「コーチ道リレーインタビュー」では、指導者の先達である方々、指導者として現在ご活躍の方々のインタビューをリレー形式でご紹介しています。今回は、東洋大学アイスホッケー部の鈴木貴人監督にお話を伺いました。
鈴木さんは東洋大学在学時に日本代表に選ばれ、卒業後はコクドに入社。2002年にはアメリカ・イーストコーストホッケーリーグのシャーロット・チェッカーズで活躍し、帰国後、再びコクド、日光アイスバックスを経て、2013年に現役を引退なさいました。日本代表最多出場、最多ポイント保持者であり、日本アイスホッケー界のレジェンド的存在として知られています。
引退後、母校のアイスホッケー部の監督に就任され、現在「Bring Upアイスホッケーアカデミー」で小中高生の指導、指導者の養成にも尽力されている鈴木さんのお話を前・後編の2回にわたってご紹介します。
(2020年12月 インタビュアー:松場俊夫)
東洋大学アイスホッケー部の大会に向けてのスケジュールは1年生が入学する前の3月から動き出します。まず4月に関東大学選手権が始まり、9月から11月までは関東大学リーグ戦、12月末にはインカレ(日本学生氷上競技選手権大会)という三つの大きな大会があり、私たちのチームはそのタイトルを目指して活動しています。
通常私たちは3月に北海道で合宿した後、いったん東京に戻り、新入生は寮生活をスタートさせ、新しいチームは東京で大会の準備をします。しかし今シーズンは、東京で一週間練習したところで大会の中止が発表されました。大学の授業がどうなるかもわからない状況の中、大学の寮にはアイスホッケー以外にトータル8部、200人ぐらいの学生と選手がおり、感染のリスクもありましたので、選手たちを一度自宅に帰しました。
オンライン授業など大学生としての活動ですらなかなか決まらず、部活動を進めていいのかどうか、大会がどうなるのかもわからない日々が続きました。例年は、春の大会後、夏休みまでは寮生活をしてトレーニングをする時期なのですが、春の大会も中止になったので、まずは自宅でのトレーニングをオンラインで行いました。ウォームアップに始まり、サーキットトレーニングをやったり、ランニング系のメニューはランキーパーという携帯アプリを使い、どのくらいの距離をどのくらいのタイムで走るかを各自設定してやったりもしました。ウェイトトレーニングは施設が閉まっていたので、秋頃から少しずつ再開していきました。
北海道での夏合宿は何とか実施することができ、秋の関東大学リーグ戦は戦えたのですが、その中で目標や目的の共有が難しくなりました。うちのチームは昨年度、十数年ぶりにインカレのタイトルを取ることができ、チームの成長が感じられてはいたのですが、選手たちにはまだ「やらされている」部分が感じられ、意思発信も少なく、自主性・主体性の面がチームのこれからの課題であると感じました。
しかし、選手たちはコロナ禍で考える機会が与えられたことで、今置かれている環境が当たり前でないということを学んだと思います。また、オンラインを使ったことで、ミーティングの回数が例年より増え、チームの役割、進む道などについてのミーティングも重ねることができました。おかげで選手たちの自主性・主体性はかなり伸びたと思います。
今シーズンは、夏合宿が終わったら東京に戻って大会に臨むのかどうか、十分に検討する必要がありました。秋の関東リーグ優勝という目標を当然のように持っていましたが、感染の危険があり、大学の見解によっては東京に戻らない選択もありました。未成年の選手もいますので、ご両親にも相談した上で決めようということになったのですが、結局、うちの部はご両親の承諾を得ることができ、全員が戻ることになりました。
そこで、「このチームの目的は何か」を選手たちに問いかけましたところ、選手たちが挙げてきたのが「進化と継承」でした。我が校のアイスホッケー部は歴史があり、優勝回数やトップリーグに入っている選手も多い。先輩たちが作ってきてくれた伝統をこのチームでしっかり受け継ぎ、さらにそこから進化していきたい、と。多くの競技の大会が中止になっていたので、選手にも気持ちの波があったと思うのですが、もっと成長しよう、継続しようと練習やチーム作りに真剣に取り組んでくれました。良い目的を選手が共有してくれたと思っています。
毎年、選手たちに目的を考えさせていますが、これまではやはり「やらされている感」がありました。ですが今シーズンは、コロナ禍で苦しい経験をしながら、何のためにアイスホッケーをやっているのか、何のためにスポーツをしているのか、ということを実感できたシーズンだったのではないかと思います。
やはり、チームミーティングを多く取り入れることではないかと思います。選手はそれぞれ異なるキャラクターを持っていますから、いろいろなグループに分かれて進めます。例えば、学生の本分である勉強の得意なメンバーを中心に他のメンバーをサポートするというように、皆が長所を生かしながら取り組めるようにしています。
今の選手は私の経歴を知らない者も増えていますが、私が指導を始めた頃は、引退前に代表に選んでいただいてもいたので、選手たちには目の前にいた選手が来た、
一選手が来たという感覚があったと思います。私としてはやりやすい環境ではありませんでした。ですが今はそうした感覚は減ってきていると思います。単にどのように映っているかと言えば、プレーについてもそれ以外についても「口うるさい監督」なのではないでしょうか。
基本的には今と変わりませんが、学生スポーツですから、一アスリートである前に学生であるということをベースに指導を続けてきているつもりです。一般にアイスホッケーは長くできるスポーツではないので、どのスポーツでも同じだと思いますが、セカンドキャリアは重要な課題です。そこは私も悩んだ点ではありますが、スポーツをやっていたからこそ様々な経験ができたことは非常に大きいと感じています。ですから、次のステージにその経験を生かすために、学生の本分である勉強と人間力という点で成長していって欲しいと思っています。
自分では、意を決してチャレンジという感覚はありませんでしたし、振り返ってみると普通はこういう選択はしないだろうなとも思います。ですが決断する時には、このチームにいって何をやるか、どこに行けば成長できるかということをいつも考えていたような気がします。
アメリカ行きの決断をした時は、目標を見失っていた部分は正直ありました。うまくなりたいという思いは当然のようにずっとありましたが、一番大きな目標は日本代表、オリンピック出場で、それが早い段階で達成できていましたし。ですが、長野オリンピックは自国開催で出場、世界選手権は当時あったアジア枠でトップディビジョンに参戦していたものの、毎回大差で負けることが多く、次のステップに行かないとやっていても楽しくないと思ったのです。日本代表にはもっと強くなって欲しい、新たな目標を見つけたいという思いが、チャレンジングな選択になったのではないでしょうか。(後編に続く)
(文:河崎美代子)
後編はこちらから↓
https://coach-do.com/interview/26-2/
◎鈴木貴人さんプロフィール
1975年北海道生まれ
駒大苫小牧高校から東洋大に進学し、在学中からアイスホッケー日本代表に選ばれる。
1999年から2013年まで、15年連続で日本代表に選ばれ、世界選手権出場14回、オリンピック予選出場2回、アジア冬季競技大会出場3回。
大学卒業後はコクドに進み、2002年にはアメリカのイーストコーストホッケーリーグ(ECHL)のシャーロットのトライアウトに合格。
2003年にコクドに復帰し、翌シーズンからプロ契約選手となると同時に主将に就任。SEIBUプリンスビッツと改称後の2008-09年シーズンで廃部となるまでチームを率いた。
その後、日光アイスバックスに移籍し、主将も務めたが、2013年アイスホッケー世界選手権を最後に引退。
2017年日本代表ヘッドコーチを経て、現在は東洋大で監督として学生を指導・育成。
2018年からはBUアイスホッケー・アカデミーをスタートさせ、小中高生の選手指導やコーチの育成も行っている。
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