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リレーインタビュー第55回 大山未希さん(中編)

「コーチ道リレーインタビュー」では、指導者の先達である方々、指導者として現在ご活躍の方々のインタビューをリレー形式でご紹介しています。今回のインタビューは、元バレーボール、ビーチバレーボール選手の大山未希さんです。

 姉の加奈さんの影響で小学校一年生の時にバレーボールを始め、中学、高校、東レ・アローズに至るまでエース、セッターとして活躍しました。その後はビーチバレーボールの選手としても活躍し、現在は「ドリームコーチング」や「アスリーチ」、「JFAこころのプロジェクト」などで主に子どもたちの指導に携わっています。

小・中・高で全国制覇、東レ・アローズではVプレミアリーグ三連覇を経験した大山さんですが、「負けず嫌いが日本一に繋がった」とのこと。伸びやかに、しなやかに歩み続ける大山さんのお話を3回にわたってご紹介します。

(2024年8月 インタビュアー:松場俊夫)

前編はこちらから↓
https://coach-do.com/interview/55-1/

▷ 大山さんは多くの指導者のもとでプレーして来られたと思うのですが、一番影響を受けたと感じている指導者の方はどなたですか?

やはり下北沢成徳高校時代の小川良樹先生なのではないかと思います。小川先生は成徳で結果を出してあれだけメディアなどで注目されているのに、それをひけらかすようなことがないのです。先生の常に学び続ける姿勢、他の先生を立てるような気遣いは素晴らしいと思います。

小川先生は試合中もずっと良い姿勢でただ座っていらっしゃるのです。選手たちがとても良いラリーをやって盛り上がっていても、劣勢になってもそれは変わりません。監督の喜怒哀楽が激しいと選手たちは不安になるものですが、小川先生はいつもその姿勢なので、選手もベンチを気にすることがなく、自分たちでなんとかしようと考えます。

▷ 子どもたちの指導をしていてやりがいを感じること、嬉しいと思ったエピソードを教えていただけますか。

やはりできなかったことができるようになって満面の笑みを見られた時ですね。また、マンツーマンレッスンで出会った教え子たちが下北沢成徳高校に入ったり付属中学に入って来たことは嬉しいです。高校に入った子はバレーボール(以下、バレー)の強豪ではない中学に通っていました。でも私と練習したことで成徳にチャレンジしたいと言ってくれて。その子は成徳にしては身長も低く、線も細い子だったのですが、体験で練習に連れていったところ、始まった途端に顔つきががらっと変わりました。マンツーマン指導の時はちょっと心許なくて大丈夫かなと思っていた子が、キリッとした表情で練習しているのです。さすがにいきなり全部やるのはきついかなと思い、途中でやめてもいいよと言ったのですが、結局最後までやり抜きました。彼女が成徳に入学してからサプライズで試合を見に行った時には、まだ1年生なので観覧席で応援をしていたのですが、その姿を見て感動しました。

彼女のお母さんによると彼女は「一生に一度だからチャレンジしたい」と言っていたそうです。「レギュラーになるのは難しいことだとわかっているけれど、トップレベルの環境で学べることがある」と。実際、中高通じてレギュラーになれなかった同期、先輩、後輩、みんなそうですが、6年間がその後の人生に活かされているのではないかと感じています。小川先生が伝えた自主性は社会に出た時に活きてくるのです。自分で会社を立ち上げている人もいるし、仕事で活躍している人がたくさんいます。

▷ 「チャレンジ」することの大切さに気づいたのはいつ頃でしたか?

学校で授業をする時に、私のこれまでの道のりを振り返って子どもたちに話したりするのですが、その中で、自分は様々なことにチャレンジしてきたのだと気づきました。そもそも私がバレーを始めたのは姉が始めたからなのですが、その時に自分から「私も行く」と言わなければ私のバレー人生は始まりませんでした。初めてにも関わらずサーブが入ったり周りよりレシーブが上手にできて、そこにいた6年生のお兄さんやコーチがとても褒めてくれて「私って天才!(笑)わたしもバレーやりたい」と思ったことを覚えています。

▷ 失敗や挫折を乗り越えるためのチャレンジはありましたか?

セッターに転向した時でしょうか。セッターは小学生の時もやっていましたし、オーバーも得意でしたので、東レに入って2年目に転向しました。当時、同じポジションに姉がいましたし、良い選手が何人もいましたので、レギュラーで出場するのは難しい状況でした。また、その当時の代表チームのセッターに身長の大きい人がいなかったり、所属チームのコーチがセッターだったこともあり転向を決めたのです。

当然、最初はコートに入れるわけもなく、上手にトスが上がらないので、正直アタッカーに嫌な顔をされることもありました。初めて私は自分のことを下手だと思いました。小学校の時であれば何とかできたと思うのですが、Vリーガーとなるとレベルの高い世界なので大変ではありました。

でも乗り越えられたのは、チームの仲間が練習後に自主練に付き合ってくださったからだと思います。速攻の練習などはアタッカーがいないとできないので、とても助けられました。

私にとって小1から29歳までのバレー人生で初めての挫折でしたが、今になってみれば、子どもたちに伝えることのできる良い材料になったと思います。実は私は小学校でいじめにあったことがあるのですが、これも良い材料の一つです。私は元来ポジティブな性格ですし、周りに助けてくれる仲間もいたので全然へこまずに学校に通っていましたよ(笑)。大人になってからの方が少しネガティブになったかもしれません。

▷ 大山さんは目標やビジョンを掲げることがあまりなかったとのことですが。

私は負けず嫌いなだけで、目標を持ったことがあまりないのです。アスリートの多くが小学校の卒業文集にオリンピック選手になりたいとか書いているようですが、私はそれもないしバレー選手になりたいとも思っていませんでした。高校の時も卒業したら辞めたいと親に言っていたぐらいです。でも親に「辞めてどうするとの?選手しかないでしょ?」と言われ「確かに」と(笑)。

私はただ「目の前の試合に負けたくない」という思いでやってきて、その結果が優勝だったというイメージです。「日本一を目指す」というのも、小学校の時のチームが日本一になろうと言ったから目指したような感じで。引退した今でも時々試合に入ったりするのですが、絶対に負けたくないという気持ちは変わりませんね。今日の試合は楽しくやろうと思っても、スイッチが入ってしまって(笑)。根っからの負けず嫌いですから「日本一に絶対になりたい、途中で負けたくない」という強い思いが、これまでの良い結果に繋がったのだと思います。(後編に続く)

(文:河崎美代子)

後編はこちらから↓
https://coach-do.com/interview/55-3/

◎大山未希さんプロフィール

元バレーボール、ビーチバレーボール選手

1985年 東京都生まれ

実姉(大山加奈)の影響で小学1年生よりバレーボールを始める。

成徳学園高校(現下北沢成徳高校)では1年生からレギュラーを獲得。

春高バレー2連覇を達成。

ユース、ジュニア日本代表。

2004年東レ・アローズに入団し「V プレミアリーグ」3連覇を達成。

ビーチバレーの選手としても活躍。

小・中・高と全国制覇を果たしており、全てのポジションを経験している。

○Instagram:miki_oyama1003