「コーチ道リレーインタビュー」では、指導者の先達である方々、指導者として現在ご活躍の方々のインタビューをリレー形式でご紹介しています。日本ウィルチェアーラグビー連盟強化副部長 三阪洋行さんからバトンを引き継いだのは、2016年リオデジャネイロパラリンピックで、車椅子バスケットボール男子日本代表のヘッドコーチを務めた及川晋平さんです。
16歳のときに骨肉腫で右足を切断、22歳で車椅子バスケットボールを始めてすぐアメリカに留学した及川さん。アメリカでハイレベルの指導を受けるうち、当時ノウハウがなかった日本で、その考え方ややり方を伝えたいと強く思うようになりました。帰国後は、選手として、指導者として活躍する一方、アメリカで体験した車椅子バスケットボールキャンプを日本でもスタートさせ、現在は日本代表チームを率いると同時に、若手育成にも力を注いでいます。
及川さんの「哲学」、「可能性と選択肢」、そして今後の「挑戦」について、前・中・後編の3回にわたってご紹介していきます。
(2017年1月 インタビュアー:松場俊夫、河崎美代子)
前編はこちらから↓
リレーインタビュー 第8回 及川晋平さん(前編)
中編はこちらから↓
リレーインタビュー 第8回 及川晋平さん(中編)
一つ目の質問、「リオで通用したもの」ですが、男子代表が目指していたテーマの一つは「緻密さ」でした。我々が直面している一番大きな壁は外国選手との体格差から生まれるゲーム上でのアドバンテージです。そのアドバンテージと対等、あるいはそれ以上の武器を我々が持ち合わせることで、勝利に向かえると考えました。ですから、まずその武器を作ることから始めました。
その一つがインテリジェンスです。このインテリジェンスを最大限に活用するために、毎回資料を作成し、4年間で合計1000ページ以上もの資料が選手たちに配布されました。「そんなことはわかっているよ!」と選手たちに言われるぐらい、何度も何度も繰り返し同じことを伝えました。 具体的にはフィジカル、戦略、ベーシックスキル、メンタルの4つの柱を作り、そこに緻密さを盛り込んだ文化・習慣を作ることに取り組みました。KPI(注:Key Performance Indicators,重要なパフォーマンスの指標)を設定して、勝敗だけではない、明確で細かい数字の目標を作り、合宿や練習試合から、それを意識した取り組みも進めてきました。
こうしたことによって、確かに「リオで通用したもの」として現れたものもありました。例えば、結果は9位でしたが、全体のランキングでは失点率が12カ国中4位。フリースローのアベレージも4位。ターンオーバーの数は3位など、世界の中でいくつか優秀な結果を出すことに繋がりました。 また数字だけではなく、ゲームが噛み合うようになったこと、あるポイントで必ず勝負どころが作れるようになったことも、緻密な戦略づくりからくるものだと思っています。ただ、一方では勝負どころの決定力不足、という課題も明確になりました。
東京オリンピックパラリンピックに向けては、悪いところばかりに捉われず、リオで良かった部分は残し、より良くする部分に注力していく計画です。特に2020年までの前半は、フィジカルとメンタルに多くの時間と熱量を込めることにしています。
リオまでの過程で、インテリジェンスに重きをおいたことで、戦略や技術的なエリアの成長は図れたものの、フィジカルとメンタルに十分な時間を注げなかったという振り返りをしました。重要な時間帯、勝負どころの集中力、決定力は、このフィジカルとメンタルも大きく関わってくると思います。
フィジカルとメンタルに注力しすぎると、ベーシックと戦略が弱くなることもあると思いますが、一回リオで作り上げた経験がありますからね。後半の2年でうまく重ねあわせ、メンタルとフィジカルが充実した状態で緻密な戦略戦術が使えるチームができあがると考えています。
最後に、日本の文化・習慣の中から強さを作り上げたい!と考え、「和」という言葉を使ってチームビルディングをしています。「和」という言葉の意味を深くよく知っているのは日本人だからだと思うんです。日本独特の和とバスケのチームワークをうまく連動させることができるのではないか、というのがこのチームの、私のチャレンジです。
「写真提供:エックスワン」
試合で戦術・戦略を考える上で、「READ&REACT」は重要なパートです。通常、車椅子バスケットボールではハイポインターが得点するケースが多いのは確かです(注:ハイポインターとは持ち点が4.5-3.0と比較的障害が軽い選手。ローポインターとは2.5-1.0と比較的障害が重い選手)。ただ、そのことを相手のディフェンスも十分に熟知しているわけで、それをさせないように相手がディフェンスしてきたときに、大きな役割を担うのがローポインターになります。試合ではローポインターがハイポインターと連携してハイポインターの得点を作り出すケースや、ハイポインターへ過剰にディフェンスした瞬間に、ローポインターが得点するケースなどがあり、得点で相手との差を作るという点では、ローポインターの緻密な活躍が勝敗に確実に関わってきます。一方、ディフェンスでは、相手のハイポインターは味方のローポインターにアグレッシブにアタックを仕掛け、“ミスマッチ”という状況を作ろうとします。そうならないように、常にハイポインターとローポインターはコミュニケーションを取りながら、緻密な連携をして守ることが求められます。そういった試合の駆け引きの場において、「ハイポインターを主体的に考えるのか、ローポインターを主体的に考えるのか」では、プレーの進め方は変わってくることがあり、ローポインターがハイポインターを活かすことができるようになると、連携の精度も上がり、チームワークでプレーすることができるようになると思っています。
車椅子バスケットボール特有の部分もありますが、障害という身体的な違い、重いと軽い、強いと弱い、というようなことが、戦略上の重要なポイントになっています。弱点をいかに強くしていくか、は一つの哲学で、大事にしていることの一つは、残存機能の上で明確に弱点となりうるローポインターが積極的にプレイすること、得点を取ることで、相手の予想に反した試合展開を作り上げていくということです。
障害者にも色々なケースがあります。そもそも障害を持って生まれた人は障害のない状態との比較ができないことから、「できていたことができない挫折感」という感じ方をしないわけです。一方、私のような中途障害者は障害を持つ前との比較をしてしまうので、メンタルが不安定になる部分はあります。ですが、大きな変化や衝撃を経ているということから、トラブルや予期せぬことに対しては非常に強いとも言えます。障害はあっても「死にはしなかったから」というロジックがすぐに働きますから。ただし、そのことがその人のスポーツの勝敗に関わるのか、パフォーマンスを引き出す土台になっているのかどうかはわかりません。
コーチをする上で、選手が障害を持った理由や、それを乗り越えていくまでのプロセスを選手から聞くことはあります。選手が成長をしていく上で、または目の前の壁を乗り越えていく上で、それが何かしらの突破口になる、力になる、と思った時は特にそうします。過去のことを掘り起こすことを嫌がるだろうなと思っていたころもありましたが、それは選手それぞれで、信頼関係をしっかりと築いていれば全く関係なかったということもありました。
そこで思うことは、選手は、障害を負い、大きく人生の転換を強いられる中で、現状を受け入れ、それを乗り越えて、自分らしい、新しいものを作っていく。それはスポーツの中で起こる状況にも似ているものがあり、その似た部分をうまくつなげていくことができたら、と思えてなりません。これも私自身のチャレンジとしている部分です。
選手に対しては「誠実」でいることを一番心がけています。信頼される立場でいないと何事もうまくいきませんからね。また、選手の一挙手一投足をよく見るようにしています。選手が何を考えているか?何をしようとしているのか?を私自身でよく考え、できる限り選手と同じ目線でコミュニケーションがはかれることを大事にしています。
リオの時が一番大変だったかもしれません。チームの目標があり、試合にはそれぞれの細かい戦略がありますが、一方で12人の一人一人に個別のテーマや課題があります。それを選手一人一人と話しながら共有し、合言葉を約束のようなものとして決めました。選手と3つぐらいのキーワードを作り、個別にLINEで毎日流しました。「今のあなたのテーマはこれ、実力を出すためにはこれが大事だよ!」と言うように。選手も、自分のための特別な言葉が送られてくると、元気のある言葉で返事をしてきました。とにかく「がんばれ!!」という漠然としたものではなく、これから始まる大一番に向かって一番しっくりくる状況を作ってコートに入る、そのことに注力しました。
根幹にあるのは、選手は一人一人みんな違う、ということです。選手はその違いの中で、それぞれの心技体をもって準備し、プレイをします。障害の違いは行動の違いを生み出し、考え方、捉え方の違いを作り出す、そんなことがよくあります。それに対してコーチがどのようにアプローチするかが重要だと思います。
自分の常識が通用しないことも多いです。もちろん、全体感、統一感、チーム全体でどうあるべきか?を作っていくことも一方では大事です。それぞれの違いに振り回されて、全体感が作れないということも過去によくありました。車椅子バスケはチームスポーツですから、最後はやっぱり全体で一つに繋がっていかなくてはなりません。
それぞれの違いを尊重しつつ、目標に向かいチームとして一つに繋がっていく、これを実現するためのコーチの役割とは、いつも考えさせられる大きなテーマです。
日本代表に関わることになって、目標を達成する、ということをよく考えるようになりました。そして、目標を作ってそれに近づけていくというフォアキャスト的考え方から、目標を設定し、そこから逆算して我々が必要なことを徹底的に挑戦していく、というバックキャスト的やり方に軸足を移したこと、これは色々な意味で大きな変化になっていると思います。
これまでは実のところ、目標に向かってチームを作り上げていく上で、多くの不確定要素、不安定要素、不明確な要素があり、様々なことに手がかかってしまい、目標にはたどり着けなかった、そういうところも少なからずありました。
そんな中でもここまで来られた!という手ごたえはあり、そこから見る将来の絵がやっと確かなものに見えてきた、そう思えたからこそ、目標から明確に逆算して実行するという考え方にたどり着けたのだと思います。あくまでも感覚的なものもありますが、この感覚は信じていきたいと思っています。
私はそもそも未来に何が起こるか分からない、と思っている人間で、だからこそ今を大切にし、将来の目標を明確に打ち出すことに違和感を持つ、そんなことを真剣に考える性格です。ただ、東京2020に向けて、自分がどうあるべきか、何をするべきかを考えぬく過程の中で、自分の向き合い方を作り出しているというのは、これまでの私とはまたちょっと違う、そういう気がします。
車椅子バスケットボールのコーチをやって思うことは、選手、関わるスタッフ、一人一人が本当に違うということの大事さです。コーチはとかく選手に対して、こうしたい、ああしたいと自分の理想を強く持ってしまいます。でも、そこで関わる一人一人は自分が思い描く理想の人ではないということ。そのことを見失うと自己満足になってしまいます。一人一人の「人間」を大切にしてほしいと思います。 (了)
(文:河崎美代子)
1971年4月20日生まれ
千葉県出身/在住
16歳のときに骨肉腫で右足を切断。
22歳で車椅子バスケチーム「千葉ホークス」に入団し、車椅子バスケを開始(持ち点4.5)。翌年には米国に留学し、シアトルスーパーソニックス、フレズノレッドローラーズで活躍する。
2000シドニーパラリンピック 男子車椅子バスケットボール日本代表
2012ロンドンパラリンピック 男子車椅子バスケットボール日本代表
アシスタントコーチ
2015年車椅子バスケットボール国際大会「2015IWBFアジアオセアニア チャンピオンシップ千葉」男子日本代表ヘッドコーチ
2016リオ・デ・ジャネイロパラリンピック男子車椅子バスケットボール日本代表
ヘッドコーチ
2001年から車椅子バスケットボールキャンプを主催。
現在はNPO法人「Jキャンプ」で若手育成にも注力している。