「コーチ道リレーインタビュー」では、指導者の先達である方々、指導者として現在ご活躍の方々のインタビューをリレー形式でご紹介しています。今回は、元プロフィギュアスケーター、スポーツコメンテーターの八木沼純子さんにお話を伺いました。
八木沼さんは5歳でフィギュアスケートを始め、14歳の時に1988年のカルガリーオリンピックに出場。オリンピックがシニアの国際大会デビューということで当時話題になりました。数々の大会で活躍された後はプロスケーター、解説者、キャスターとして活動されていますが、現在、明治神宮外苑アイススケート場のフィギュアスケート教室で子どもから高齢者までの指導を行っています。
指導者になったきっかけ、最近の子どもたちの指導についてなど3回にわたって八木沼さんのインタビューをご紹介します。
(2023年1月 インタビュアー:松場俊夫)
前編はこちらから↓
https://coach-do.com/interview/43-1/
中編はこちらから↓
https://coach-do.com/interview/43-2/
福原先生はフィギュアスケート技術の引き出しが非常に多い方です。いわゆる教科書に出てくるエレメンツ(技術)とは関係がなくても、珍しいステップやジャンプ、マニアックな問題のようなものを色々と教えて下さいました。福原先生が教えて下さったことをプログラムに入れると、今でいう「つなぎの部分」や技術のふくらみができるのです。そうしたものも含めて様々なことを小さい頃からよく教えてもらいました。
福原先生は日本人で初めて海外のアイスショーで滑った方です。オリンピックに2度出場され、引退後はドイツのプロ養成所に所属、そこで様々なノウハウを学び、ブラッシュアップの練習をしながら、プロとしてアイスショーに出演なさっていました。ヨーロッパ各地でアイスショーに出演後、アメリカのアイスショー「ホリデイ・オン・ アイス」からプリンシパルとして招聘され、スケートを披露されていました。その後、日本に帰国する前にイギリスに渡り、プロとしての活動はせずに再び学ばれました。そうした中で習得したことやプロになってからの経験や技術を私たちに少しずつ教えて下さいました。
福原先生のように多くの技術を持つことは指導者として大切なことで、それを私も伝えていかなければならないと思っています。様々なことをやらせてみて、興味を持ってもらうことも大事だと思います。
おそらく子どもたちはなぜこんな練習に時間をかけるのだろう、なぜ毎日同じことばかりやっているのだろうと思っているはずですが、基礎となる土台ができて初めて新しいことにチャレンジできると私は考えていますので、それを子供たちに伝えながら指導をしています。
ですから、子供達に教える場合、飴と鞭ではないですが、同じようなルーティンの他に少し変わったことや楽しいことを取り入れて教えることも必要なのではないかと思います。テクニックを磨くことはもちろんですが、音楽を使うので色々な音に触れさせることも大切です。福原先生は、上の級を取った生徒たちをマイケル・ジャクソンやマドンナのコンサートに連れて行ってくれたことがありました。フィギュアスケートはエンタテイメント性、表現、音楽、衣装といった部分の引き出しを増やしていくことも必要なので、そうした感覚を掴んで欲しかったのだと思います。
福原先生は様々なことにアンテナを張っていらして、クラシックだけではなく、その他のジャンル、例えば、ミュージカル、映画、演劇といったものに興味を持つこと、絵を観ることやいろいろな本も読むことも必要だと教えてくれました。様々なジャンルの一流のものに触れさせて、子どもたちの視野を広げてくれたように思います。関係ないように思えるものも絶対にフィギュアスケートにつながっていく、それが自分の持ち味だと言えるようになるとおっしゃっていました。そのことは私たちの親にも伝えていました。私も生徒たちを連れていく機会があれば、同じように伝えていけたらと思っています。いまだに福原先生には教えられることがたくさんあります。
忍耐力、そしてコミュニケーション能力、個性の作り方です。私自身はいつも大人しく黙っているような子供だったのですが、反抗期をきっかけに先生に思いをぶつけるようになりました。生意気でしたから先生と喧嘩になったこともありますが、どうしてなのか、どうすればいいのか自分で考え始めたのはその頃だと思います。なぜできないのか、どうにかして答えを見つけようと探すようになりました。
高校生の頃からは、先生から選曲や振り付けも自分で考え、探し、踊ってみなさいと言われるようになりました。そこからは色々な音楽を聞くだけでなく、世界選手権などの他選手の演技を参考に研究するようにもなりました。以前よりも自分で想像して考えるようになったのは確かです。ただ親は生意気になったと思ったかもしれません。でも自分としては一つ皮を破り自分という個人を築いて、私はこうしたいと手を挙げて言えるようになったのは大きいと思います。
また、引退後にメディアの仕事をさせてもらった時、どうすれば視聴者の方々にフィギュアスケートを楽しんでもらえるか、それまでとは別の角度から自分の競技を考えられるようになったと思います。解説の仕事では、長く話していると音が終わってしまうので、短いセンテンスで確実に伝える必要がありました。面白いものでそこで学んだことが現在の指導にも役立っています。
引退後についた仕事でも研究することが大事なのではないでしょうか。私は何もわからない状態でメディアの仕事の世界に入りました。アナウンサーの方に2、3回話し方、原稿の読み方を教えていただきましたが、あまりにも分からない中で始まった新しい仕事だったので、毎日本番で話しながらも、家に帰ってからはNHKから民放まであらゆるニュースやスポーツ番組を出来る限り観ながら、声に出して反復する練習をしていました。
金メダリストである荒川静香さんも羽生結弦さんもみな努力家です。こうしたい!という思いと、プロとしてどのように進めば良いのかということが、自分の頭の中でも構築されていたのではないでしょうか。毎日の、これまでの練習のルーティンを続けながら、大きな責任感を持って自身をさらにブラッシュアップさせていると思います。フィギュアスケーターの場合、選手を引退してプロになってもそこでストップする人はいません。次の道ではその道を極めるために日々努力する方が多いのではないでしょうか。
私が指導している生徒さんのうち一番年下は3歳、一番年上が70代です。すべての年代の方にスケートを愛してもらい楽しんでいただきたいので、それぞれに合った道を進んでいければいいなと思っています。私はまだコーチとして歩み始めたばかりですから常に勉強しながらとなりますが、自分のコーチ道を歩んでいけたらと思います。
様々な指導者の方のお話を伺いたいと思っています。一つの競技にこだわることは「極める」という意味で大事ですが、そのためには様々な競技を見て、触れてみて、勉強することも選手の時以上に大切だと思っています。それを続けられるように頑張りたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。(了)
(文:河崎美代子)
◎八木沼純子さんプロフィール
生年月日:1973年4月1日
血液型:B
出身地:東京都港区
出身校:品川高校(現・品川女子学院)→早稲田大学
主な役職:アイスショー「プリンスアイスワールド」広報大使
早くから有望視され、出場した世界ジュニア選手権で2位となって連盟推薦枠を獲得。カルガリー五輪の選考大会であった全日本選手権に初出場し、彗星のごとく代表の切符をさらった。14歳という記録的な若さで、初のシニア国際大会が五輪という異例の出場を果たす。スピンの美しさを武器に、その後も数々の国際大会に出場した。大学卒業とともにプロに転向し、18年に渡ってアイスショー「プリンスアイスワールド」に出演。長くチームリーダーを務め、スケーティングディレクターを担当後、現在は広報大使として携わっている。また、スポーツキャスターとしても活動し、フィギュアスケート解説の筆頭格としてオリンピックの解説なども務めている。現在、明治神宮外苑アイススケート場でインストラクターとしても活動中。
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