「コーチ道リレーインタビュー」では、指導者の先達である方々、指導者として現在ご活躍の方々のインタビューをリレー形式でご紹介しています。今回は、早稲田大学相撲部監督の室伏渉さんにお話を伺いました。
今年創部105年を迎えた早稲田大学相撲部。今年11月の全国学生相撲選手権大会ではBクラス団体優勝、春の選抜大会の出場権を2年ぶりに獲得しました。相撲部OBである室伏さんはその長い伝統と向き合いながら、クラウドファンディングや動画配信など新たなことにも力を入れています。
部が存続の危機だった監督就任時の苦労、コロナ禍でのあまりにも辛い出来事を経て、早稲田相撲部を愛し、常に学生たちとコミュニケーションを取りながら前へ進む室伏渉さんのインタビューを3回にわたってご紹介します。
(2022年11月 インタビュアー:松場俊夫)
私が監督になったのは2012年です。それ以前からコーチもしていましたので、約20年間母校の相撲部に関わってきました。ですが大学を卒業した時はもう相撲部には関わらないと思っていたのです。
早稲田相撲部には学生の自主性を重んじ、学生主体で動かなければいけないという昔からの伝統があります。私が現役の時の監督さんは一般企業に勤める方でしたからなかなか練習を見ることができず、コーチもOBも週末だけ練習を見に来るという状況で、どのように練習するかは自分たちで考えていました。
その伝統が私を再び相撲部に引き戻すきっかけになったとも言えます。というのは、当時の学生たちが自由というものを履き違えてしまっていたのです。練習もほとんどやっていない状態で茶髪の部員もいました。おかげで部は崩壊寸前。インカレを見に行ったのですがCクラスにも負けていました。自由というのは難しいもので、受験生や部員にもよく言うのですが、勉強するのもしないのも自由、練習するのもしないのも自由、だが自分たちがこうなりたい、自分が強くなりたいと思わない限り、相撲も勉強も結果は出ない。そういうものです。
当然OBだけでなく他大学のOBからも「早稲田はどうしたんだ?何やってるんだ?」と厳しく言われました。私たちにも責任があると思いましたね。そこで部の打ち上げの食事会でOBも集まっている中、私たちは涙ながらに訴えたのです。早稲田の相撲部はこんなものではない、もっと一生懸命やらなきゃいけない、一生懸命やって負けるのならそれはそれでいいじゃないかと。部員たちにどれだけ響いたかわかりませんが、やはり驚いたと思います。さらに、インカレ後には1週間のオフがあるのですが、「オフの後にもう部に戻りたくない者は辞めてもかまわないから」と言いました。ですが全員が戻って来ました。私の同期たちにも声をかけて、まず道場の掃除から始めました。その当時の部長に感謝されましたよ。それが私が週末に練習を見に行くようになったきっかけです。
当時の相撲部はとにかく何もやっていませんでした。お金のことも含めて何をやっているか全くわからない状況で、部が正常に運営されていなかったのです。これでは学生が可哀想だ、まずは私たちが教えなければいけないなというのがスタートでした。そこから少しずつ関わるようになり、地道に重ねていったのが今につながっているのだと思います。
そして2012年にヘッドコーチから監督にという話が出て来たのですが、実はその前にも監督就任の話はありました。私で良ければやりますと言っていたのですが、当時32,3歳とまだ若く、古いOBから「何だあの若い奴は。大丈夫か」という声が上がっていたようです。また他のOBから地方に在住している人の名前が監督に出たのです。その人がどうのこうのではなく、地方の人がどうやって指導するのかどうやって学生にかかわっていくのかと考えた時に、私、頭に来てしまい「それおかしくないですか」と席を立ってしまいました。もういいです、好きにやってください、もう一切関わりませんとも言いました。するとあちらが慌ててしまい、室伏ちょっと待ってくれとそのOBに言われたのです。また当時のOB会副会長がその後連絡をくれて「待ってくれ、俺が責任を持つから」と引き止めるのです。その高齢の副会長は指導はせずに名前だけの監督になるから、実際はお前がやってくれと。副会長には本当に現役の時からお世話になっていましたし、そこまで言われるのであればと、そのままヘッドコーチとして指導を行いました。その後35歳の時に起業し、徐々に相撲部の成績も上がってきてまた仕事も順調に進んでいたのですが、2012年、40歳の時に再び監督の依頼が来ました。私は監督の立場になることに特に興味はなくなっていました。何故かというと、立場に関係なく学生のために何かしたいとしか考えていませんでしたからね。あと5年で相撲部は100周年、どう迎えるんだとOB会副会長やその当時の監督(現OB会長)に言われた時決心し、そのようなわけで私が監督を引き受けることになりました。でも当時の部員はたった2人!そんな状況でしたが、引き受けた以上は100周年を目標に腹据えてやるしかない、まずは現場の学生を強くし盛り上げなければいけないと強く思いました。
部員が2人だけですとモチベーションが下がってしまいますから、若いOBを呼び、私もまわしを締めて胸を出し、私たちも一生懸命やっているんだということを伝えました。その翌年は100周年の4年前、その時に入部した学生が100周年を迎える時に4年生になるというタイミングに私は全国を渡り歩きました。全国に6つぐらいある高校の大会すべてに足を運び、「今度監督になったのでよろしくお願いします。いい生徒がいたらお願いします」と頭を下げました。そのおかげで監督2年目の時、5人が入部したのです。これで相撲部が繋がると思いました。本当に嬉しかったですね。
早稲田大学を志望してくれた高校生たちには、100周年を迎えるためになんとかAクラスに上がろう、優勝しよう、力を貸してくれと言いました。その代わり受験指導は実に大変でしたよ。スポーツ科学部志望が3人、社会科学部志望が2人、AO入試で競技実績と学業成績、小論文、面接などがありますが、小論文の指導は実に大変でした。7月の夏休みから受験のある秋まで、新聞のコラムの感想などを書かせて郵便やメールでずっとやりとりしたのですが、仕事をしながらなので、その添削をするのに朝の4時からやっていました。でも学生が返信を待っているからすぐにやろうと頑張りました。するとその当時の部員たちがAOで合格した人のリサーチをしてくれたのです。どういう問題が出たか、どんな面接をしたか。チーム挙げて受験指導しました。この調子なら100周年がいい形で迎えられるのではないかと思いましたね。
もちろん母校に対する思いもありますが、私が現役の時の監督さんが100周年の式典を迎えることなく54歳で亡くなってしまったのです。その監督が言っていた「早稲田を強くしたい」という声がずっと頭に残っていました。私たちが現役の時も忙しい中、その思いでやってくれていたのだなと。
でも学生時代にはそのありがたみはわかりません。私自身も学生時代そうでした。だからこそ私もやらねばという強い思いがありました。監督を務めることは時間が取られるしお金もかかる、馬鹿じゃないのと言われることがありますが、100周年を迎える時の部員たちは本当に素晴らしかった。とにかく強い思いを持っていました。私の思いが伝わったのかもしれませんが、あの部員たちがいたから私も一生懸命やることができたのです。ですから今でも彼らとは仲が良く、彼らは今でも部に顔を出してくれます。それが一番の財産ですね。
私たちが稽古を見に行くのは土日ですが、その土日で部員が普段稽古しているかどうかがよくわかります。でも私たちは平日の稽古に関してはああしろこうしろとは一切言いません。平日のことは見ていませんから責任も取れないわけで、それは徹底しています。でもそれは学生たちを信頼しているからです。学生たちも信頼していると言われれば頑張ろうと思うはずです。(中編に続く)
(文:河崎美代子)
中編はこちらから↓
https://coach-do.com/interview/42-2/
後編はこちらから↓
https://coach-do.com/interview/42-3/
◎室伏渉(むろふしわたる)さんプロフィール
1972年 東京都中野区生まれ 50歳
1991年 明治大学付属中野中学・高校を卒業 若乃花が先輩、貴乃花と同期
相撲部に所属 中学団体日本一、高校総体団体日本一に貢献
1995年 早稲田大学人間科学部スポーツ科学科卒業
相撲部に所属 3年より主将 第75代~76代主将
1998年 一般企業に就職するも指導者としての道を考え、
母校の明大中野中学高校に事務として勤務
2005年 早稲田大学相撲部 コーチ就任
2007年 (株)ケンズアーキテクト 代表取締役 就任 (家業を承継するため独立)
2008年 (株)KGP JAPAN 代表取締役 就任 兼任
2012年 早稲田大学相撲部監督 就任
2017年 早稲田大学相撲部創部100周年
・東日本学生相撲選手権大会 団体Aクラス(9年ぶり復帰)
・東日本及び全国学生相撲個人体重別選手権大会135㎏未満級 優勝者輩出(早稲田史上初)
2019年 ・全国選抜大学相撲宇和島大会 団体Aクラスベスト8(早稲田史上初)
・全国選抜大学相撲宇佐大会 個人準優勝者輩出(早稲田史上初)
・全国学生相撲選手権大会 個人ベスト8輩出(30年ぶり)
・全日本相撲選手権大会(天皇杯) 個人ベスト16輩出(30年ぶり)
2019年 (株)ケンズコーポレーション 代表取締役 就任 3社兼任
2020年 ・全国学生相撲選手権大会 団体Aクラスベスト8(49年ぶり)
2021年 ・東日本及び全国学生相撲個人体重別選手権大会115㎏未満級 優勝者輩出(早稲田史上初)
現在に至る
【関連サイト】