「コーチ道リレーインタビュー」では、指導者の先達である方々、指導者として現在ご活躍の方々のインタビューをリレー形式でご紹介しています。今回のインタビューは、元アルペンスキー、スキークロス選手の日置千耶子さんです。
5歳からスキーを始め、10代の時はアメリカにスキー留学、社会人になってからスキークロスに転向し、ワールドカップなどで選手として活躍。引退後は指導者の道に進み、現在は主にトレーナーとして活動されています。
スキークロスの魅力について、スキークロスというアルペンとは違った競技におけるフィジカルの重要性について、日置さんのお話を3回にわたってご紹介します。
(2024年11月 インタビュアー:松場俊夫)
今年の春までスキークロスチームのヘッドコーチとして活動していましたが、現在はコーチを辞めトレーナーとして再スタートしています。
私は中3からアメリカにスキー留学したのですが、高校の時に怪我をしてしまいました。ですが通っていた高校にはトレーナーがいたので、そこでリハビリをしてもらい復帰することができました。そこで思ったのが、コーチになるならただのコーチではなく、トレーナーの知識を持ったコーチになりたいということでした。
高校卒業後は日本に戻り、筑波大学の体育専門学群に入りました。2年からはコーチング専攻に進み、3年からは運動生理学の研究室に所属し、トレーナーやコーチに関する色々なことを学びました。卒業後も選手を続けたので、大学で学んだことをすぐにコーチとして活かすことはありませんでしたが、数年後、英語力を買われてまずセクレタリーとしてチームに入り、すぐに現場に呼ばれセクレタリー兼アシスタントコーチ兼テクニカルコーチに、2022年北京オリンピック後にヘッドコーチになったという流れです。
スキークロスは人手不足なのですよ。マイナースポーツですから経験者がほとんどいませんし、SAJ(全日本スキー連盟)の資金も豊富ではなく、活動資金やコーチとしての待遇が十分でないこともあり、指導者を引き受ける人が少ないのです。私はちょうど主婦をしていた時だったので引き受けたのですが、もともとトレーナーをやりたいという気持ちが強かったので、コーチもトレーナー目線、つまり骨や筋肉などのフィジカルなことについても考えるようなやり方でやっていました。
実は、スキークロスもアルペンも女性のヘッドコーチは他国のチーム(女子チーム以外)を見ても私だけだったので、風当たりが強かったですね。当時はトップチームしかなく、次世代も育てる必要性を感じ、ワールドカップチームの一つ下のランクのレースをまわるコンチネンタルカップチームを作り、その際に更に若手を育成するジュニアチームも作りました。そこで様々なトラブルがあり、私は結局ヘッドコーチ辞任に追い込まれました。私としては2030年までビジョンを作っていましたし、ジュニアを2030年までに育てるための助成金の申請などもしていたのですが、強化費の使用用途においてチーム内で意見の相違が出始めました。ミーティングを重ねたのですがジュニアコーチ等から理解も同意もなかなか得られませんでした。私はアメリカに4年間いたせいか、マネジメントのやり方がとてもアメリカ的と言われ、理論的な要素が多く情が薄かったようで、そこに反感を持たれたようです。現地帯同で動いているチームメンバーは支持してくださいましたし、成績も出て強いチームになっていたのでとても残念に思いました。そんなこともあり、「40歳になることだしキャリア変更するなら今だな」と思い、辞任を決めたわけです。個人の力で動けるトレーナーの立場で選手を強くすることに関われますし、組織のしがらみに関係なく動くこともできますから。
私がいたのは運動生理学の心肺呼吸循環系の研究室でした。例えば、3000メートルの高地でいきなり練習を始めると高山病になることがあり、パフォーマンスを上げられない、ではどうすればパフォーマンスを維持して質の良い練習ができるのか、レースで成績が上げられるのか、といった研究をしていました。院生の方々も先生方もとても優秀で、こうやって科学は進歩していくのだということを学べたのが良かったですね。
研究室には低圧低酸素室があり、その中で実験していたのですが、なかなか良い結果が出ませんでした。高濃度酸素を吸わせるのですが、優位さが出ず、これではまともな論文が書けない。結局、運動時間を変更し、高濃度酸素を吸うとパフォーマンスを維持できるというデータは出せたのですが、その方法を現場に活かすには、データだけではくトレーナーやコーチの想像力やアレンジ力が必要で、さらに何と言っても場所が雪山なので科学と現実のギャップというか、難しいという諦めと割り切りのようなものも学びました。
もう一つ、当時の大学で一緒に学んだ仲間たちと出会ったことも本当に良かったです。彼らとは今でもつながっています。チームに関わるようになった頃、トレーナーとして独立していた同級生がいて、その方の師匠は私が選手の時にお世話になったトレーナーでした。私は今その同級生の元でトレーナーとして勉強しながら働いているのですが、その方の理論はスキークロスの子達にも必要だと思いました。技術を高めるためのフィジカル作り、細かいところの神経伝達や筋肉の伝達といった部分が重要で、大枠のトレーニングではカバーできない部分をその理論で埋めるようにしています。他の同級生にもそこで学んでもらって、今現地のスキークロスチームのところに行ってもらっています。スキーができない人も、基本スポーツが得意な人たちなのでスキーを練習してもらって。そんな風に後になって色々なつながりができていくことはとても嬉しく思います。
選手を引退して結婚し、東京にいたのですが、後に長野に移住しました。そこで元オリンピック選手でスキークラブを運営している方がいらして、そこでコーチ兼受付で来てくれないか、との話があり、アルペンスキーを始めたばかりの子から全国トップに行くジュニアや国体を目指すシニアまで幅広い選手のいるクラブのコーチを始めました。育成のためのチームではなく練習場所を提供してそれぞれのレベルに合わせた一言コーチングをする、といった形のチームで、多い日は200名ほどの参加者をコーチングしていました。そこでコーチを3年ぐらいやったのですが、多くの人にアルペンスキーの楽しさを提供することを主軸としたクラブチームでは育成に繋がらないなー、というモヤモヤがありました。センスがすごくあるのにフィジカルが足りなくてこの技術ができないといった子もいて、継続した育成の必要性を感じました。フィジカルからコーチング、技術、レースと繋げてできればいいのにと思っていた時、スキークロスから声が掛かり、現場に立てたら面白いだろうなと思いました。スキークロスのワールドカップチームの中でアジアは日本チームしかいないので、もし勝たせることができたら面白いなとも思いました。強い欧米の選手と日本人とどこが違うのかをフィジカルの視点から見ていったら、コーチングの面白さも見えてきました。(中編に続く)
(文:河崎美代子)
中編はこちらから↓
https://coach-do.com/interview/58-2/
後編はこちらから↓
https://coach-do.com/interview/58-3/
◎日置千耶子さんプロフィール
元アルペンスキー、スキークロス選手
1984年大阪生まれ、鳥取県出身。5歳からスキーを始める。
小6:北海道へ単身留学
中3〜高校卒業まで:4年間単身渡米、スキーアカデミーであるストラットンマウンテンスクールを卒業
大学:帰国後、筑波大学体育専門学群にてスポーツ科学全般について学ぶ
社会人:スキークロスに転向し、(株)パートナーエージェントマーケティング部スキーチームに所属。30歳までスキークロス選手活動。
引退:30歳で引退、英語講師やアルペンスキーコーチを経て、36歳から全日本スキー連盟スキークロスナショナルチームのセクレタリー兼コーチ、38歳からJOCコーチ・スキークロスナショナルチームヘッドコーチ
現在:フィジカルトレーナー。ゴルフ、トランポリン、アルペンスキー、スキークロス、ラグビー、ダンサー、サッカー、一般ボディメイク、ジュニア選手からトップ選手、一般の方まで大阪やオンライン、海外にて幅広くトレーニング指導をしている。
<選手時代経歴>
*アルペンスキー
全中10位、全日本スキー連盟ジュニア強化指定選手
米国ジュニアオリンピック4種目総合10位
*スキークロス
ワールドカップ15戦出場
2014年ソチオリンピック候補強化選手(出場ならず)
○Instagram:chiyako.hioki