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リレーインタビュー 第4回 朝原宣治さん(前編)

「コーチ道リレーインタビュー」では、指導者の先達である方々にご自身の経験やお考えなどを伺い、次の指導者の方にバトンをつないでいきます。

平尾誠二さんからバトンを継いだのは、北京五輪男子400メートルリレー銅メダルの朝原宣治さんです。日本人離れした強靭な肉体で、日本陸上短距離界の第一人者として活躍されましたが、引退後は、後輩選手の育成の他、陸上競技クラブ「NOBY T&F CLUB」を設立し、次世代育成に情熱を注いでいらっしゃいます。

チームスポーツと全く異なる、個人競技の指導とは?指導者と選手の関わり合いは? 前・中・後編の3回にわたってご紹介していきます。

(2015年9月 インタビュアー:松場俊夫)

■これまでチームスポーツの指導者の方々にお話を伺って来ましたが、陸上競技は個人競技です。選手や指導者のあり方にも大きな違いがあるでしょうね?

陸上選手は団体競技の選手ではないので、誰かと協力してやるというよりも、自分の道を極める、研究者のような人が多く、先生になったり、研究者になる方も多くいます。ラグビーやアメフトのように組織的になさっていたり、ビジネスとして成功されている方は陸上からみるとすごいなと思うところがあります。

リレーはチームのように見えますが、考え方は人それぞれです。私の場合、若い時は個人で成績を残したかったので、リレーは勝ったら嬉しい、楽しいイベントのように考えていました。でも、やっていくうちに決勝にも進み始めて、メダルを取ったら面白いなとリレーチームに愛着が湧いてきたりもしました。

そういう考え方の選手が集まって、いいパフォーマンスを出せたら強いんですが、北京五輪の後は、初めからチームとしてやりすぎたところがあって、個人として突出した選手が出なくなった時期がありました。そのチームにさえ入っていれば戦えるというわけではなく、北京の時のように、リレーはリレー、個人は個人として、それぞれの方向性と野心を持つ選手たちが集まれば結果は出ます。

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■現在も選手の方の指導をされていらっしゃいますか?

はい。江里口匡史君(注:短距離選手100m、200m)を担当しています。私は長距離のことはわかりませんしね。400mの監督はやっていますが、100mや200mとは全く違いますよ。指導できなくもないのですがやりません。メンタルは共通でも、技術的に誤ったことを言ってしまうことがありますから。

今年の世界陸上で、あのジャスティン・ガトリンが固くなって失速してしまいましたよね。しかしボルトは違いました。私は決勝後のプレスカンファレンスを聞きに行ったんですが、「ギリギリで決勝進出という状況でなぜあそこまでできたのか」という記者の質問に彼はこう答えました。「予選は考え過ぎた。決勝前に、普通にやれば勝てるとコーチにいわれたからそうしただけだ」と。私は彼のシンプルな考え方に感動しました。素直というか、普通、大丈夫だと言われてもそんな風には思えません。

ボルトの場合、コーチとの信頼関係、これまでのゆるぎない実績はもちろんですが、それ以上に、自分は負けないという自己暗示ができるのは、メンタルの強さというよりも、ネガティブな思いを断ち切る思考回路を持っているからなのかもしれません。予選のほうが緊張していて、決勝では楽しそうですらありました。決勝の直前までの不調を考えないように走れるなんて、どこか突き抜けているとしか思えません。トレーニングでそうしたものを得られるのかどうか、過去にそんな選手を見たことがありませんから、それはわかりませんね。

■陸上競技の指導者と選手の関係はどのようなものなのでしょうか?

非常に密接になろうと思えば、なることはできます。男女の違いで言うと、男子は技術的なことを話しあいながらできますが、女子には別の要素があって、依存しあう関係の方が手っ取り早いというケースが多いです。男子でもコーチに依存している選手はいますが、私の場合はコーチに依存したことはありませんでしたね。短期間でしたし、いろんなコーチの方がいらっしゃいましたし。

私がそんなでしたから、年齢であれ競技のレベルであれ、選手が独り立ちすることが必要だと思いました。私が所属しているのは大阪の実業団ですから、みな独り立ちしています。生活の場所を変えたくないとか、自分で考えてやる自信のない人は来ません。ですから選手とは距離感は保てます。彼らに色々なきっかけや機会を与えようという考えはありますが、すべて自分の言う通りにさせるのは違うと思いますし、もしそうして成功したとしても選手に残るものがないのではないでしょうか。

とは言っても、依存関係が多いのは楽だからなのでしょう。お互いを完全に信じ込んでいる関係は強いです。私たちの競技は勝負がシンプルですから、力を出しきれば勝てます。しかし雑音が入るから揺らぐ。それがないようにすればいいのです。ロボットにして走らせるほうが結果は出やすいです。ただ、それをきっかけにして、自分に自信が持つことができ、勝ち続けることができなければなりません。(中編につづく)

(文:河崎美代子)

中編はこちらから↓
リレーインタビュー 第4回 朝原宣治さん(中編)

後編はこちらから↓
リレーインタビュー 第4回 朝原宣治さん(後編)

【朝原宣治さん プロフィール】

1972年、兵庫県出身。高校時代から本格的に陸上競技に取り組み、走り幅跳び選手としてインターハイで優勝。同志社大学時代は国体100mで10.19秒の日本記録を樹立し、その加速力より「和製カール・ルイス」と呼ばれた。大阪ガス株式会社に入社、ドイツへ陸上留学。五輪初出場となった1996年のアトランタオリンピック100mでは日本にとって28年ぶりとなる準決勝進出を果たし、自身4度目となる2008年の北京オリンピック4×100mリレーでは、悲願の銅メダルを獲得した。同年9月、36歳で引退を表明。現役生活中に世界陸上には6回出場し、日本陸上短距離界の第一人者として活躍してきた。2010年に陸上競技クラブ「NOBY T&F CLUB」を設立し、現在も次世代育成に情熱を注いでいる。妻は元シンクロナイズドスイミング選手の奥野史子氏。

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