「コーチ道リレーインタビュー」では、指導者の先達である方々、指導者として現在ご活躍の方々のインタビューをリレー形式でご紹介しています。今回は、東洋大学アイスホッケー部の鈴木貴人監督にお話を伺いました。
鈴木さんは東洋大学在学時に日本代表に選ばれ、卒業後はコクドに入社。2002年にはアメリカ・イーストコーストホッケーリーグのシャーロット・チェッカーズで活躍し、帰国後、再びコクド、日光アイスバックスを経て、2013年に現役を引退なさいました。日本代表最多出場、最多ポイント保持者であり、日本アイスホッケー界のレジェンド的存在として知られています。
引退後、母校のアイスホッケー部の監督に就任され、現在「Bring Upアイスホッケーアカデミー」で小中高生の指導、指導者の養成にも尽力されている鈴木さんのお話を前・後編の2回にわたってご紹介します。
(2020年12月 インタビュアー:松場俊夫)
前編はこちらから↓
https://coach-do.com/interview/26-1/
良い選手を育てなければいけないのは当然のことですが、社会で活躍できる人材に育つようサポートすることが最も大切だと考えています。
最低限の勉強は必要ですが、団体スポーツであるアイスホッケーを通じて学んだことは社会で生かせる部分が多いと思います。そのベースとして、自分たちがやってきたことの価値は何かをよく理解し、自分たちが社会でどのような人間として活躍していくかの目標設定をしていけば、活躍の可能性は十分にあります。
アイスホッケーをやりながら勉強も頑張っている高校生や大学生はたくさんいると思いますが、アイスホッケーでの経験をより生かすためには、何のためにこの競技をしているのかのを深く理解することで力を発揮できる人材が増えると思います。
チームスポーツですから、チームで目標を達成するという部分は強みになると思います。これは個人スポーツでも、一人ではできないという点では同じです。また、アイスホッケーの場合は、痛みのある競技なので、目標達成のためには勇気が大切です。味方のために、チームのために体を張る勇気です。社会に出てからは肉体的ではなく精神的な痛みが生じることになると思いますが、そういった局面でも勇気を振り絞ることができるという点がアイスホッケーの良さかもしれません。
アイスホッケーはファイトがつきもののスポーツですが、現在の世界基準では減って来てはいます。今でも世界トップのリーグであるアメリカのN H Lの、ある意味ローカルルールが世界のホッケーにも影響しています。
私がアメリカでプレーさせてもらった頃は、ファイトが多い選手は素手で殴り合うので顔も拳もボロボロということが多く、中にはマイナーリーグで喧嘩屋として実績を重ねるような選手もいました。収入に関わるからと思っていたのですが、実はそうでもなかったのです。何のためにファイトしていたのかというと、チームメートを守るため、チームを鼓舞するためだったのです。野球などと違い、一度に何点も入る競技ではありませんし、リーグ戦では何度も同じチームと戦うことがあるので、相手へのメッセージとして「私たちは諦めていない」ということを示したり、体の小さい選手が相手の大きな選手に危険なプレーをされた時にファイトしたりしていたのです。ファイターだけがファイトするわけではありませんし、大怪我につながる可能性もある中で、ただ感情的になるのではなく、勇気を前面に出してファイトをしているのだと現地で感じました。
私は体が小さかったので、チームメイトがいつも守ってくれていましたが、それでも私がファイトすると周りがサポートしてくれることがありました。アメリカで日本人がチームに馴染むことは簡単ではありませんが、そのような時には、チームメイトに認めてもらえていると感じました。
私自身、元々アイスホッケーの育成や普及に興味があったのですが、それ無くしては競技の発展もないので、他の競技のコーチたちと縁があったこともあり、アイスホッケーのみならずスポーツ全体の価値を伝えて行こうということでスタートしました。まずラグビーとアイスホッケーから始めましたが、コーチたちに学びがないと育成もいい方向に向かないので、コーチ間の学び、セカンドキャリアのサポートも同時に行うことにしたのです。
スタートした時、やりたいことは多かったのですが、学生たちに自主性・主体性を指導している中で、いつも受け身ではなく、自分の考えや気持ちを人に伝えるスキルが選手の成長につながると強く感じました。学生の中には、将来的にコーチに興味のある者もいて、うちの大学の選手も参加しています。
現役の頃、怪我をした時に、ナショナルトレーニングセンターでトレーニングすることがありました。そこでできた横のつながりの中では学ぶことが多く、それが私の中で大きな刺激になりました。ちょうどその頃、同じ競技の中だけでは限界があると感じていたので、様々な競技から学べることが新鮮で楽しかったです。
ブリングアップのアカデミーではスポーツに大切な心技体を子供達に指導するのですが、氷上の技術以外のスポーツの要素も取り入れています。例えば、ラグビーのフィジカル、当たり方です。アイスホッケーでは「小さいけど身のこなしがいいね」「当たりが強いね」と言ったレベルで終わっていますが、ラグビーはコンタクトに関してより深い部分での指導が進んでいます。こうすれば相手へのダメージは大きくなると言ったことを子供達に伝えてもらったりしています。子供達も様々な角度から吸収できていると感じています。
講義では、他の競技の選手がどのような経緯で選手からコーチになったのかと言ったことを話してもらうこともあり、私たちも楽しんで聴いています。
私はアイスホッケーで成長させてもらいましたので、この競技への恩返しがしたいという気持ちが大きいです。アイスホッケーという競技はオリンピック競技ですし、N H Lなどのように興行としてもプロのスポーツとしても成功していますが、日本においてはまだマイナースポーツです。世界的に、もっとこの競技をみんなに知ってもらおうという努力はあるので、そうした世界の国々と対等に戦えるチームになっていって欲しいと思っています。
ただ、日本での普及には難しい点も多く、まずアイスホッケーができる環境を整備して行かなければなりません。また、首都圏で盛んにならないと全国区にならないと思うので、首都圏で盛り上がるようなものを作り、各地に広がるようにしていきたいです。そのためにもまず関東で子供達を育成していきたいです。彼らにはブリングアップでスポーツの価値というものを経験して欲しい、その中の一つとしてアイスホッケーがあるのだというところまで作り上げていきたいと考えています。
そのような欲はあまりないです。代表も学生もどちらも楽しさややりがいはありますが、現時点の環境で十分にやりがいがあり、楽しくやっています。最終的には日本のアイスホッケーが良くなっていって欲しいので、今の活動がそのための手助けになればと思っています。日本代表にはオリンピックに是非出て欲しいです。それが社会で活躍するための大きな経験になるので、そのレベルにはなって欲しいと強く思っています。
ですが、自分がその場に立ちたいという欲はありません。選手としてオリンピックのリンクに立ちたいという気持ちの方が強く、監督として立つのは逆に寂しい思いをするのではないか、羨ましい気持ちが強くなってしまうのではないかと思うのです。オリンピックの解説をやっている時にもリンクに乗りたいという気持ちがありました。
現在は、私たちにとって、コロナ禍で自由がきかない、苦しい時期だと思うのですが、うちの学生たちはチームの活動を通じて、苦しい中でも前向きに目標を持ちながら頑張ってくれて、例年よりも成長できた一年だったと私は思っています。
ですから、様々な工夫をしていけば、今までできなかったことができるようになったり、これまでとは違う部分が成長できたりする時期になると私は実感しています。そのための何かを探しながら、このコロナ禍を、コロナが終息した後に大きく飛躍できたと思える時期にしていけたらいいなと思っています。皆さんにも是非、そうした何かを見つけて欲しいと思っています。(了)
文:河崎美代子
◎鈴木貴人さんプロフィール
1975年北海道生まれ
駒大苫小牧高校から東洋大に進学し、在学中からアイスホッケー日本代表に選ばれる。
1999年から2013年まで、15年連続で日本代表に選ばれ、世界選手権出場14回、オリンピック予選出場2回、アジア冬季競技大会出場3回。
大学卒業後はコクドに進み、2002年にはアメリカのイーストコーストホッケーリーグ(ECHL)のシャーロットのトライアウトに合格。
2003年にコクドに復帰し、翌シーズンからプロ契約選手となると同時に主将に就任。SEIBUプリンスビッツと改称後の2008-09年シーズンで廃部となるまでチームを率いた。
その後、日光アイスバックスに移籍し、主将も務めたが、2013年アイスホッケー世界選手権を最後に引退。
2017年日本代表ヘッドコーチを経て、現在は東洋大で監督として学生を指導・育成。
2018年からはBUアイスホッケー・アカデミーをスタートさせ、小中高生の選手指導やコーチの育成も行っている。
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