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リレーインタビュー 第11回 長沼祥吾さん(前編)

「コーチ道リレーインタビュー」では、指導者の先達である方々、指導者として現在ご活躍の方々のインタビューをリレー形式でご紹介しています。今回は、株式会社ユニクロ女子陸上競技部の長沼祥吾監督にお話を伺いました。

高校生の頃、箱根駅伝出場を目指した長沼さんは、筑波大学に入学したものの、怪我のせいで断念せざるをえませんでした。しかし指導に興味を持ち、大学院で専門的な知識を学び、営団地下鉄、アコムなど実業団チームの指導者になりました。廃部の憂き目にも遭い、さまざまな経験をした長沼さんですが、陸上競技への飽くなき情熱が数々の出会いを生み、新しい扉を開くきっかけとなりました。

これからの日本陸上界を牽引する一人である長沼さんが、指導者として選手に求めること、実業団チームで学んだこと、そして「長沼流 科学的根性トレーニング」について、前・中・後編の3回にわたってご紹介します。

(2017年11月 インタビュアー:松場俊夫、河崎美代子)

◎指導者になったきっかけについて教えていただけますか?

高校生の時に、国立大学で箱根駅伝を走りたいと思ったのですが、国立は筑波大学しかありませんでした。できれば推薦が欲しかったのですが、私の実績はインターハイに出る程度でしたし、同期に女子柔道72キロ超級日本一の生徒がいて、彼女が推薦で行くことになりました。先生に「あとは勉強するしかないな」と言われて一般入試を受験し、何とか合格できました。当時、筑波大学といえば教員の道に進むのが普通でしたから、大学で箱根を走り、華々しい成績を持って故郷の長崎に帰り、教員になる、という予定でいたのですが、箱根駅伝には出られませんでした。

1年生の時、非常に調子が良くて、「3区はお前に賭ける、お前を使う」とコーチに言われて張り切っていたところ、なんと翌日に疲労骨折ですよ。その年は間に合わなくて出場できず、2年になってからは新しいコーチと合わなくて、魂の入らない練習ばかりしていました。おまけに、山梨学院大学などの私立大学が駅伝に力を入れ始めたため、選手が筑波に入って来なくなったのです。その結果、チームとして出場できなくなり、箱根駅伝出場は断念せざるを得ませんでした。

元々私は3000メートル障害の選手で自己記録は伸ばしていたのですが、箱根も走っていないですし、大学を出る頃には、選手として続けることよりも指導に興味を持つようになりました。実を言うと私は、ちゃんとした指導を受けた経験があまりなかったのですよ。他の学校の先生がアドバイスをしてくれることもありましたが、自分で考える面白さがありました。コーチング論、運動生理学や栄養学、故障が多くスポーツ医学にも興味があったので、大学卒業後は専門的な勉強をしたいと思うようになり、卒業後、1年間の研究生生活を経て、大学院に進みました。

私は高地トレーニングに興味がありました。大学の卒論のテーマも低酸素、低圧トレーニングで、研究するにつれ、高地に行って実践したくなりました。当時の陸連が高地トレーニングをやっていたので、「私も勉強したいので、トレーニングの結果を教えていただけますか?」と、陸連に直接電話を入れたところ、浜田さんという方が色々と教えて下さったおかげで実現できました。奨学金などを貯めていたので、後輩何人かと、共感してくれた他の大学の先生の教え子たちの分も、費用は全部私が払いました。教育者だった親が、生活費は出してやるから大学院の奨学金は研究に使いなさいと言ってくれたり、高額な血液検査を大学のスポーツ医学の先生が持ってくれたり、本当にありがたかったですね。

その後、論文をまとめて、陸連でその話をした時に「大学院を卒業したらどうするの?」と聞かれ、「実業団を希望しているのですが、なかなかないんですよ」と言ったら、何日か後に「営団地下鉄(現・東京地下鉄)が指導者を探している」という話をいただいたのです。ゼロからの立ち上げに興味もあったので挑戦することにしました。

今思えば、本当に色々な方にお世話になりました。恵まれていたと思います。様々な出会いがチャンスをくれたのですね。でも私は元々、自分からどんどん働きかけるタイプだったのですよ。高校生の時にも、諫早高校に陸上競技の指導に定評のある先生が来たと聞いて、「練習について教えてほしい」と電話したこともあります。図々しいというか(笑)、そういうことはいとわない人間です。

◎営団地下鉄のチームはゼロから立ち上げたとのことですが、どのようなところから始めましたか?

まず、欲張って男子も女子もやりましょうと言いました。地下鉄は男性社会ですから、最初は男子のチームが作りたいという話だったのですが、女子選手が力をつけてきたところでしたし、男性社会ならなおさら女子を応援してくれるんじゃないかと思いました。会社側もまだ素人でしたから、私の熱弁に首を縦に振ってくれました。私は怖い者知らずの26歳の若輩でしたが、たまたま理解のある総裁がいらしたので受け入れてくれたのだと思います。女子は筑波大学の後輩の嶋一葉(現在、長沼祥吾さんの奥様)と小幡佳代子、男子は大学の先輩の教え子2人、その4人で始めました。

男女一緒に指導するのは珍しいことだとよく言われますが、陸上競技の選手を指導するのに基本的に男女差はないと思います。技術的には変わりません。ただ性差はありますから、その部分を客観的に説明すると、伝わりやすいように思います。感情の方に寄ると反発されることもあるので、なるべく理論的に話しました。アプローチも男女の差をつけることはあまりせずに、陸上選手としてどうあるべきかを話しました。

陸上競技で強くなるためには、何よりも陸上競技第一でなければなりません。この基本に男女の差はありません。トレーニングの生理的な効果や技術にも差はないと思います。例えば、女子は男子より筋力が弱いですが、骨格も違いますから、走り方やトレーニングの負荷に差はあっても、メカニズムや原理原則は変わりません。アスリートとして必要なものは共通していると思います。

ユニクロの監督になった時に気づいたのは、練習や試合のタイムは良くても、取り組みが甘い、陸上競技が第一ではない選手がいるということでした。ですから、昨年は「ちょっと違うな」という違和感との闘いでした。それが成績にも影響していましたから、2年目の今年は陸上競技第一という原点に帰った指導を始めているところです。

◎営団地下鉄の陸上部は残念ながら廃部になりましたが、その後のお話を聞かせていただけますか?

2000年に日比谷線の脱線事故があり、活動が自粛になりました。1年目に入ってきた選手が全国大会で入賞したり、代表選手に選出される手前まで来ていて、目立ち始めていたのですが、「試合に出るな」と言われてしまって。「いつまでですか?」「わからない」と。被害者の方々やご遺族の心情を考えたら仕方のないことなのですが、陸上部は今からという時でしたし、マラソンでも先頭集団で走るようになってきていたので、選手がかわいそうでした。さらに当時の実業団には、廃部にならないと移籍できないというルールがありましたから、結局廃部にしてもらいました。

嶋と小幡、もう一人マラソン選手の男子と4人で営団地下鉄を出たのですが、先のことは何も決まっていませんでした。とにかく、食っていかなければならないので、海外の大会に出て賞金を稼ごうということになり、知り合いのいるアメリカのコロラド州ボウルダーに行きました。ボウルダーでは営団地下鉄にいた時に貯めたお金で3人の面倒を見ながら、シカゴマラソンを最大のターゲットとして、ロードレースで微々たる金額ながら賞金を稼ぎつつトレーニングを継続しました。

ちょうどその頃、地方から声がかかったのですが、富士通の木内敏夫監督から「仕事が見つかりにくい地方には行かないほうがいい」と、富士通の寮に住ませてくれました。早速、富士通の寮に入って就活を始めたところ、アコムの話が来たのです。営団地下鉄廃部から約6か月後のことです。選手たちは先のことも考えずに、よく私についてきたなと思いますよ。今思えばミラクルのような話でした。(中編につづく)

(文:河崎美代子)

中編はこちらから↓
リレーインタビュー 第11回 長沼祥吾さん(中編)

後編はこちらから↓
リレーインタビュー 第11回 長沼祥吾さん(後編)

【長沼祥吾さんプロフィール・指導歴】

生年月日:1968年7月27日(49歳)

学  歴:1987年03月 長崎県立長崎西高等学校 卒業

1991年03月 筑波大学体育専門学群 卒業

1994年03月 筑波大学大学院修士課程・体育研究科コーチ学専攻 修了

指 導 歴 :1994年04月〜2001年03月 帝都高速度交通営団(営団地下鉄)・監督

2001年10月〜2010年03月 アコム株式会社・監督

2013年04月〜2014年03月 TOTO株式会社・ヘッドコーチ

2016年04月〜       株式会社ユニクロ・女子陸上競技部監督

その他 :2006年 国際千葉駅伝・女子日本代表チーム監督

2007年 大阪世界陸上・日本代表チーム/女子マラソン担当コーチ

2008年 横浜国際女子駅伝・日本代表チーム監督

2008年 北京オリンピック・日本代表チーム/女子マラソン担当コーチ

2011年02月〜2013年03月 文部科学省「チームニッポン」マルチサポート事業女子マラソン担当

2014年04月〜 独立行政法人日本スポーツ振興センター・マルチサポート事業男女マラソン担当

2015年04月〜 独立行政法人日本スポーツ振興センター・マルチサポート事業女子マラソン担当

指導実績:小幡佳代子(マラソン) ベスト記録 2時間25分14秒

1999年 セビリア世界陸上・女子マラソン8位

2000年 大阪国際女子マラソン5位(シドニーオリンピック補欠)

2006年 ドーハ・アジア大会・女子マラソン銅メダル

     長沼一葉(マラソン) ベスト記録 2時間33分50秒

2001年 シカゴマラソン7位

2002年 東京国際女子マラソン8位

     桑城奈苗(800m・1500m)

2005年 全日本実業団対抗選手権大会・女子1500m・2位

2007年 日本選手権・女子1500m・2位

     早川千聖(800m・1500m)

2003年 日本選手権・女子800m・3位(アジア選手権日本代表選手)

2004年 全日本実業団対抗選手権大会・女子1500m・2位

     世界クロスカントリー大会・日本代表選手 3名輩出

     全日本実業団対抗女子駅伝出場 のべ5回(営団地下鉄1回/アコム4回)

     都道府県対抗女子駅伝/東日本女子駅伝・東京都監督(2005〜2009年度)

☆株式会社ユニクロ 女子陸上競技部