スポーツ指導者が学びあえる場

リレーインタビュー 第14回 酒巻清治さん(後編)


◎一番影響をうけた指導者はどなたですか?

たくさんいます。本当にたくさんの方に影響を受けましたし、教えてもらいました。

まずは中一の時。できたばかりのハンドボール部に入った時、西川先生という指導者がいらっしゃいました。先生にはずっと「とにかくトレーニングを全力で元気にやれ。絶対に人をだましたり嘘をついてはいけない」と言われていました。へばっても疲れてもいいから全力でやれ、と。この出会いが原点です。西川先生と会っていなかったらハンドボールはやっていなかったと思います。

その後は、その都度の指導者に影響を受けてきましたが、高校、大学時代の指導者はいわゆる全国的に有名な指導者ではありませんでした。また、ここトヨタ車体では、ハンドボールの経験者ではなくビジネスの世界にいらした方々と触れ合うことで、私の考えは湧永製薬時代の勝利至上主義とはまったく変わりました。

1996年の日本代表チーム監督、スウェーデン人のオレ・オルソン氏の影響は大きかったですし、コーチはこうあるべきという姿を見せてくれたのはケント・ハリー・アンダーソン氏でした。彼はブンデスリーガのトップチームの監督でありながら、練習の時は誰よりも早く体育館に入り、体育館のまわりをチェックし、練習後は選手一人一人と話をし、選手が帰ったら体育館を出て電気を消す、そんな人でした。それがたまたま彼のスタイルなのかもしれません。ですが、彼のハンドボール観もハンドボール哲学も人間性も、私にとってはコーチの理想像でした。

私は世界のトップ選手や指導者と一緒になる機会が比較的多かったので、彼らの所作を見ることも多かったのだと思います。世界一になった代表チームの監督、コーチオブザイヤーをもらった監督に「サカ、元気かい?」と呼ばれ、スポーツホールのカフェでハンド談義なんて、何物にも代えがたい財産です。日本にはそういう人がなかなかいませんよね。ですから自分自身はイメージしやすいのだろうし、そういう世界にいたいという気持も高まっているのだと思います。

私は自費でスウェーデン行っていましたから、目の前にある物は何でも盗んでやろうと思っていました。本当に楽しかったですよ。かっこいい指導者というのは、憧れの存在にならなくても「この人と関わりたい」と思わせる魅力を持っています。これは大切なことです。最初は真似でもいいのです。何度も繰り返しているうちに自分のものになってくると思います。



◎最近、スポーツ界のいろいろな問題が出てきています。今後、日本のスポーツ界はどうすべきだと思いますか?

指導者同士、競争をさせるべきです。そういうシステムを作る必要があります。そうすればコーチングスキルは上がり、アスリートがその恩恵を受けることができます。アスリートが育成されれば競技のレベルが上がるのは当然で、やがて世界で認められる競技になっていくでしょう。ハンドボールの世界で言えば、まず指導者にハードな競争をする環境を与え、その中でコーチが腕を磨き合う、競争し合う環境を作れば、まず一歩進むと思います。

具体的に言うと、このような形でしょうか。まず日本ハンドボール協会の中にサッカー協会のような技術委員会を作る。さらに、日本テニス協会のような指導者プールを作り、日本ハンドボールリーグのチームを指導するならその中にいなければいけないというルールを作る。極端に言えば、このプールから指導者を選ぶこともできる。こうした組織を協会、またはリーグの中に作るのです。またはリーグが独自に持つという考え方もできます。

今、同じような考えを持っている人が幸い、協会の中にいるので、彼をサポートするような体制がリーグにできればいいなと思っています。リーグには資金がありますから、リーグの各チームがタッグを組み、指導者と契約し、結果をシビアに評価するシステムを作ります。このシステムができれば指導者の質も上がります。このような、将来的にシステムにするためのプロジェクトを進めるリーダーシップを発揮するのは、協会でもリーグでも良いのです。

私は、スポーツ界のいろいろな問題の大きな要因の一つは就職だと思っています。中学、高校、大学の指導の中で体罰、ハラスメントがあっても、それを耐えていけば、指導者や学校とつながりのある企業に就職できます。このような形が残っていると、トップの監督は自分のコーチングスキルや戦術のアップよりも政治的な活動の方に注力してしまいます。また、一人の選手について言えば、就職もできて、良い生活ができていいかもしれませんが、競技性は上がりません。ましてや、選手の行く道は自分で切り拓いて決めた道ではないのです。親や指導者や会社が決めた道を消去法で選んで決めた道です。選手が指導者を選べるような環境ではありません。

ですから、そこをクリアするために、日本ハンドボールリーグ機構、日本ハンドボール協会に、指導者が競争できる環境を作ってほしいと思っているのです。各チームが資金をリーグに投入していますから、リーグや協会がレベルの高い指導者を育てて、チームに派遣、拠出された資金に対して還元できれば、循環していくのではないかと思います。

モデルになるのはサッカーです。指導者の人数が多いですし、外国からも指導者が来ますから、競争が激しいでしょう。でもその中で良い位置をとることがステータスを高めることになり、人生を達成感いっぱいで終えられる、そのような環境があればみな努力するでしょう。指導者が政治力ではなく、腕で勝負できるような環境ができればいいと思います。「対価」という考え方、つまり、磨いた腕をどの程度チームや選手に還元できるか、それに合ったお金をもらう、という考え方はプロフェッショナルとして悪いことではありません。社会に貢献するという意味で、人間的な質が高く、コーチングスキルもしっかりしていて、世界的なトレンドもわかっている、そうしたコーチの競争がまず何よりも必要なのです。

◎最後に指導者にメッセージをお願いします。

これは自分自身の課題でもあるのですが、現場で何が起きたのかを真剣に見つけ出さなければならないと言うことです。確かな結果を出している指導者、組織、競技のオンコート、ピッチで、実際に何が起きたのか。例えばエディ・ジョーンズ監督のチームですが、ワールドカップの2年前と直前の、選手の身体の写真をみるとまったく違うのです。一体何が起きたのか。おそらくトレーニング、食事、休養、ケア、そこに医学をプラスした結果、このルーティンだったと思います。では、このルーティンをどのようにやったのでしょうか。

政治や偏ったマネジメントだけではなく現場に目を向けて、競技団体に何が足りないのかを真剣に見つけるべきです。2020年東京オリンピックを目指す競技団体なら特にそうです。もしかしたらもう間に合わないかもしれませんが、身近なところに手本になることはたくさんあります。それが有名である必要はありません。実際に、頭を下げて現地を見に行くこと。合宿を見に行ったり、指導者に話を聞いたりして勉強させてもらう。それが必要だと私は思います。すべて将来あるアスリートのためです。(完)

(文:河崎美代子)

【酒巻清治さん プロフィール】

昭和 37年 5月 7日生 

昭和60年 3月  愛知県豊田市・中京大学体育学部体育学科卒業

 同年      4月    湧永製薬株式会社 入社

 同年      5月    全日本チーム入り

 同年     10月    同期入社の玉村選手と当時の西ドイツブンデスリーガ2部
         アイントラフト・ウ゛ィスバーデンへハンドボール留学
     (期間:1985.10~1986.6)

平成 6年 2月    同社ハンドボール部監督に就任

平成 8年 3月    同社ハンドボール部監督を退任

平成 8年 3月    全日本男子チームのコーチ就任

         日本オリンピック委員会球技系サポートプロジェクト
         メンバー

平成12年  2月  全日本男子チームのコーチ退任

         ナショナルトレーニングシステムスタッフ
(中国ブロックコーディネーター)

平成12年 4月  湧永製薬ハンドボール部監督に就任

平成16年 6月  湧永製薬退社

平成16年10月  スウェーデン・マルメ市に渡り独自でコーチング研修
   スウェーデン・デンマーク国内リーグ観戦。
          ブンデスリーガ・SGフレンスブルグのチーム活動に
          参加。

平成17年 6月  トヨタ車体ハンドボール部 総監督に就任。

平成18年 4月  トヨタ車体ハンドボール部 監督に就任。

平成19年12月  男子日本代表チーム 監督に就任。

平成20年 4月  トヨタ車体ハンドボール部 テクニカルディレクター
          就任。

平成24年 4月  男子日本代表チーム 監督退任。

平成25年 4月  トヨタ車体ハンドボール部 監督に再任。

平成29年 3月  トヨタ車体ハンドボール部 監督退任。

平成29年 4月  日本代表男子チーム  チームマネージャー就任。

平成30年 3月  日本代表男子チーム  チームマネージャー退任。

平成30年 4月  トヨタ車体ハンドボール部 テクニカルディレクター
          就任。


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