「コーチ道リレーインタビュー」では、指導者の先達である方々、指導者として現在ご活躍の方々のインタビューをリレー形式でご紹介しています。今回は、株式会社ユニクロ女子陸上競技部の長沼祥吾監督にお話を伺いました。
高校生の頃、箱根駅伝出場を目指した長沼さんは、筑波大学に入学したものの、怪我のせいで断念せざるをえませんでした。しかし指導に興味を持ち、大学院で専門的な知識を学び、営団地下鉄、アコムなど実業団チームの指導者になりました。廃部の憂き目にも遭い、さまざまな経験をした長沼さんですが、陸上競技への飽くなき情熱が数々の出会いを生み、新しい扉を開くきっかけとなりました。
これからの日本陸上界を牽引する一人である長沼さんが、指導者として選手に求めること、実業団チームで学んだこと、そして「長沼流 科学的根性トレーニング」について、前・中・後編の3回にわたってご紹介します。
(2017年11月 インタビュアー:松場俊夫、河崎美代子)
前編はこちらから↓
リレーインタビュー 第11回 長沼祥吾さん(前編)
アコムの陸上部は、メインが女子の駅伝、男子はマラソンと中距離で、営団地下鉄と同じようにゼロからの立ち上げでした。営団地下鉄の頃は「あそこまで言うか」と言われるぐらい、女子にもかなり厳しい指導をしました。自己管理ができていない、やればできるのにやっていなかった選手がいたのですが、それでも駅伝に出場できたのは、「あの時の厳しい指導があったから」と言っていましたよ。あの熱さはアコムの時も変わりませんでしたね。一生懸命でない選手がいたら厳しく叱りました。給料をもらって、会社のお金で陸上やらせてもらっているのにふざけるなと。
アコムでは、営団地下鉄廃部後の経験がありましたから、お金をもらいながら好きな陸上ができる幸せを感じましたし、安心感もありました。営団地下鉄は一般企業と比べると経費が少なく使い方も厳しかったのですが、そういう硬い会社を最初に経験したことが役立ちました。また、私たちが陸上競技に打ち込めるのは乗客が払う運賃、百何十円かの積み重ねのおかげであることを教えてもらえました。とてもありがたかったです。
それに営団地下鉄の場合、陸上部が廃部になっても選手は職員として会社に残ることができたのです。ですから、選手のほとんどを会社に残しました。陸上で食っていける選手は5分の1ぐらいでしたから、それでよかったと思います。男子は収入の土台がないと大変ですからね。それを考えると営団地下鉄はとてもいい会社でした。
アコムは9年ぐらいで廃部になりました。消費者金融は過去にさかのぼって金利を返せという金融庁のしめつけがあり、法律が通った瞬間に4500億円の赤字ですよ。会社もついにリストラをすることになり、早期退職を募り始めた頃、陸上競技で世に出ることが是か非かの声が社内で起きました。ついに廃部が決まり、会長が陸上部全員を集めて「君たちの夢を奪うことになってしまって申し訳ない」と頭を下げてくれました。会長は陸上部立ち上げの時に社長だった方です。
でもアコムの陸上部は、消費者金融のイメージがあまり良くない時に、みなさんに応援してもらったおかげでいい効果を上げていたのですよ。ある社員からこんな話を聞きました。その人はアコムに勤めていることを近所には隠しているつもりだったのですが、駅伝をテレビで観た近所の人に翌日、「アコムさん、昨日がんばっていましたね」と言われて驚いたのだそうです。その人は「この会社にいてよかったと初めて思った。ありがとう」と陸上部の事務局にわざわざ電話をしてきてくれました。とても嬉しかったですね。実業団のチームにとって、外部だけでなく、その会社で働くみなさんに「陸上部があってよかった」と思ってもらうことこそが一番です。私たちは利益を生み出すわけではなく、ただ食い尽くすだけなので、そういう所につなげていかないと存在価値がないと思いますし、社員のみなさんに応援に来てもらえると私たちも自分たちの価値を実感することができます。
アコムの後は、JOCのナショナルコーチアカデミーを受講し、JOCのマルチサポートの仕事をしている時にTOTOのヘッドコーチを1年やりました。再びマルチサポートに戻っていた時に、ユニクロが鈴木監督の後任を探していると陸連から話が来て、今に至るというわけです。
シドニーオリンピックの女子マラソン選考会(2000年の大阪国際女子マラソン)で、本気で代表を狙いに行ったのに獲れなかった時のことですね。小幡佳代子です。最終的に補欠代表に留まりました。
当時の女子は高橋尚子を筆頭にレベルが高かったので、2時間20分を切るぐらいの実力がないと代表には選ばれないという状況でした。前年の世界陸上で小幡は8位に入りましたが、高橋は棄権していましたし、小幡よりも力のある選手、小幡と同レベルの選手が何人もいました。彼女たちに勝つには2時間20分を切る力を身につけなければいけないのですが、5000メートル、10000メートルの走力は普通でしたし、オリンピックに行けるだけの魂は持っているものの、身体面やスピードが届きませんでした。選考会の途中、30キロ過ぎからみぞれが降ってきて、おまけに向かい風で、そこまで小幡は2時間22,3分のペースだったのですが、結局、2位に入った弘山晴美が2時間22,3分、小幡が5位で2時間25分ぐらいでした。
彼女たちに勝つために取り組んだ約半年間、練習に対するアプローチの仕方、頭がフル回転したことが一番印象に残っています。選考会の前には生まれて初めて胃痛でご飯が食べられませんでした。あの時のように、オリンピックに懸ける強い気持ちを選手も私も共に持って、一緒に目標に向かって行ったことはその後ありませんし、そういう選手にもめぐりあっていません。
まず身体的能力、素質があることが大前提ですが、マラソンに懸ける気持があるかどうか、これだけです。絶対にオリンピックに行きたいという強い意志を本人が持たないと私たちはどうしようもありません。私たちがオリンピックに導くのではなくて、そういう思いをもっている選手たちを連れて行くための道筋を作るのが私たちの仕事なのです。気持がない者にオリンピックを目指そうなどと言っても、馬の耳に念仏ですよ。ですから気持を持っている選手に出会えるかどうかが大事なのですが、当時のようにワクワクしていた頃に比べると今は、残念ながらマラソンにそこまで懸ける選手が少なくなっている気がします。
有森裕子は、これまでのマラソン選手で確実に三本の指に入る努力をした方だと思います。高橋尚子や野口みずきは金メダルを獲っていますが、彼女たちと努力という点では変わりません。金メダルを獲るには素質が不可欠ですが、有森にはメダルを獲るアスリートとしての資質があったのです。あそこまで苛酷な練習をやりきるというのはすごいことです。
今の選手は彼女たちと対極にいるような気がします。走れない理由を、自分ではなく他に求める選手が増えました。マイナス要素を自分に求める者は強くなります。もちろん外的要因や指導者の責任もありますが、走れない理由を何に求めるかという思考自体が変わってきました。情報が多すぎる時代ですし、自分の非を認めるのはつらいことだとは思います。ですが、ほんとうに強くなる選手というのは、そこが違うと感じています。夢に突き進む者は、その夢を叶えるためにうまくできるかどうかの原因は自分にあると考えるものです。昔より環境が良くなり、スポーツ医学も進んで、靴もウエアも何一つ20年前より悪くなっているものはない今、悪いのは成績だけです。原因は多分そこに行き着くのではないかと思います。
そうした考え方をどう育てるのか、どのように指導していくのかが課題です。実業団ですと一番若くて18歳ですが、それまでの教育や環境がありますから、18歳から変えられることは少ないです。特に、親の教育で植え付けられたものはなかなか変えられません。その部分に昔と今では大きな違いがあるような気がします。指導から5,6年離れた後に出会った選手たちは、かつての選手たちとだいぶ質が変わっていました。体も弱くなっていましたし。
ですから、原点に戻って「陸上競技第一」と言い続けるしかないと思ったのです。精神的に落ち込んだり、言い訳をしたり、体調が悪いと言って練習しない選手がいると、他の選手が疑いの目で見るようになり、チームの和が崩れます。必死にやっても走れない選手はまわりにいい影響を与えることがありますが、素質があるのに必死にやらない選手がいると、そこが逃げ場になってしまいます。「陸上競技第一」なんて当たり前のことを今更、と思うのですが、あえて旗をあげなければと思っています。(後編に続く)
(文:河崎美代子)
後編はこちらから↓
リレーインタビュー 第11回 長沼祥吾さん(後編)
生年月日:1968年7月27日(49歳)
学 歴:1987年03月 長崎県立長崎西高等学校 卒業
1991年03月 筑波大学体育専門学群 卒業
1994年03月 筑波大学大学院修士課程・体育研究科コーチ学専攻 修了
指 導 歴 :1994年04月〜2001年03月 帝都高速度交通営団(営団地下鉄)・監督
2001年10月〜2010年03月 アコム株式会社・監督
2013年04月〜2014年03月 TOTO株式会社・ヘッドコーチ
2016年04月〜 株式会社ユニクロ・女子陸上競技部監督
その他 :2006年 国際千葉駅伝・女子日本代表チーム監督
2007年 大阪世界陸上・日本代表チーム/女子マラソン担当コーチ
2008年 横浜国際女子駅伝・日本代表チーム監督
2008年 北京オリンピック・日本代表チーム/女子マラソン担当コーチ
2011年02月〜2013年03月 文部科学省「チームニッポン」マルチサポート事業女子マラソン担当
2014年04月〜 独立行政法人日本スポーツ振興センター・マルチサポート事業男女マラソン担当
2015年04月〜 独立行政法人日本スポーツ振興センター・マルチサポート事業女子マラソン担当
指導実績:小幡佳代子(マラソン) ベスト記録 2時間25分14秒
1999年 セビリア世界陸上・女子マラソン8位
2000年 大阪国際女子マラソン5位(シドニーオリンピック補欠)
2006年 ドーハ・アジア大会・女子マラソン銅メダル
長沼一葉(マラソン) ベスト記録 2時間33分50秒
2001年 シカゴマラソン7位
2002年 東京国際女子マラソン8位
桑城奈苗(800m・1500m)
2005年 全日本実業団対抗選手権大会・女子1500m・2位
2007年 日本選手権・女子1500m・2位
早川千聖(800m・1500m)
2003年 日本選手権・女子800m・3位(アジア選手権日本代表選手)
2004年 全日本実業団対抗選手権大会・女子1500m・2位
世界クロスカントリー大会・日本代表選手 3名輩出
全日本実業団対抗女子駅伝出場 のべ5回(営団地下鉄1回/アコム4回)
都道府県対抗女子駅伝/東日本女子駅伝・東京都監督(2005〜2009年度)