「コーチ道リレーインタビュー」では、指導者の先達である方々、指導者として現在ご活躍の方々のインタビューをリレー形式でご紹介しています。今回のインタビューは、日本パラサイクリング連盟ナショナルヘッドコーチの沼部早紀子さんです。
大学在学時に自転車競技を始め、一度引退しながらも復帰、日本代表選手としても活躍されました。競技引退後はパラサイクリングのコーチとして、パリ2024パラリンピックで日本代表チームを指導。出場したすべての選手が入賞し、杉浦佳子選手は女子個人ロードレースで2大会連続の金メダルを獲得しました。
パリ大会に向けてのチームビルディングの苦労、パラアスリートへの取り組み方など、沼部さんのお話を3回にわたってご紹介します。
(2025年3月 インタビュアー:松場俊夫)
私は競技者として自転車競技に足を踏み入れてから、オリンピックのような最高峰の大会を目指してやってきましたが、選手としてそこに到達することはできませんでした。ですが立場が変わりパラリンピックに行けたことは、私の人生の中で今後のキャリアを考える大きな分岐点になったと思います。パリ大会がゴールではないですし、新しいチャレンジの答え合わせをすることで様々な課題も見つかりました。通過点として大きな経験になったと思っています。
あの期間は本当に特別な経験をさせていただきました。準備から始まり、東京大会が終わってから3年しかない、その間に私は育成コーチから再びヘッドコーチになりチームをまとめる存在になりました。それからはまずパリに行くことが目標、行けることになってからは結果を出すという3年間を過ごしました。パラリンピックに出ること自体が大変でしたので選手と一丸となってやるしかありませんでした。チームは人の集まりですからスムーズに行くことばかりではなく、パリに行けても簡単に結果を出せるわけではありません。自転車競技はレースの期間が2週間と長いのですが、なかなか結果が出なかった前半戦が選手にとってもコーチにとっても辛かったです。世界選手権の時の「もう少しで金だったね、惜しかったね」と言う気持ちとは違い「大丈夫、次があるよ」と常に鼓舞していかなければいけないのも特別でした。私にとって初めてのパラリンピックでしたから一層そう思いました。
ですが辛い前半戦を経て、まるでドラマのように最後の最後に杉浦佳子選手が金メダルを取ってくれたことで、すべてが報われたと感じました。選手にはあれほどの力があったのだと痛感し、自分がコーチとしてやるだけのことが本当にできていたのか、足りない部分が多かったのではないかという振り返りをしました。
東京大会の時にはコミュニケーションなど様々な問題が起き、チームとしてうまくまとまらなかったので、私は一度チームを離れました。2019年から日本パラサイクリング連盟でコーチをしていたのですが、2021年、あと半年で東京大会というタイミングで「他の皆さんにお任せします」とヘッドコーチを辞めたのです。その後は下の年代の育成をやっていたのですが、再び新しいコーチのもとで問題が起き、私がいきなり辞めてチームを預けてしまったことに責任を感じました。そこで自分のやり方でもう一度やってみようと思い、2022年から戻ったわけです。
そこからチームを組み立て直すのは大変でした。選手との信頼関係を築き直すところから始めなければなりませんでしたし。まず組織のうまく行っていない部分を一つ一つ解決していく作業をして、それができて初めて質が高い合宿ができるようになっていきました。1年ぐらいかかりました。まだパリ大会に行けるかどうかもわからない時で、もう辞めるなんて言えませんし、その期間が最も苦しかったですね。
コミュニケーションの時間を作って、まず選手の話を聞くことです。それまでこのチームは上からの指示で動くことが多かったのですが、選手は確実に成長していましたし、年齢も上がっていたので、ある程度選手の意見を聞くようにしないとだめだと思いました。その代わりまだ自分で考えられないような若い選手は、自分で考える方向に持っていきつつも、ある程度こちらから指示するようにしました。
その頃から、選手はそれぞれ違いますし男女差もあるので個別のアプローチを意識し始めました。でも方法がよくわからなかったのでオリンピックチームのコーチに教えてもらったり、日本体育大学のエリートコーチアカデミーで学ぼうと思いました。そこで初めてコーチングを学び、コミュニケーションの重要性を実感しました。そこでまず選手の話を聞く時間を作り、話の意味がよくわからなくてもとにかく傾聴し、こちらからは問題点だけを話すようにしました。
それは信頼関係を立て直すためだったのですが、監督や他のスタッフからは「甘いのではないか」「選手の言うことを聞き過ぎなのではないか」と言われました。「今は聞く時間なんです」と言いつつ、当時はまだ自分なりのコーチング方法が定まっていない時期で、「そうなのかな」と思うこともありました。そんな揺れる期間が1年半ほど続きました。
2022年の世界選手権の頃ですね。あの大会に私は帯同していなかったのですが、結果を聞いて強くなったなと思いました。選手の成長を目の当たりにし、全員が目標にしていた結果が出せて、自分のやり方は間違っていなかったという感触を得ました。トップダウンで固めるのではなく、選手に主体性を持たせたことが良かったのかもしれません。また、エリートコーチアカデミーで多くのコーチと接する中で、みな同じように模索していることを知り、「ああ、こういうものなのだ」と思いました。答えを作るのではなく、他のコーチの良いところは真似したりして、リーダーシップを取ることにも少しずつ自信がついてきたと感じました。
確かに難しいですね。個人種目であるだけでなく、選手の障害によってクラスが様々あり、現在のチームメンバーは全員違うクラスです。ということはチーム内にライバルがいないわけで、それは脆い状態だと言えます。
だからこそ、自分のクラスでパラリンピックの出場枠が取れたからいいやと言うのではなく、全員が行けるように、一つでも枠を多くとるために、全員が選手権で一つでも上の順位でポイントを加算していくことが大事なのだということをチーム全体で共有するようにしました。日本チームとして全員でレベルを引き上げ、1ポイントでも多く取って一つでも多く枠を取ろうと。そして枠が取れたら、チーム内で私が一番メダルを取れる可能性の高い選手ですと言えるように、高いモチベーションを持ってほしいとも伝えました。
最初はなかなか理解してもらえませんでした。でもクラスによっては、出場する選手のレベルが低くても、クラスの人数が少ないと成績に確実につながることもあり、それがチームの評価につながります。だからチームとして戦わなければいけないのです。それが選手にとって理解しづらいところでしたが、同じ意識を共有することは絶対に必要でした。パリ大会の直前まで共通認識として全員が理解することはなかったと思いますが、とにかく全員で同じ方向を向くという雰囲気作りをしました。
ただ、難しいと思ったのは選手の中でリーダーシップを取ってくれる選手がいなかったことです。経験が豊富だったり、年齢が上の選手にお願いしたかったのですが、個人競技なのでどうしても自分優先になってしまいます。自分の能力を上げるのが一番という選手に無理にリーダーシップを取らせるのは責任を負わせることになります。他の選手を気にして自分のことが疎かになってしまうことは避けなければなりません。そこで一旦それを諦めて、指示をする上の人たちと選手との間に自分が入り、普段発言しづらい兼務のスタッフたちの意見も現場に落とし込めるようにしました。(中編に続く)
(文:河崎美代子)
中編はこちらから↓
https://coach-do.com/interview/60-2/
◎沼部早紀子さんプロフィール
1985 年 3月 19日生まれ
栃木県小山市 出身
所属:一般社団法人日本パラサイクリング連盟
2008 年 順天堂大学 スポーツ健康科学部 卒
2009 年 9 月~2019 年3 月(一財)日本サイクルスポーツセンター勤務
2019 年 4 月~現在 (一社)日本パラサイクリング連盟 ナショナルヘッドコーチ
【戦績】 自転車競技トラック
2006 年 全日本選手権 500 M優勝
2006 年 アジア競技大会(カタール/ドーハ)500m タイムトライアル日本代表 4 位
2007 年 全日本選手権 500 M優勝
2010 年 アジア競技大会(中国/広州) スプリント日本代表
2013〜2014 年 パラサイクリング タンデムパイロット(視覚障害カテゴリー )
2014 年 アジアパラ競技大会(韓国・インチョン)トラック 1km タイムトライアル男女混合 優勝
ロードタイムトライアル男女混合 優勝
【コーチ歴】
2016 年〜2019 年 コンチネンタルサイクリングセンター修善寺(CCC修善寺)アシスタントコーチ
2019 年〜現在 (一社)日本パラサイクリング連盟 ナショナルヘッドコーチ
静岡県自転車競技連盟女子アスリート強化事業 コーチ
静岡県ジュニア強化育成事業 トラック競技コーチ
2018 年〜(公財)日本自転車競技連盟(JCF)女性スポーツワーキンググループ委員