スポーツ指導者が学びあえる場

リレーインタビュー 第22回 榎敏弘さん(前編)

「コーチ道リレーインタビュー」では、指導者の先達である方々、指導者として現在ご活躍の方々のインタビューをリレー形式でご紹介しています。今回は、石川県でスポーツを通じて数々の地域コミュニティビジネスを展開されている「地域プロデューサー」榎 敏弘さんにお話を伺いました。

剣道教士七段の榎さんは、長年中学校教員として剣道部を指導、強豪チームに育て上げました。その後、教育行政に携わっている時、総合型地域スポーツクラブに興味を持つようになり、NPO法人「クラブパレット」を設立。さらに、障害者スポーツの拠点として地域スポーツシステム研究所「ジョイナス」を設立し、教員退職後は障害者人材育成機構「カラフル・金沢」の理事長としても活躍されています。

スポーツを通じた地域づくりと人づくりの考え方、「剣の道」の人生への活かし方など、榎さんのお話を前・中・後編の3回にわたってご紹介します。

(2020年5月 インタビュアー:松場俊夫)

▷ 榎さんは「クラブパレット」「ジョイナス」「カラフル・金沢」と数々の地域コミュニティビジネスを立ち上げて来られました。これまでの活動についてお話しいただけますでしょうか。

初めに設立したのは「クラブパレット」です。中学の教員だった頃、中学の剣道部の監督として日本一を目指していました。同じ学校での勤務年数は普通4、5年のところ、11年も勤務していたため、教育委員会に出向になりました。教育委員会には9年おりましたが、その間に地域というもの、地域型スポーツクラブというものに興味を持つようになったのです。鹿児島県の太田さん(※リレーインタビュー第21回)との出会いもあり、NPOについてもっと知りたくなり、ドイツやイギリスを一人で回りました。

NPOにはアメリカ型とヨーロッパ型がありますが、発祥はイギリスと言われており、2度の大きな戦争で国力がなくなった時に市民による慈善事業として始まりました。その実情をこの目で見てみたかったのです。NPOというのは、元々4~5人の団体による小さな活動だったのですが、今や国を動かすほどの大きな活動をするようになりました。自分たちの強みを活かしながら、小さな組織同士が、お互いに補完し合い、様々なつながりを作って大きな仕事をしています。

日本に戻ってから、自分でNPOを立ち上げようと思い、まず総合型地域スポーツクラブに注目しました。当時、大阪教育大付属池田小学校の殺傷事件が大きな社会問題になり、多くの学校の門が閉められ施錠されました。学校が閉鎖すれば、学校は安全なのか、子どもたちは健全に地域の中で育つのかと疑問を感じた私は、2002年、学校をもっと地域に開かれた場にしようと思い、かほく市に「クラブパレット」を作りました。運営ノウハウはなく、地域の皆さんの知恵と力をお借りしながら、試行錯誤を重ね、まずは動くこと大切にして、やがて会員数が3000人に増え、NPOとしては大きな一億円規模の事業を経営する組織に成長しました。

その後、この動きをかほく市だけではなく、金沢地区でも広げたいと思うようになりました。そこで、新しい組織として地域スポーツのコーディネートやコンサルティングを行う一般社団法人地域スポーツシステム研究所「ジョイナス」を金沢市に作りました。

「ジョイナス」のテーマは「スポーツで飯を食う」ことです。スポーツをやっている人はたくさんいるのに、スポーツで飯を食っている人は少ないですよね。スポーツは文化ではありますが、飯を食う、つまり経済的価値を認めてもらえないと思いました。文化と経済という両輪を回す仕組みを作らなければいけないと思ったのです。

また、障害者がスポーツできる環境として、水泳、陸上、ボーリング、フットサル、軽運動、トランポリンなどの教室を運営し、障害者スポーツの支援にも力を入れてきました。そして、2012年学校の教員を辞めました。

▷ 教員のお仕事とNPOの運営を同時になさっていたのですか?

はい。当時の私は、教員に、部活の指導に、「クラブパレット」に、「ジョイナス」に、と一人で何兎も追っていました。NPOで若い職員を雇用し、学校勤務が終わった夜8時頃から時に夜中の1時2時まで彼らと一緒にクラブマネジメントをしていました。しかし次第に、公務員という安定した立場にいながら、若い人たちに「地域を変えよう」「スポーツで感動を与えよう」などと言っていることに違和感を感じるようになりました。リーダーたる自分が若い彼らがリスクを恐れず、地域や未来を語っているのに、公務員という安定した身でいることが苦しくなったのです。「指導者、リーダーたる者、リスクを背にして戦わずしてどうする」と思い、教員を辞めました。

とは言え、収入がゼロになるわけにはいきませんから、「クラブパレット」のGMになったのですが、教員の時のような安定収入を「クラブパレット」から得ることになるとクラブに負担をかけてしまいます。そこで別組織を作って、そこからの出向という形でGMをやらせてもらいました。まわりの若者たちの頑張りに自分も奮起して、40歳の時に地域スポーツで生きていこうと決めました。

私がイメージしているのは、福祉の分野、教育の分野と、ビジネスとスポーツをつなげた組織です。ホスピタリティとボランティア精神のある方々による福祉の分野での活動に、私の得意分野、つまり、教育分野であるフリースクールやスポーツ分野である地域スポーツクラブが関わることで相乗効果をあげていくという考え方です。

▷ 今も中学校の剣道部の外部コーチをなさっているそうですが、これまで、どのような指導をされてきたのでしょうか。

長年、かほく市の宇ノ気中学校で教員として11年、教育委員会で9年、学校に戻って来て4年、教員を辞めた後も宇ノ気中学校の外部指導者として指導を続けています。情熱、熱さだけは負けない、それしかないと思ってやって来ましたが、失敗もたくさんしました。子どもを駄目にしてしまったこともありますし、悩ませたこともありました。

私が若い頃の宇ノ気中学校剣道部は、県内では大変強くて、私が赴任していきなり女子が全国制覇できました。男子は9年ぶりの県大会優勝でした。剣道が非常に盛んな地域でスーパースターもたくさんいたのですが、実はずっと負けていたのです。地区大会や選抜大会や冬の大会では勝てるのに、最後の全国大会出場をかけた県体会だけ負けてしまう、そんな学校でした。

私が言い続けたのは「感謝しよう」という言葉でした。子どもたちは勝つことに慣れてしまって有頂天になっており、謙虚さのないチームだというのがすぐわかったので謙虚にやろうと思ったのです。もちろん稽古もたくさんしましたが。

剣道は5人制で一人2本取れば最高10本になりますが、10本勝って当たり前、1本でも足りなかったら、勝ち方が悪いと「完全な勝ちではない」と怒っていました。勝ちにこだわってきた結果、北信越で5年連続アベック優勝しました。

その頃は中学校では県内に相手がいなかったので、PL学園や宮崎県の高千穂高校などインターハイのトップクラスの学校に私がマイクロバスを運転して出稽古にも行きました。当時、全国大会で勝てなかったのは、勝てるチームなのに「俺についてこい」という「俺俺」の指導で、子どもが育っていなかったのでしょうね。6年目、冬の大会で全国3位になったので、そのチームで夏には優勝しようと思っていたのですが、県のベスト8で負けてしまいました。強いチームを作ったつもりだったのですが、本当の力が育っていなかったのだと思います。

5年も勝ち続けているとまわりは全員敵ですよ。審判も会場も3000人全部が敵に見えました。審判の旗がすこしでも動いたら会場がうおーと声を上げるという感じで。とても孤独でしたし、私の顔は常に鬼の形相で、みんなに「般若のような顔をしている」と言われました。ひたすら勝ちにこだわって、もちろん人間力を上げる努力もしましたが、今思えば恥ずかしい指導をしていました。結局、2年続けて決勝で負け、落ち込みました。指導をやめようかと思ったこともありましたが、これはもう自分が変わるしかないと思うに至りました。

▷ どのように変わられたのですか?

メンタルトレーニングを本格的に学び始めました。子どもたちには力があるのに、当日、大事な大会で力を出せない。それがとても悔しかったのです。指導者には二つあると思います。選手を強くする指導者と、大事な時に力を出させる指導者。前者はたくさんいると思いますが、後者は少ないのではないでしょうか。当時の私は、厳しい練習をして追い込んで、選手の力をつけました。しかし、大事な当日、パフォーマンスを出させるテクニックやコーチングができていませんでした。

それ以前にもメンタルトレーニングとコーチングを学んではいたのですが、常に鬼のような指導をしていた私には似合わないと思っていたのか、自分でもそうしなければいけないとわかっているのにできなかったのです。

結局、メンタルトレーニングとコーチングの効果が出て勝つことはできたのですが、もしかしたら、ただ私が引っ張っていただけなのではないか、子どもたちが本当に自分で自分の力を出したのだろうか、という疑問は残りました。(中編に続く)

(文:河崎美代子)

中編はこちらから↓
リレーインタビュー第22回 榎敏弘さん(中編)

◎榎 敏弘さんプロフィール

一般社団法人 障害者人材育成機構 カラフル・金沢 代表理事

一般社団法人 地域スポーツシステム研究所  代表理事

株式会社 ジョイナス 代表取締役

■生年月日      

昭和38年11月28日(56歳)  

■学歴

富山大学教育学部中学校教員養成課程美術専攻 S61.3卒業

独立行政法人金沢大学大学院人間社会環境学域公共政策専攻地域マネジメントコース修士H23.3修了

■職歴

教員(18年)、教育委員会等の勤務(9年)を経て、平成25年3月教員を退職

その後、NPO法人クラブパレット理事兼GMに就任

■競技歴

剣道教士7段 全国教職員剣道大会 7回出場  柔道初段

第52回都道府県対抗剣道優勝大会出場

第61回のじぎく兵庫国民体育大会剣道競技大会出場

■指導歴

団体  全国中学校剣道大会 優勝1回 3位2回 

全国中学校選抜大会 優勝3回

個人  全国中学校剣道大会 男子3位 1回 女子3位 2回

【関連サイト】

カラフル・金沢 

一般社団法人地域スポーツシステム研究所 総合型地域スポーツクラブ「ジョイナス」 

えのキングのブログ(榎 敏弘さんブログ)