんなでアプローチできる最高レベルの指導体制を作ります。剣道の指導は先生任せで大雑把なところがあるので、誰もができる指導手順やコーチングを含めたメソッドを作り、マニュアル化もします。

それから、剣道居酒屋のようなコミュニティを作りや、防具や竹刀の販売といった、人を雇用できる仕組みを作って全国展開します。連盟とも連携して、そうしたスキームを広めていきたいと思っています。外国人も積極的に迎えたいですね。彼らは日本人以上に侍や剣道の魅力を感じていますから、剣道を逆輸入ができるのではないかと思います。また、躾に迷っている親御さんのために、子どもと母親のコーチングをセットにしたプログラムを作るのもいいですね。そうしたビジネスモデルを作って、多くの剣道仲間たちとシェアしていきたいです。

▷ 最後に、指導者の皆さんに向けてメッセージをお願いします。

「指導する」ということは、自分との戦い、自分磨きですから、指導することによって葛藤が生まれ、その中で自分を高めることにつながります。私たちは指導をさせていただけることに感謝しなければなりません。

常に物事の基本に子どもを置くこと、子どもを基準に考えることも大切です。基準を自分に置くのではなく、指導を求める子供たちを基準に置けば間違うことはありません。

それから、常に自分がワクワクしている状態を作ることも必要です。ドキドキは不安な状態、ウキウキは調子に乗っている状態なので、不安と期待のちょうどいい具合がワクワク感だと思っています。

不安と期待のバランスの中で、指導者として感謝を忘れずに、子どもたちを常に中心におき指導を続けていけばよいのではないかと私は思います。どうあるべきか、考え方はいくつもあると思うので、ぜひ御自分で見つけて下さい。(了)

(文:河崎美代子)

◎榎 敏弘さんプロフィール

一般社団法人 障害者人材育成機構 カラフル・金沢 代表理事

一般社団法人 地域スポーツシステム研究所  代表理事

株式会社 ジョイナス 代表取締役

■生年月日      

昭和38年11月28日(56歳)  

■学歴

富山大学教育学部中学校教員養成課程美術専攻 S61.3卒業

独立行政法人金沢大学大学院人間社会環境学域公共政策専攻地域マネジメントコース修士H23.3修了

■職歴

教員(18年)、教育委員会等の勤務(9年)を経て、平成25年3月教員を退職

その後、NPO法人クラブパレット理事兼GMに就任

■競技歴

剣道教士7段 全国教職員剣道大会 7回出場  柔道初段

第52回都道府県対抗剣道優勝大会出場

第61回のじぎく兵庫国民体育大会剣道競技大会出場

■指導歴

団体  全国中学校剣道大会 優勝1回 3位2回 

全国中学校選抜大会 優勝3回

個人  全国中学校剣道大会 男子3位 1回 女子3位 2回

【関連サイト】

カラフル金沢 

一般社団法人地域スポーツシステム研究所 総合型地域スポーツクラブ「ジョイナス」 

えのキングのブログ(榎 敏弘さんブログ)