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リレーインタビュー 第14回 酒巻清治さん(前編)

 「コーチ道リレーインタビュー」では、指導者の先達である方々、指導者として現在ご活躍の方々のインタビューをリレー形式でご紹介しています。今回は、トヨタ車体BRAVE KINGSのテクニカルディレクター酒巻清治(さかまききよはる)さんにお話を伺いました。

酒巻さんは湧永製薬ハンドボール部(ワクナガレオリック)でプレーし、日本代表としても活躍、現役引退後は湧永製薬を皮切りに、2005年、トヨタ車体の監督に就任、2008年~2012年まで日本代表チームの監督も務めました。

 1985年、ドイツへのハンドボール留学で世界への目が開いたという酒巻さん。海外の優秀な指導者との出会いを機に、理想的な指導者のビジョンを描きながら、「指導とは何か」「指導者とは何か」を常に考え、学び、実践して来ました。

より強くなるための様々なチャレンジ、これからのスポーツ界における指導者のあるべき形など、酒巻清治さんの熱い「指導者論」を前・中・後編の3回にわたってご紹介します。

 (2018年12月 インタビュアー:松場俊夫)

◎酒巻さんは現在、テクニカルディレクターを務めていらっしゃいますが、どのような役割なのでしょうか。

私は2005年からトヨタ車体の監督を務めていましたが、現在の男子日本代表のシグルドソン監督の指名で、2017年、代表チームのチームマネージャーを務めることになりました。彼はアイスランド人、外国人ですから、日本人スタッフとのコミュニケーションや、日本リーグと代表チーム、代表チームとハンドボール協会の間に立って運営面をサポートする人間が必要だったのです。実はシグルドソン氏は、私が湧永製薬の監督をしていた時の3年間(2000年から2003年まで)、湧永製薬の選手でした。彼はヨーロッパに戻ってから、コーチとして一挙に名を挙げたのですが、日本への思いが強く、東京オリンピックもありますので、日本の監督を引き受けたというわけです。

1年で代表チームを離れ、昨年からはテクニカルディレクターとしてトヨタ車体に戻り、主に、選手の「個」をトレーニングする、総合的な実力というよりもスキルにフォーカスすることを実践しています。

それからメンタル面ですね。私はヨーロッパの選手や指導者たちとの様々な経験の中で、メンタルの捉え方が自分が若い頃に言われたものとは違うと感じていました。ですから、「メンタルが強い、弱い」ではなく、「マインドセットがどれぐらいなのか、高いのか低いのか」に取り組まないと難しいのではないか、どの段階の選手にどのようなマインドセットが必要なのかを指導者が把握していないと難しいだろう、と考えました。

2008年から2012年、代表チームの監督を務めていた時、ロンドンオリンピックに向けてかなりハードなトレーニングをやっていたのですが、手ごたえはあるものの何かが足りないのです。最後、韓国に勝たなければならない時、世界最終予選でも勝負をしかけようとした時、選手たちが精神的にいっぱいいっぱいだったのです。選手たちにもう少し「自分の人生を懸ける」という思いがあれば違ったのではないかと思いました。

ですが、ハンドボールの選手が小さい頃から触れてきた環境を見れば、それが無理なことがわかります。ヨーロッパの場合は選手が自分でクラブを選びます。能動的に自分の道を決めていきます。対して日本の場合は、誰か他の人が決めた少ない選択肢の中から選んでいます。能動的に選んだ人間とは違います。そこにマインドセットの高低差があるのです。しかし、2015年のラグビーワールドカップ、南アフリカに勝った日本代表チームの例もあります。まったく不可能なことではありません。

今、私が改めてチャレンジしているのがその点です。かつてトヨタ車体に来た時にやりたかったこと、代表を指導してきて足りないと思ったことがいまやっとできています。私はスポーツ心理のプロではないので、ある大学の先生(スポーツ心理学)に依頼して、選手のメンタルを高められたらと考えています。「シュートの確率を上げたい」という時に、「自分でトレーニングを考える」「チームのトレーニング以外で努力する」、そういう選手を育てていきたいです。そのような選手が多くなればヨーロッパに近付けると思います。

よく「心技体」と言われますが、選手の「背骨」はマインドセットだと私は思います。私より年長の名監督と言われている方が「そんなもん無理だ。能力があるかないかだ」とおっしゃることがありますが、指導者がそれをいったら終わりです。選手の可能性を潰してしまっています。また、チームが経済的に豊かであれば、サポートスタッフを増やすことができるし、体育館の設備を充実させることもできるでしょう。ですが、だからと言ってシュートの確率が上がるわけではありません。大谷翔平やイチローのような選手、つまり、常に自分を高めることに貪欲な選手に少しでも近づこうと努力をする選手を私は育てたいのです。そうすれば日本の競技力は上がりますし、日本人なら必ずできると思います。

◎具体的にどのようなチャレンジをしていますか?

二つあります。まず一つ目は選手のスキルを徹底的に分析すること。日々のトレーニングを「個」にフォーカスして分析します。そこに自分のキャリアから個別にアプローチしていきます。選手に直接は響いていないと思いますが、知識がない選手がそのような知識を得た暁にどういう態度を取るかを見ています。まずはティーチングからです。

もう一つは、自分のことなのですが、いろいろな書物を読んでいます。たくさんの指導者から推薦してもらったりして情報を得ています。

日々のトレーニングの中では、極力気を付けて「この選手は本当にこのプレーをしたいのだろうか」と言う点を見ています。例えば、オーダーとしてはチームが日本一になるために、Aという選手に①と言うプレーをしろと言いますが、本当は②なのでは?③なのでは?と深掘りするようにしています。

それはつまり、そこまで考えていない選手が多いということでもあるのです。企業スポーツは、競技性を高めるメリット、高められないリスクを背負っているのですよ。正社員であれば通常業務との兼務のため、業務での業績評価はされるものの、コート上のパフォーマンスの「結果」で評価されることはあまりありません。負けて帰ってきても生活は変わらない。負けたからと言って厳しい環境に身をさらさなければならなくなることもない。ではそんな中で「今日のパフォーマンスで大丈夫なのか」と本心から考えることができるのだろうか。そこのギャップを明らかにする必要があります。

◎代表チームに入れる選手とそうでない選手は「自分の練習を持っているかどうかの違いだ」と言われます。両者のマインドセットは、どのように違うのでしょうか。

私が選手だった時には、そうしたことをじっくり考える暇はありませんでした。とにかく「ミスしないように」「迷惑かけないように」、そればかりです。大失敗の経験もあります。ソウルオリンピックの最終選考で下ろされた時のことです。当時の僕のニックネームは「ユーティリティープレイヤー」、つまり「オールラウンドプレーヤー」でした。それは言い換えれば「特色がない」「売りがない」ということなのですが、私はそんな自分を高く評価してしまったのです。結局、スーパースターでもエリートでもありませんでしたから、「迷惑をかけないように」そればかりで、殻を破ることができず、何か言っても「言い訳するな」と怒られる毎日でした。

今の選手たち、とくに球技の選手たちの「背骨」にも、そのような部分が色濃く残っていると思います。それを全部変えるとなると政治的な活動に時間を費やさなければならなくなりますから難しいと思いますが、今、自分に与えられた役割で、トヨタ車体の選手と向き合い、日本一という悲願を達成するために、改めてチャレンジさせてもらっています。それは十年以上前、「日本人選手はどうすれば強くなるのか」を考えた時の自分とまったく変わっていません。

ハンドボールの男子日本代表チームが最後にオリンピックに出場したのが1988年のソウルオリンピックです。その時はアジアに二つの出場枠が与えられていました。韓国は断トツに強く、中東の国はクウェートくらいしか出ていなかったので日本が出場できただけで、あまり気分のいい出場権獲得ではありませんでした。でもサッカー日本代表チームを見ればわかるように、一度出場できれば、必死になることで毎回出場することも可能です。日本サッカーは明らかにレベルアップしていますよね。

ではハンドボールはどうするか。体力、戦術、技術の前に何かあるだろう、と私は思うのです。選手はもちろんのことチームスタッフにまで及ぶマインドセットを高めること。これは大変重要なポイントだと考えています。特に選手との関係において、これはもう私のライフワークになりつつあります。それがないとコーチングが成り立ちません。団体競技とはいっても「個」の勝負なのですから。

◎とはいえ、日本人は他の国の人々に比べると、最も自我がないと言われていますね。エゴは悪いことだという考えがあります。

確かにそうかもしれませんね。私はこうも考えるようになりました。日本人はいつからそうなったのだろう。戦国時代、侍たちは自分が仕えるリーダーを次々と変えていました。「この人に付いたらまずい」と思ったら平気で鞍替えしていたそうです。フィジカルに関してもそうです。昔の関取の写真を見ると大層な肉を食べていたわけでもないのに筋骨隆々としています。日本人、何かおかしくなっていないか?日本人は良いDNAをもっていたのにどこでおかしくなったのか?それはもしかしたら戦争があったからか?そんなことを最近考えたりしています。

来年の東京オリンピックでは、世界のスタンダードにはならないまでも、「日本ではスポーツをこう捉えます。勝利至上主義ではなく勝利追及主義です」ということをアピールできるよい機会であり、ひょっとするとラストチャンスかもしれません。そのためには努力が必要ですが、私はそれでいいと思います。子供たちに指導する時にも、「どうやって勝とうか」と自分たちで考えさせます。勝利至上主義ではなく、勝利へのプロセスが大切なのです。だからと言って「強い相手には勝たなくていい」というのはスポーツではありません。ある競技団体の副会長のお話を伺って驚いたのですが、小学生や中学生の代表選手がそれぞれの年代の全国大会での勝利ばかりを目指していると、国際大会に対応できなくなる、だから改革をしたのだそうです。下の世代にとって、勝利至上主義は意味がないのです。 (中編につづく)

文:河崎美代子

中編はこちらから↓
リレーインタビュー 第14回 酒巻清治さん(中編)

後編はこちらから↓
リレーインタビュー 第14回 酒巻清治さん(後編)

【酒巻清治さん プロフィール】

昭和 37年 5月 7日生 

昭和60年 3月  愛知県豊田市・中京大学体育学部体育学科卒業

 同年      4月    湧永製薬株式会社 入社

 同年      5月    全日本チーム入り

 同年     10月    同期入社の玉村選手と当時の西ドイツブンデスリーガ2部 アイントラフト・ウ゛ィスバーデンへハンドボール留学

                      (期間:1985.10~1986.6)

平成 6年 2月    同社ハンドボール部監督に就任

平成 8年 3月    同社ハンドボール部監督を退任

平成 8年 3月    全日本男子チームのコーチ就任

          日本オリンピック委員会球技系サポートプロジェクトメンバー

平成12年  2月  全日本男子チームのコーチ退任

            ナショナルトレーニングシステムスタッフ

             (中国ブロックコーディネーター)

平成12年 4月  湧永製薬ハンドボール部監督に就任

平成16年 6月  湧永製薬退社

平成16年10月  スウェーデン・マルメ市に渡り、独自でコーチング研修。スウェーデン・デンマーク国内リーグ観戦。

ブンデスリーガ・SGフレンスブルグのチーム活動に参加。

平成17年 6月  トヨタ車体ハンドボール部 総監督に就任。

平成18年 4月  トヨタ車体ハンドボール部 監督に就任。

平成19年12月  男子日本代表チーム 監督に就任。

平成20年 4月  トヨタ車体ハンドボール部 テクニカルディレクター就任。

平成24年 4月  男子日本代表チーム 監督退任。

平成25年 4月  トヨタ車体ハンドボール部 監督に再任。

平成29年 3月  トヨタ車体ハンドボール部 監督退任。

平成29年 4月  日本代表男子チーム  チームマネージャー就任。

平成30年 3月  日本代表男子チーム  チームマネージャー退任。

平成30年 4月  トヨタ車体ハンドボール部 テクニカルディレクター就任。


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