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リレーインタビュー第57回 清澤恵美子さん(前編)

「コーチ道リレーインタビュー」では、指導者の先達である方々、指導者として現在ご活躍の方々のインタビューをリレー形式でご紹介しています。今回のインタビューは、元アルペンスキー選手の清澤恵美子さんです。

3歳からスキーを始め、度重なる怪我を乗り越えて国内外で活躍し、引退後はスキーの指導、メディアでの解説を始めとして、様々なイベントの企画・運営など多方面でスキーの魅力を伝える仕事をされています。

「人は可能性の塊」という強い信念のもと、挑戦を続ける清澤さんのお話を3回にわたってご紹介します。

(2024年10月 インタビュアー:松場俊夫)

▷ 現在の活動について教えてください。

専業ではないですが、主に主婦ですね(笑)。5歳の子どもがいます。でも家族が、キャリアを続けるには細々とでも仕事を続けた方がいいと言ってくれたこともあり、産後3ヶ月から仕事は少しずつ休みなくやらせてもらいました。家族が子どもの面倒も見てくれています。

現在はスキーに関して幅広く、自分が今できることを全力でやっているところです。依頼されたところに出向く形で、スキーの指導や解説、試合のMC、自分が滑り手になっての撮影、冬にはスキーキャンプなどのイベントを自分で企画して実施しています。また夏にはジュニア向けのオンライントレーニングを企画・運営しています。毎朝6時10分から50分までで、メンバーはご両親も合わせて60人ぐらいですが、参加してくるのは各日25人から30人です。それからゴルフの仕事もありますし、スポーツウエアの紹介や販売もします。

▷ 多岐にわたって活動されていますが、一番充実していると感じるのはどんな時ですか?

その場の特徴に合わせて現場を回している時です。もちろん指導をしている時もとても楽しいです。自分で言うのはおこがましいのですが、ディレクター、リーダー、アシスタント、どの役割をとっても、自分を変化させて臨機応変に動くことができます。プライドが全くないので雑用ももちろんやりますし、何でもできます。また、年代やレベルに関係なく指示をさせてもらったり、チームのモチベーションを上げながら人を動かして、その時のゴールに向かって成功した時に充実を感じます。選手が関わる場でそれをやれることはとても楽しいです。

▷ リーダーシップはいつ頃から身についたのでしょうか。

最近、私は選手としてもコーチとしても、「同じ部屋の人を自分のカラーに持っていく」、「誰といても大丈夫でしょ」と言われました。自己中なのかな(笑)。でもリーダーシップを取ることは自然に身についたものだと思います。特に選手引退後はやらなければならないという義務感も身に付きました。

私が選手だった時代、日本のアルペンスキーの女子選手はなかなか結果が出せなくて、ずっと男子優先の時代が続いていました。ワールドカップも8年間決勝に進出できなかったので、その時代の人間として「私がやらなくて誰がやる」という思いは強かったと思います。また、非常に厳しいトップダウンの時代に選手活動していたのですが、当時の経験はとても学びになりました。その時代の勉強が今に活きていると思います。

▷ 選手時代に一番辛かった経験は何ですか?

オリンピックに行けなかった時です。30歳の時、オリンピックの2ヶ月前に前十字靭帯を断裂してしまったのです。それまでは絶好調で絶対にオリンピックに行けると思っていただけにとても辛かったです。

その時に「結果が全てじゃない、五輪が全てじゃない」と社長に言われたのですが、当時はその言葉を受け入れることがどうしてもできませんでしたね。ずっと結果を求めてやってきていましたから。でもそれから年月が経ち、「結果が全てじゃない」と言われた理由がよく理解できるようになりました。結果だけではなく、そこまでの過程や取り組んできた内容があります。また引退後に社会をリードしていける人間になるために、私たちはスポーツを通じて学んでいるのだということをあの時にわかっていたら、もっと違った自分がいたのではないかと思います。

今はあの時の辛い経験を解説にも活かしています。NHKの解説者の中でオリンピックに出てないのは私だけなのですが、自分がやってきたことが間違っていなかったから、あの席に座れていると思うのです。挫折を味わった私だから、証言者として伝えられる何かがあるということが自信になっています。

でも私、不思議なことにオリンピアンって呼ばれるんですよ。スノーボードアルペン選手の竹内智香さんともよく話すのですが、オリンピアンってオリンピックに出た人だけではなく、オリンピックに選ばれる人たち、そこまで上がってきた人たちも含まれるのではないかと。「出場者やメダリストが全てじゃない」とソチで銀メダルを取った竹内さんが言ってくれたのは救われる思いがしました。なので最近はオリンピアンと言われても否定しませんよ。

▷ かつて「結果が全てじゃない」を受け入れられなかった思いを、どのように消化してきましたか?

「スポーツを通じて人々を豊かにする」というのが私が所属していた株式会社ドームの志なのですが、その言葉が自分の中で腑に落ちたのです。ですから引退した後は、選手たちに「あなたたちが社会を引っ張るんだよ。スキーを通じて色々なことが学べるよ」「応援されるためにはどうすればいいのか。社会に出てからも同じだよ」と言うようになりました。人にそう言い続けることで、それが自分の身になって行ったのかもしれません。気づいたらどんどん消化されていった感じです。

▷ 選手に指導する際にこだわっていること、意識していることは何ですか?

「選手が自分でどうしたいのか」です。それを一番のベースにしています。例えば、コーチの指導というのは通常、選手が上から滑ってきたら、それに対して色々ティーチングをするというものですが、私はまず最初に「どうだった?」と選手に聞きます。それは選手が自分の言葉で自己分析することが大事だと思っているからです。また、私は言葉のキャッチボールが感覚の差を埋めていくと信じています。ただ、選手がどうしたいかという土台の上にそれぞれのプログラムを作りますが、その場ですぐに表現できる選手、できない選手、やっても時間が立たないと理解できない選手、と様々な選手がいます。ですから、繰り返し組み立てることを大事にしています。

また、選手たちは取り組むことが自分の技術の向上に直結しないと納得しないので、「今より上のレベルに行きたいのなら、知らない技術や想像の遥か上の技術にトライしていかなければいけないよね」と、想像力を膨らませるような言葉を使うことを大切にしています。選手のモチベーションを上げるのは得意な方だと自分では思っています。

それから、できたことを褒めます。できなかったら、それはなぜかを考えさせたり、今できていないことをキャッチボールしたりします。大人数だとティーチングになってしまいますが、少ない人数ならキャッチボールができますので、アプローチの方法を人数や選手の特徴に合わせて臨機応援に変えています。

▷ そうしたコミュニケーション能力はどこで身につけたのですか?

コロナ禍で、スポーツ庁がやっていた女性エリートコーチ育成プログラムを2年間受講したのですが、その時にティーチングやコーチングに関する様々なことを学ばせてもらいました。

私自身が指導を受けていたときはティーチングが多かったです。私の場合、ティーチングばかりの学業は不得意でしたが、スキーがうまく行ったのはとにかくわからないことを全部質問していたからなのです。コーチの答えに納得できない時は、それを消化するために手を尽くしましたし、コーチが言っていることをするために、異なる表現を繰り返してみてどれがハマるか、などと試行錯誤していました。。

言葉にすることで理解する、その積み重ねが本当に大切なので遠慮は禁物です。遠慮は無駄だと私は思っていますが、日本人の場合、自分の方が年下だからといったことですぐに遠慮してしまいます。相手が誰であろうと間違っているものは間違っていますので、私はコーチに対してもはっきり言うようにしていました。ただ、そのことで人間関係がうまくいかなくなったこともありましたが、今になってみれば、その経験があったからこそ伝え方の大切さに気づくことができたのだと思っています。(中編に続く)

(文:河崎美代子)

◎清澤恵美子さんプロフィール

元アルペンスキー選手

幼少期:1983年神奈川県横浜市出身。3歳からスキーを始める。

高校時代:単身で北海道にスキー留学

社会人:アルビレックス新潟チーム所属後

    株式会社ドームに入社。社員所属選手(アンダーアーマー)

引退:34歳で引退。解説をはじめとしたスキーの魅力を伝える仕事を行う。

   (Jsports、NHK、オリンピック、世界選手権、ワールドカップ、全日本選手権等)

現在:ジャストラビング理事、エイブル文化財団選考委員、POWアンバサダー、株式会社SEED取締役、5歳児の母

<選手時代経歴>

全日本選手権優勝3回、ワールドカップ出場44回、世界選手権2回出場

アジア大会優勝、ユニバーシアード3位、国際大会55勝

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