「コーチ道リレーインタビュー」では、指導者の先達である方々、指導者として現在ご活躍の方々のインタビューをリレー形式でご紹介しています。今回は、慶應義塾高等学校フェンシング部コーチの小林さと子さんにお話を伺いました。
幼稚舎からの生粋の慶應育ちの小林さんは、現在高等学校を中心に大学や普通部(中学)の指導を行っています。中学・高校の時に国民体育大会優勝など選手として活躍、大学入学後しばらく競技を離れていましたが、2000年から指導者として再びフェンシング界へ。「楽しく・仲良く・強く!」をモットーに、フェンシングを通して生徒たちの人間力を高めていきたいと日々精力的に活動されている小林さんのインタビューを3回にわたってご紹介します。
(2023年4月 インタビュアー:松場俊夫)
2000年から慶應義塾體育會フェンシング部の指導をしています。これまでは中学の監督、高校の監督、大学のコーチなども務めてきましたが、現在は高校のコーチが中心です。ただ、ポジションとしては高校の指導者なのですが、慶應はご存知の通り下から上までの一貫教育ですので、望まれれば中学生から大学生まで、あらゆるレベルの選手に対して、特に基本にこだわったレッスンを行っています。活動に関しては全体のチームビルディングや初心者指導、試合の帯同、部員の勧誘、その他何でもやります。
中学、高校の時はその実力があるかどうかは別として、選手としてオリンピックに行きたいという想いでフェンシングをやっていました。ですが当時は今のような正しいフィジカル指導もありませんでしたし、スポーツドクターも少なかったので、根性根性でひたすら頑張るという身体の使い方をしていました。そのせいで膝の故障に始まり、股関節不完全脱臼、椎間板ヘルニア、骨盤の歪みなどが重なり、国体優勝後にドクターストップで悩みに悩んでフェンシングを続けることを諦めました。
今思えば、高校まではとにかく強くなりたい一心で、必死でフェンシングだけをやっていました。大学で続けることを断念した時に、今までできなかったことをしようと決意しました。小学校からの一貫校で友達も限られた環境の人しかいなかったので、大学に入ったら幅広く友達をたくさん作り、人間的な面で成長したいと思いました。そこで、当時最も人気があり30くらいある中でも強くて部員数の多いテニスのサークルに入りました。そこには日本全国から、テニスをしたい人だけでなく、飲み会だけを楽しみにしている人も集まっていて、多くの価値観を持つ仲間と知り合うことができました。卒業後も結婚、子育てなどでフェンシングからは離れていたのですが、2000年に縁がありフェンシング部に戻ってこないかと声をかけていただきました。当時は大学で入部しなかった人はOB会に入れなかったため、これは異例なことで、まるで「初恋の人にプロポーズされたような」そんな想いで現場に戻りました。
元々の性格なのか、中学生の頃から学校の教師に向いていると担任の先生に言われていました。若い人を応援するのが好きだったですね。現役の時は自分にしか目が向きませんでしたが、大人になってからは子どもたちや若い人が成長するのを応援する楽しさに気づきました。
私が現役の頃はトップダウンの時代でした。ですから現場に戻った時は勘違いしており、指導者然とした感じでないといけないと思っていました。そんな気持ちで現場に入ったところ、生徒たちに全く認められず一発でダメでした。26年ぶりに現場に戻りましたから、持っている知識も競技に対する姿勢も古いわけです。生徒たちがついて来られないのは当たり前です。
その頃のフェンシング部は部員は少なかったのですが、その中に強い生徒が一人いて、一緒にやっていたコーチに私のことをうざいと言ったのです。彼は私の子どもと同い年だったのですが、その生徒が私に向かって直接ではなく、人づてにそう言われたことにショックを受けて家で泣きました。ですが冷静になってみれば、確かにその通りなのです。コーチとしての時代にあった知識も技術もないことに気づかされました。改めてフェンシングを学ぼうと、もう一人の先輩コーチと有名なコーチのところに行き、基礎から教えていただきました。生徒たちにも「私はみんなの親と同年代のおばさんだし、みんなから見たら望ましいコーチではないかもしれないけど、私もこれから勉強して一緒に頑張るからよろしくね」と言ったところ、生徒たちも心を開いてくれてそれからはいい形でやっていけるようになりました。
当時、神奈川県では法政二高が非常に強く、27年間インターハイの神奈川代表は法政二高でした。そこの監督である先生自身オリンピアンですし、多くの日本代表レベルの選手を育てていらっしゃいました。インターハイに行くにはそこに勝たないといけないわけです。そこで、私は同時期に現場に戻ってきた3年先輩の方と二人三脚で、どうしたら全国トップクラスの法政二高に、県大会で一勝もできない私たちのチームが勝てるのかをとことん考えました。そして行き着いたのは、強豪校の名コーチたちの真似をするのではなく、私にしかできない、世界に一人しかいないコーチになろうということでした。私は幸いフェンシング関係以外でも多方面に知人が多かったので、色々な人の力を借りてやっていこうと思いました。1人の力よりも100人の力の方が強いですからね。
その頃まだ小学生だった、ロンドンオリンピックフルーレ団体で銀メダルを獲った三宅諒君に出会いました。私は高校のコーチと並行して中学の監督もやっていたので、小中学生の大会に行く機会が多く、その時も本当に軽い気持ちで「将来、慶應も考えてみてね」と彼に言ったのです。慶應のフェンシング部は高校も大学も大会では勝てないチームでしたから、当時日本で最も有名な金の卵の三宅君がまさか慶應のフェンシング部に興味を持ってくれるとは夢にも思っていませんでした。
それでも会うたびに声をかけ続けたところ、一度練習に来てくれました。そして、慶應はスポーツ推薦がないのですが、慶應義塾高校(塾高)のA O入試を検討した三宅君から、「僕、慶應に行きたいです」と言って来てくれたのです。慶應の場合は、どんなに強い選手が入りたいと言っても、勉強で点数が取れないと合格できないので、私は応援するしかできませんでしたが、本人の努力で見事に合格してくれました。合格発表で彼の番号を見つけた時は夢のようでした。後になって話をしてくれたのですが、彼が本気で慶應に入りたいと心を決めたのは、練習に参加した時に強い弱いではなく皆が生き生きとフェンシングに向き合っているところに魅力を感じたからだそうです。「楽しく・仲良く・強く」を感じて入って来てくれたことはとても嬉しかったです。
それからですね。まわりの学校の私たちを見る目が変わりました。練習試合をいくらお願いしても色々理由をつけて断られていたのが、三宅君が入った途端、相手をしてくれるようになったのです。彼の同期は全員フェンシングは高校から、スポーツ未経験の生徒がほとんどでしたが、三宅君目当てに強豪校が相手をしてくれるようになりました。そのチャンスを逃さず、相手の学校のコーチの方々にどんどん質問したり、全国どこの学校でも「わからないので教えてください」とお願いするうち、みなさん誠心誠意教えてくださるようになりました。
たまたまその頃になって、私の国体のチームメートだった友達夫婦がオリンピック選手や全日本チャンピオンを何人も育てていることを知りました。強豪の和歌山北高校で夫婦で指導をしていたので合同合宿をさせていただいたことがあるのですが、私たちとは全く桁違いのことをやっていて、やはりこういう練習をしなければ強くなれないということを思い知らされました。それをきっかけに10年近く毎年、クリスマスは和歌山合宿で、和歌山北高の指導者や選手たちに育てていただきました。そもそもスポーツ未経験だけどスポーツはやりたい、それなら楽そうなフェンシング部なら大丈夫だろうと入ってきた生徒が多かったのです。彼らなりに本気でやってくれていたのですが、「本気」の意味がわからない、そんな彼らにどうしたらそれが伝わるか考えました。
ちょうど野球部が45年ぶりに甲子園出場を決めた年だったので、野球部の監督で「エンジョイベースボール」の著者である上田先生にお願いして、全国で闘う部活の空気がどんなものかを生徒たちに体験させるため、慶應塾高の野球部と一緒に練習をさせていただいたのです。ところがうちの部員はキャッチボールもできない、ボールがバットにも当たらないという生徒がほとんどで、野球部の皆さんには大変ご迷惑をおかけしたことを今でも申し訳なく思います。私も夜9時ぐらいまで野球部員に混じって一緒にトレーニングし、終わった後に部員たちに今日は付き合ってくれてありがとうとご馳走したのですが、その時は手応えはあまりなかったです。
それでも諦めずに様々なことを取り入れていくうち、一つ一つ芽が出てきました。2000年に現場に戻った時に私は「インターハイに出場する」「大学一部復帰」私が目指してできなかった「オリンピック選手を育てる」という三つの目標を挙げました。当時はどれも雲を掴むような話で、まわりのみんなは「何を言ってるんだ?」と思ったと思います。ですがインターハイ出場は8年で、大学一部復帰は14年で、オリンピック選手は12年で達成しました。さらにその後には全日本チャンピオン、U-17、U-20、U-23各年代の日本代表選手たちも出ています。当初高校の部員は3人、大学の部員は男子のみ7人でしたが、今では高校50人、大学は男女合わせて58人になりました。(中編に続く)
(文:河崎美代子)
中編はこちらから↓
https://coach-do.com/interview/45-2/
後編はこちらから↓
https://coach-do.com/interview/45-3/
◎小林さと子さんプロフィール
昭和31 年 東京生まれ
【学歴】
昭和53 年3 月 慶應義塾大学 文学部教育学科 卒業
【競技戦績】
昭和47 年 全日本選手権 団体出場(ベスト8)
昭和48 年 全日本選手権 個人・団体出場
インターハイ 団体出場
国民体育大会 優勝
昭和49 年 全日本選手権 個人・団体出場
【スポーツ指導歴】
平成12 年7 月〜平成22 年3 月
平成24 年9 月〜現在
慶應義塾高等学校フェンシング部 コーチ
平成22 年4 月〜平成24 年8 月
慶應義塾高等学校フェンシング部 監督
平成13 年4 月〜平成22 年3 月
平成24 年9 月〜令和3 年5 月
三田FC 慶應義塾普通部 監督
平成25 年4 月〜平成28 年5 月
慶應義塾大学フェンシング部 コーチ
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