「コーチ道リレーインタビュー」では、指導者の先達である方々のインタビューをリレー形式でご紹介しています。今回、朝原宣治さんからバトンを引き継いだのは、数々のチームで監督を務め、全日本女子バレー監督時代は「復活請負人」と呼ばれた柳本晶一さんです。
新日本製鐵(現・堺ブレイザーズ)でセッターとして活躍後、監督兼任となり、就任2年目で日本リーグ優勝。タイ男子代表監督を経て、地域リーグの日新製鋼を日本リーグに昇格させ、東洋紡オーキスをVリーグ初優勝に導きました。
2003年、低迷していた全日本女子チームの監督となり、2大会ぶりにオリンピック出場権を獲得。アテネと北京で5位の成績をあげた後、監督を引退なさいましたが、続くロンドンでの銅メダルは、柳本さんが作られた礎の上に輝いていることは言うまでもありません。また、「柳本ジャパン」のワールドカップでの活躍ぶりは、テレビのゴールデンタイムに放映され、新たなバレーボールファンを開拓するきっかけとなりました。
現在は、朝原宣治さんらと設立したアスリートネットワークの代表理事として、トップアスリートの経験と感動を次世代に伝え、スポーツの価値向上と、将来の日本の希望を育む様々な活動をなさっています。
ご自身の著書のタイトル「人生、負け勝ち」にあるように、負けの中には次につながる「勝ちの芽」が必ずある、というのが柳本さんの勝負哲学です。波乱万丈の監督人生の中で、先の見えないトンネルからいかにして抜けだしたか、そして、24人中20人が退部?女子マネジメントの苦労話、「信頼はしても信用はしない」の意味など、柳本さんの示唆に富んだお話を、前・中・後編の3回にわたってご紹介していきます。
(2016年1月 インタビュアー:松場俊夫)
前編はこちらから↓
リレーインタビュー 第5回 柳本晶一さん(前編)
日新製鋼の後、全日本男子ジュニアの監督を仰せつかりました。その時、選手たちは預かりものだと思いました。高校3年生から大学1、2年生まで、預かった人間をちゃんと育てて結果を出すこと、私の今までの経験をしっかり伝えることが、この国のためになるし、この子たちとの出会いを生かすことなのだと気づきました。それから、スパルタは大事だが決してそれだけではないと思うようになりました。
例えて言えば、母乳を飲もうとして赤ちゃんがおっぱいを噛んだ時に、母親がお尻をポンと叩く。けれど背骨が折れるまでは叩かない。それがスパルタの原理、つまりシグナルです。それは大事なことなのですが、プレーヤーはいままでスパルタで勝ち、ナンバーワンになり、成功もしたので、スパルタが正しいと思っているだけなのです。
ですから、挫折して、暗中模索しながらもう一度作り上げた時、そこにあったのは、スパルタではない新しいやり方でした。一歩割り切れた自分だから、ジュニアを預からせてもらえて、アジアでメダルを獲らせてもらえた。こうやって伝えて行けるのだな、と思いました。
選手を変えてあげられるのが指導者、明日変われるのが選手です。私は理不尽なことは言います。20センチ先のボールを取れと。初めはできませんよ。でも諦めずに挑戦し続けることで、0.1ミリずつでも取れる時が来ます。ですが、10人いれば10人とも伸びるスピードは違います。なかなか進まない選手、一気に3メートル、いや10メートル行ってしまう選手もたまにいます。それは10年に一度の逸材、超高校生級と言われるような選手です。そこを見極めて声をかけていきます。食いつきのある者は必ず伸びる時が来ます。選手が無理だと思っているところを伸ばすのです。
大事なのは、伸びた瞬間を見逃さないことです。指導者は、選手が伸びた瞬間を映し出してあげる鏡にならなければなりません。自分の姿を確認させ、自信を持たせること。だからその瞬間の言葉が極めつけの褒め言葉になるのです。「ここまでやったのだからもっとがんばれる」と、わからない先のことを言ってはいけません。そういう意味では、子育てで母親が言うように、「手を離しても目は離すな」、さらに「心を離してはいけない」のです。
選手というのは、信頼しても信用してはいけないものです。信用したら成長にブレーキをかけることになってしまいますから。何よりも、伸びた瞬間を確認するためのことを真剣にやらなかったら、コミュニケーションをいくら取っても意味がありません。「教えられたことは忘れる。でも盗んだものは絶対に忘れない」と私は言います。盗むということは、目標を持つことです。そういうモチベーションを作る、そういう空気を作るには、絶対的な監督にならなくてはいけない。そこに初めてコミュニケーションが成り立つのです。
監督としては、信念と言うか、こだわりですね。柳本晶一というのはこの世に一人しかいませんから。監督というのは辛いものです。椅子には4つの脚がありますが、準決勝にいくと2つに、決勝にいくと1つになる、そんな不安定な立場です。全日本の監督の場合は権力の座ですから、振り向けば誰かが後ろで弓を引いて待っています。そんな状況の中でも歯を食いしばって、明日頑張ろうと思えば、今そこにいるわけですから頑張ることができます。でもその座もいつかは終わります。終わった後に何を残すかが大事です。どんなチームでも、今だけではなく、先を見据えたこともやっていかなければなりません。
私の後任の(全日本女子の)監督については、協会が考えていた人選では私がやってきたことがまた元に戻ってしまうので、後輩の眞鍋(政義氏 現・全日本女子監督)に託しました。あのチームは女子チーム作りの難しさを克服して、私が作ったチームですから。結局、彼は同じ方向でやってくれたおかげで、ロンドンでメダルが獲れました。
「菊作り 菊見る時は 陰の人」という句があります。監督というのはそういうものだと思います。土を耕し、苗を植えて育て、花を咲かせるのが監督です。私はどちらかと言うと、どん底や苦境にある時にチーム作りを求められることが多いのですが、職人というかアーティストというか、作り上げていく方が向いているようですね。
時々講演をさせていただくのですが、企業の管理職や官公庁のキャリアの皆さんの前で話すことが多いです。でも最初、女子のマネジメントでは私も失敗したんですよ。
日新製鋼の後、46歳の頃ですが、女子チーム、東洋紡オーキスの監督の話が来ました。当時、日本一になれるぐらいの、とても良いメンバーがそろっていました。私は自信を持って入ったのですが、選手たちが全く動かない。もちろんバレーはしていますよ。でも入替戦をなんとか逃れるぐらいの結果に終わりました。そこで、一週間休みを作り、全員にカウンセリングをしました。24人ぐらいいたでしょうか。2日間かかりました。「監督そこまで見ていてくれたんですか」「そりゃそうだ」。「リベンジかけような」「がんばりましょう!」と実に前向きな話で終わったのですが、なんと、一週間経ったら20人やめてしまい、4人しか残らなかったのです。彼女たちに辞められたら大変だ、ということで3人増やして、その夏を何とか乗り越えました。
私はゼロにならないと動かない人間なのでしょうか、たった7人ですからとにかく選手たちを一生懸命見るようにしました。必死で見ていますから、コートの内外での変化を見逃さないようになりましたよ。例えば、着てくる服や髪型が変わっていたら、一言声をかける。メールには絵文字を使う。これははずせないですね。男性の世界では本当にどうでもいいことばかりです。「これ、可愛い~」とか、時間の無駄としか思えないことをいつまでも話しているのが女性です。でも、こうしてこまめにコミュニケーションを取るとやはり違うのですよ。
男性と女性では、伸び方も違います。男性は直線の階段を登っていきますが、女性は螺旋階段です。おまけに、作り上げて登って行ってもまたすぐに元に戻ってしまいます。もちろん一概にはいえませんが、男性は論理的な説明をわかってくれますが、女性は「この人にどう見られているか」とか序列とか、様々なものがからみあっていることがあります。ヘトヘトになっている女子選手に、焼肉などを食べさせて論理的に説明すると「わかります」と言います。その後、男性はすぐに変わりますが、女性は変わらないことが多いです。
女性は男性が描いていたストーリーを容易に折ってしまうこともあります。予定通りに進まずにこちらはイライラします。でもそこをぐっと抑えて「いいね」と一言言えば、その後、気分よく過ごせるのです。女子チームの監督はこれの繰り返しです。おかげで髪の毛が真っ白になりましたが(笑)。でもそうやってコミュニケーションをとっていけば、情も湧いてきます。ですが、信頼はしても信用はしてはいけません。絵筆のかわりに人で絵を描くのが私たち指導者の仕事ですから。
序列について言えば、女子チームをうまく生かそうと思ったら2トップにすることです。タイプの異なる2人をトップにします。するとお互いがいい意味で牽制しあって、良い方向に行きます。全日本女子では吉原(知子さん)と竹下(佳江さん)を2トップにしました。
吉原に関しては、ある程度の演出が必要でした。選手たちに、監督とキャプテンはコミュニケーションがとれていると思わせるためです。例えば、みんなに見えるようにコートの端に呼んで話をしたり、結果を出すスピードを上げたい時に、彼女にその方法を話したり。キャプテンに立場を作ってあげないとチームがふにゃふにゃになってしまいます。「内緒だぞ」と言うと翌日必ず広まるので、広めて欲しい時には「内緒だぞ」と言うこともありました(笑)。
バレーボールはミスのスポーツです。ミスが多くても勝つことがありますし、完璧なバレーをしたと思っても負けることがあります。でも、どちらの結果になっても、勝った瞬間はスタッフと選手は抱き合って涙を流しますし、負ければ私の責任ですからね。その瞬間にきちんと受け止めて、今後の方向性を考えておかなければなりません。 (後編に続く)
(文:河崎美代子)
中編はこちらから↓
リレーインタビュー 第5回 柳本晶一さん(後編)
生年月日 : 1951年6月5日
出身 : 大阪府大阪市
元バレーボール選手(元全日本代表)
2004年アテネオリンピック・2008年北京オリンピック
バレーボール全日本女子代表監督
身長 : 182㎝
略歴
1970年 : 大阪商業大学附属高等学校卒業後、帝人三原入社、
第2回実業団リーグ出場
1976年 : モントリオールオリンピック4位(全日本男子)
現役時代はセッターとして活躍する。
1980年から監督兼任。1991年選手を引退し、監督専任となった。1997年、Vリーグ女子・東洋紡オーキス監督に就任し、就任2年目でVリーグ初優勝、日本リーグ時代を通じて初めて、自分の指揮する男女チームを優勝させた。
2003年2月 : 全日本女子チーム監督に就任し、低迷していたチーム復活の立役者としてアテネ・北京、2大会連続でオリンピックへと導く。著書に『人生、負け勝ち』(2005年幻冬舎刊)
2010年 : 関西を拠点に五輪出場経験者らで「アスリートネットワーク」を立ち上げ、次世代にスポーツの魅力を伝えていく活動を始める。
監督就任時代の全日本女子チームの成績
2003年 : 2003ワールドカップ5位
2004年 : アテネオリンピック5位
2005年 : 第13回アジア女子選手権大会3位
2006年 : 第15回世界選手権6位
2006年 : 第15回アジア競技大会2位
2007年 : 第11回ワールドカップ7位
2007年 : 第14回バレーボールアジア女子選手権大会優勝
2008年 : 北京オリンピック世界最終予選兼アジア大陸予選3位(出場権獲得)
2008年 : 北京オリンピック5位