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リレーインタビュー第60回 沼部早紀子さん(後編)

「コーチ道リレーインタビュー」では、指導者の先達である方々、指導者として現在ご活躍の方々のインタビューをリレー形式でご紹介しています。今回のインタビューは、日本パラサイクリング連盟ナショナルヘッドコーチの沼部早紀子さんです。

 大学在学時に自転車競技を始め、一度引退しながらも復帰、日本代表選手としても活躍されました。競技引退後はパラサイクリングのコーチとして、パリ2024パラリンピックで日本代表チームを指導。出場したすべての選手が入賞し、杉浦佳子選手は女子個人ロードレースで2大会連続の金メダルを獲得しました。

パリ大会に向けてのチームビルディングの苦労、パラアスリートへの取り組み方など、沼部さんのお話を3回にわたってご紹介します。

(2025年3月 インタビュアー:松場俊夫)

前編はこちらから↓
https://coach-do.com/interview/60-1/

中編はこちらから↓
https://coach-do.com/interview/60-2/

▷ 沼部さんが影響を受けた指導者の方はいらっしゃいますか?

一人目の方は、順天堂大学時代の自転車競技部の顧問をなさっていた運動生理学の形本静夫先生で、私に初めて自転車競技を指導してくださった先生です。最初に測定した身体能力の測定値を見て先生が「いい短距離選手になると思います」と言ってくださったのでやってみようと思いました。

形本先生は、何をすればいいのかもわからない私たちのために運動生理学に基づくメニューを作ってくださいました。そのメニューは4年間でちゃんとピークに達するように作られていて、部員はみな3年生から4年生にかけて一気に活躍できるようになり、勝って大学生活を終えることができました。

うちの部は私と陸上部出身の男子の二人だけが初心者で、他の部員はインターハイで入賞するレベルの部員が多かったのですが、そんな私たちを先生はインカレのチャンピオンまで引き上げてくれたのです。私は先生に言われた通りに練習してベストを更新していきました。「基礎をきちんとやっていけば伸びる」「基礎こそ指導の第一歩だ」という形本先生の考え方は今の私のベースになっています。

私が卒業する時、卒業後は就職するので引退すると先生に言ったところ、「もったいないね。まだ持っている実力の70%しか出せていない。あと4年もやれば世界レベルの選手になれるのに」と言ってくださいました。でも引き止められるわけではなく私は一度引退したわけですが、その言葉はずっと私の中に残っていて、復帰のきっかけになりました。

私は実力の70%で日本チャンピオンにまでなれたのですが、先生が私を100%まで引き上げることで体がボロボロになることを避けたのは指導者として考えがあったからだと思いました。私が卒業後も競技を続けるのではないかという希望を持ちながら、先のことを考えて指導してくれていたのだと。今私がここにいるきっかけを作ってくださったのは明らかに形本先生です。

もう一人の方はコーチの野田尚宏さんです。私が学生の時、野田さんは日本サイクルスポーツセンターの職員で、私も指導を受けていましたが、引退してからもう一度競技に復帰した時、改めて出会うことができました。実は形本先生は十種競技出身、野田さんもバレーボール出身でお二人とも自転車経験はないのです。それでも野田さんはアジアの若手育成の拠点になっていたコンチネンタルサイクリングセンター修善寺(現「UCI/WCC RDS修善寺」)で自転車競技のコーチをなさっていました。

私はもともとコーチングに興味はなかったのですが、現場で野田さんのお手伝いをする中で、コーチングは知識と理論をわかりやすく伝えるもの、必要な時に必要なコミュニケーションをとるものなのだと知りました。競技経験の有無もオリンピックに出たかどうかも関係ありません。私自身がサイクルスポーツセンターで若手を教えていた時、指導者が共通認識を徹底し、大事なことを伝え続けることで選手が強くなる様を見てきました。私自身、基礎が大事、基礎が大事とずっと言われてきたので実感できました。コーチは本当に大切な存在だと思いました。「大事なことをあの人が教えてくれた」、そういう存在になる人です。後継を育てることが大変な中で、野田さんは私に色々なことを任せてくれました。私が今のこの立場に立つきっかけを作ってくれたのがサイクルスポーツセンターであり野田さんの存在でした。野田さんには国外からも訪ねてくる人がいます。そんな存在なのです。

形本先生も野田さんも、若手の大事な時期を大切にするというとても大事なことをお二人が教えてくださいました。

▷ 沼部さんはどんなコーチを目指していますか?

コーチは選手に与える影響が大きいので、ポジティブな方向に持っていけるコーチでありたいと思っています。私自身がそうだったように、自分に可能性があるかどうかを教えてくれる存在はどんなレベルの選手にも必要です。選手の力を見極めるのは難しいことですが、パラの選手も含めてさまざまな選手を見てきた私だからこそ気づけることがあるはずで、それを伝えられるコーチでありたいです。発言に責任を持ちながら選手を導くのがこの仕事の醍醐味だと思います。導く先は、指導者の思うところではなく、選手にとって一番良いところであることを忘れてはいけません。

▷ 選手たちにはどのような人間になって欲しいですか?

スポーツを通じた人間的成長は大きなテーマです。経験を人間的成長に昇華させるためにも、私は「人間力とは何か」を言語化していかなければいけないと思っています。まず当たり前のことを当たり前にできる人、自分の損得で考えずに行動できる人であって欲しいです。特にパラの選手は甘えた人が多くて、どれだけ恵まれているか理解していないことが多いです。自分を客観視でき、自分が置かれている環境を理解して感謝できている選手が少ないのです。ですからうちのチームの選手にもそれを徹底しています。私たちから指示されたことも、自分で心から理解してやって欲しいです。

▷ 今後の日本のパラスポーツ界に必要なことは何だとお考えですか?

東京大会、パリ大会で選手のパフォーマンスは非常に上がりました。これは革新的なことです。それでもまだオリンピックありきのパラリンピックなので、オリンピックと同列にして行くのはここからだなと思っています。まずパラだからというバイアスをなくしていく必要があります。

よく「パラのコーチをやりたい」という指導者の声を聞きます。ありがたいことなのですが、その多くが「オリンピックは無理だけどパラならできる」という考えを持っています。でもそれは逆で、ストレッチのスから教えなければいけないのがパラの現実なのです。悪気はないのでしょうけど、「ゆくゆくはオリンピックのコーチをやりたいんでしょ」と言われることもあります。コーチングの実力もオリンピックより下に思われるのは癪ですね。やはりまだオリンピックと同列ではないのです。ただ、オリンピックの現場のコーチたちは、ワンチームだから、同じだからと言ってくれます。いい関係ができていますし、健常者を超えるほどの実力を持っている選手もいますから、これまでのように遠慮するのはやめようと思っています。

また、パラチームがオリンピックチームのトレーニングを取り入れるという順番に対する考え方は良くないバイアスなのではないかと思います。それも大切ではありますが、障がいを持っているパラの選手の体の使い方は素晴らしいので、そうしたメソッドを逆に健常者に使えるのではないかと思うのです。新しいトレーニングにつながる可能性もあります。ある理学療法士さんから「パラのトレーニングを健常者にアレンジする視点も大事だよね」という言葉を聞いた時、その通りだと思いました。

日本のパラチームはまだまだ発展途上でトレーニング自体が遅れているので、データを使った数値的な管理も始めるタイミングだと思います。オリンピックの先を行くパラになるために、そのマインドをしっかり持って私たちが先導していかなければならないと思っています。

▷ 今後のビジョンをお聞かせください。

パリ大会は準備不足で心残りがあったので、すでにロサンゼルス(以下ロス)大会に向かって走り出しています。来年度も引き続きヘッドコーチとしての活動の場を与えていただいたので、これまでなんとなくやってきたチームビルディングを戦略的にきちんと作る必要があると思っています。2年後にはポイント争いが始まるので、それまでに芽が出始めた育成の選手達を形にすることを始めとして、やるべきことがたくさんあり、ロスまで8年計画でやっているところです。

自分の中ではロス大会に新しいチームで臨むことをピークとして、それまでに自分がどれだけ指導者としてやっていけるかチャレンジしていきたいです。世界のレベルが上がりすぎているので、ロスは厳しい戦いになります。メダルが取れるかどうかわかりません。コーチとしても力不足を感じるので今後も学び続け、マネジメントをキーワードに選手サポートを固め、現場では若手のスタッフに任せながら方針を固めていきたいと考えています。若手のスタッフにはぜひ成長して欲しいのでメンターの存在も必要かもしれません。

私も40歳になり、今が人生の節目だと思っています。自分の能力を上げることでチームのレベルを上げたいです。できれば海外に勉強にいきたいです。オランダやイギリスはレベルが高すぎますが、中国やオーストラリアの取り組みは見てみたいです。組織の一員なのでなかなか思うようにはいきませんが、新しいことはやっていきたいと思っています。

▷ 全国の指導者の皆さんにメッセージをお願いします。

私たち指導者は、人を導く立場でありながら、指導する対象とともに成長していける良い職業であると思います。答えというものはないのですが、色々な経験が積み上がって自信につながるという刺激的な思いをし続けることができる仕事でもあります。私自身も「成長を続けることを忘れない」ことを胸に刻んでやっていきたいですし、皆さんにもそうあって欲しいと思います。また、後に続く方たちには、常に学ぶ姿勢を忘れずに指導者を目指して欲しいです。(了)

(文:河崎美代子)

◎沼部早紀子さんプロフィール

1985 年 3月 19日生まれ

栃木県小山市 出身

所属:一般社団法人日本パラサイクリング連盟

2008 年 順天堂大学 スポーツ健康科学部 卒

2009 年 9 月~2019 年3 月(一財)日本サイクルスポーツセンター勤務

2019 年 4 月~現在 

(一社)日本パラサイクリング連盟 ナショナルヘッドコーチ

【戦績】 自転車競技トラック

2006 年 全日本選手権 500 M優勝

2006 年 アジア競技大会(カタール/ドーハ)500m タイムトライアル日本代表 4 位

2007 年 全日本選手権 500 M優勝

2010 年 アジア競技大会(中国/広州) スプリント日本代表

2013〜2014 年 パラサイクリング タンデムパイロット(視覚障害カテゴリー )

2014 年 アジアパラ競技大会(韓国・インチョン)トラック 1km タイムトライアル男女混合 優勝

ロードタイムトライアル男女混合 優勝

【コーチ歴】

2016 年〜2019 年 コンチネンタルサイクリングセンター修善寺(CCC修善寺)アシスタントコーチ

2019 年〜現在 (一社)日本パラサイクリング連盟 ナショナルヘッドコーチ

           静岡県自転車競技連盟女子アスリート強化事業 コーチ

           静岡県ジュニア強化育成事業 トラック競技コーチ

2018 年〜(公財)日本自転車競技連盟(JCF)女性スポーツワーキンググループ委員