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リレーインタビュー第44回 水鳥寿思さん(前編)

「コーチ道リレーインタビュー」では、指導者の先達である方々、指導者として現在ご活躍の方々のインタビューをリレー形式でご紹介しています。今回は、日本体操協会 男子強化本部長の水鳥寿思さんにお話を伺いました。

水鳥さんはご両親が元体操選手、ご兄弟のほとんども体操選手という体操一家で育ち、金メダルを獲得したアテネオリンピック団体決勝でつり輪に出場、世界選手権でも数々のメダルに輝きました。引退後、史上最年少の32歳で日本体操協会の男子体操代表監督・強化本部長に抜擢され、リオデジャネイロオリンピックではアテネ大会以来12年ぶりの団体金メダル、さらに東京 2020オリンピックでも団体銀メダルへと導きました。

監督就任時代の苦労、個人競技のチーム作りのための理想形、日本スポーツ界の将来に向けてのビジョンなど3回にわたって水鳥さんのインタビューをご紹介します。

(2023年3月 インタビュアー:松場俊夫)

▷ 水鳥さんは現役引退後すぐに監督・強化本部長になられ「スペシャリスト育成、選手主体の組織作り、ジュニア育成」という3つの柱を掲げましたが、これらは選手時代から必要だと感じていましたか?

選手時代はもっぱら自分自身がどのようにしたら代表になれるかということを考えていましたので、日本の体操の強化について考えることはありませんでした。引退前、ロンドンオリンピックへの挑戦の中では、自分の強みを活かしながらどのようにして代表に入るか、入ってからはどのように活躍できるかをイメージしていました。たとえば、これは自分にとって選考レースを勝ち抜くために必要な練習だが、これでは結局選考レース用の練習になってしまって、本番ではその技術を使わないのではないかといったことです。

私がオリンピックに出場した頃は、10点満点がなくなるなど世界的にルールが変わったり、スペシャリストが台頭してきたりと状況が変わり始めていました。日本は伝統を踏襲しながらやっているところがあり、そのような変化に対して対応しなければなりませんでした。そうしたことについて幹部の方々と話はしましたが、その時の私には日本代表はどうあるべきかといった意識はまだありませんでした。

▷ 3つの柱の一つ「選手主体の組織作り」について、当時はどのように感じていましたか?

私がアテネオリンピックに出場した時のキャプテン米田功さんのキャプテンシーは本当に素晴らしかったです。あるべき姿と言いますか、私の経験の中で米田さんのあり方が大事だと感じていました。

体操は個人競技で、レベルが上がるにつれて技術や選手にしかできないことが増えていくので、選手同士がお互いにコーチングすることがどうしても必要になってきます。ですから監督から指示を受けて動くのではなく、選手同士が親しく交流できる形が大切だと思っていました。そういう意味で、米田さんは自分で言って自分でやってみせることのできる選手なので、その存在は監督やコーチ以上に大きく、周りに対して強い説得力を持っていらっしゃいました。

最近ブレイキンの強化本部長と話していて面白いなと思ったことがあります。ブレイキンを踊るBボーイにはそもそもコーチの意見を聞くという文化がないのです。彼らは技術や表現力の高い人を尊敬するので、その方は強化本部長の立場になっても「まだ大会にでています。頑張って現役続けています」と話していました。

体操競技にもそれに近い部分があるのではないかと思うのです。例えば、通し練習を週3回はやるべきだとキャプテンが言えば、キャプテン自身がそれを実践しているので、コーチが指示するよりも説得力があります。つまり現在のルールのもとで今それを実践できる人が発言することが大事なのです。私が監督をしていた時は内村航平選手がその立場にいて、彼がこれをやるべきだ、これをやろうよと選手たちに言うことでチームを引っ張っていく、その形は理想的だと感じました。

▷ 体操のように伝統のある競技において、監督が一番苦労したことは何でしょうか。

オリンピックへの挑戦の中で、リオの時と東京2020の時とでは難しさが違いました。リオに向けては、自分の中で解決できない難しさを感じていました。選手の時は自分で納得してやるべきだと決めたら自己責任でやれば良いのですが、監督や指導者となると、自分は納得していても選手が納得していなかったり、納得せざるを得ないとわかっていてもやる気が出なかったり、一筋縄ではいかないなと思いました。正しいと思うことを伝えたところで、必ずしもうまくいくわけではないということを痛感させられました。それは指導者同士の関係性においても同じです。私は一番年下にも関わらずトップの立場に立ってしまったので、わかっていない部分もあったでしょうし、私が言った内容ではなく、私が言ったということへの反感もあったと思います。

そんな状況でしたので、コミュニケーションには苦労しました。選手に対して私の考えを押し付けていたところもあって、「本当にそうしなければいけないんですか」と言われたりもしました。

ただ、勝つことに関しては、内村選手や白井健三選手といった特別な選手もいましたので勝ちやすかったという状況はありました。リオで金メダルを獲れたのは、彼らと海外の選手とを比較した時の相対的な力関係からも有利だったからだと思います。

一方、東京2020に向けては、自分としてはそういった選手や指導者とのコミュニケーションはかなり構築できて来たと感じていました。リオの時のような他国との力関係が逆転してしまうサイクルに入った時どのようにして勝たせるのか、強化戦略の作り方の難しさは感じましたが、幸い信頼関係ができ始めていましたので、それまでやっていなかった特別強化選手を早くから引っ張り上げるようなことも実現できました。

案の定、リオの後は相対的な力関係で不利な状況になったため、過去や様々な固定概念に捉われずに、必要と思う事には何でも取り組みました。例えば、中国でナショナルチームの合宿を行ったり、ロシアのコーチにヒアリングしてそのやり方をもとにみんなで練習したり、新体操の指導者に来ていただいたり。東京に向けて、試行錯誤しながらどうしたら不利な状況でも勝たせられるかを模索していました。

▷ リオの時の信頼関係やコミュニケーションの問題はどのようにして解決したのでしょうか。

まず、自分の中の理解不足に気づいたことです。私は最初、組織とはどういうものかも知らなかったので、上層部の方から請われて強化本部長になったのだという感覚で現場に行ったところ総スカンを食らいました。自分は強化のための三本柱を実践するために本部長になったのだからそれをやらなければ意味がないという気持ちが先走っていたのでしょう。ですがそれは最終的に達成できればいいわけで、周りの方々も最初から全てうまくいくとはそもそも思っていなかったということがだんだんわかって来ました。自分がやるべきだと思うことを通すためにはもっとやるべきことがある、半分も実現できたら御の字だ、時間がかかるのは仕方ないというように、許容範囲を広くして焦らずにやらなければいけないということを理解しました。

もう一つはとにかく行動したことでしょうか。選手の所属先に巡回するような形で顔を出したり、これまで本部長はナショナルチームメインだったのですが、ジュニアの合宿にも出ました。おかげでジュニアの先生たちからの信頼を早くから得ることができ、援護射撃をしていただけるようになりましたし、2,3年かけてナショナルチームの選手の所属先に巡回したことで先方が心を開いて下さいました。自ら足を運ぶことで凝り固まったものを溶かしていけたのかもしれません。そうした積み重ねが大きかったと思います。(中編に続く)

(文:河崎美代子)

中編はこちらから↓
https://coach-do.com/interview/44-2/

後編はこちらから↓
https://coach-do.com/interview/44-3/

◎水鳥寿思さんプロフィール

生年月日 : 1980年7月22日

出身地 : 静岡県静岡市

出身校 : 関西高校→日本体育大学 

2002年、2004年~2010年 日本代表選手

<主な成績>

2001年 北京ユニバーシアード 団体 銀メダル

2002年 釜山アジア大会 団体 銀メダル/個人総合 5位入賞

2004年 アテネオリンピック 団体 金メダル

2005年 メルボルン世界選手権 個人総合 銀メダル

2006年 オーフス世界選手権 団体 銅メダル

     ドーハアジア大会 団体 銀メダル/個人総合 銀メダル/鉄棒 金メダル

2007年 シュトゥットガルト世界選手権 団体 銀メダル/個人総合 銅メダル/ゆか 銅メダル/鉄棒 銅メダル

2010年 広州アジア大会 団体 銀メダル/個人総合 銅メダル

<指導者歴>

2012年~現在 男子体操競技(強化本部長/代表監督)

世界選手権 団体(2014年 銀メダル/2015年 金メダル/

2018年 銅メダル/2019年 銅メダル/2022年 銀メダル)

2016年 リオデジャネイロ 2016オリンピック 団体 金メダル

2021年 東京 2020オリンピック団体 銀メダル

<主な役職>

■日本体操協会 男子強化本部長

■JOC 理事

■JOC選手強化本部 部会員

■JOCサービスマネージャー(アスリート担当)

【関連サイト】

日本体操協会 体操競技