「コーチ道リレーインタビュー」では、指導者の先達である方々にご自身の経験やお考えなどを伺い、次の指導者の方にバトンをつないでいきます。
宇津木妙子さんからバトンを継いだのは、ご存じ「岡ちゃん」こと岡田武史さんです。
サッカーワールドカップでは初の本戦出場に日本代表を導き、今は現場を離れ、経営者として四国リーグ所属のFC今治を率いていらっしゃいます。
指導者として開眼したドイツでの経験、「岡田スタイル」の真実、そして、悩みぬいた末に見えてくるものとは?今こそ知りたい岡田武史さんのお話を前・中・後編の3回にわたってご紹介していきます。
(2015年7月 インタビュアー:松場俊夫)
前編はこちらから↓
リレーインタビュー 第2回 岡田武史さん(前編)
中編はこちらから↓
リレーインタビュー 第2回 岡田武史さん(中編)
特にないと思いますけど、ただ自分では、信念というほどのものではありませんが、まわりの目とか、そういうものに左右されずに自分自身を信じようと言い聞かせています。譲れないというよりも、要は、覚悟ですよ。Jリーグの監督から相談の電話が来ると、選手のクビを切るぐらいの覚悟がないから選手に見透かされてうまくいかないのだと言います。覚悟があれば、もしベンチをはずされても選手は文句言いませんよ。
うちのチームでも監督が言えない補強の悩みは僕が中心で行います。「試合からはずされるのがいやだったら出て行ってくれていい。そのかわり、向かって来る奴は必ずうちのスタッフがうまくする自信がある。あとはお前たちが決めればいい」と言います。そうした腹のくくりが必要なのです。どんな選手に対しても同じですよ。それがあれば口に出さなくても人間わかるのでしょうね。誰も僕に文句は言いません。コミュニケーションはしっかりとりますが、最後には腹の底にそんな気持ちを持っています。自分がクビにされることに関しても同じです。確かに、そこだけは譲れないところかもしれませんね。
ユベントスの試合をよく観に行っていたのですが、アンチェロッティやリッピといった監督たちの中で、僕より年下ですが、ただ一人だけ、初めて自分にはわからないと思ったのがペップ(※ジョゼップ・グアルディオラ 現FCバイエルンミュンヘン監督)です。
南アフリカ大会が終わった時、大体サッカーがわかったなと思いました。モウリーニョやファーガソンはビデオを観ていると何をやりたいか、どうなるかが何となくわかります。ところが、ペップだけはなぜこうするのかがわからない。その思いはクラシコ(※FCバルセロナとレアル・マドリードによる伝統の一戦)を観に行って、5-1でバルセロナが勝った試合から始まりました。それから彼の試合を全部ビデオで観ました。例えば、バレンシアという両サイドから攻めるチームに対して、外に一人しか置かない3バックでやる。理屈で言うとうまくいかない方法を取る。当然うまく行かないので15分くらいで変える。あれだけの監督がなぜ3バックにしたのか、なぜそうしたのか理解できないわけです。一体彼が何を考えていたのか、その世界が知りたくてビデオを観まくり、僕の知らない世界がまだあると思って中国に行きました。
その後、バルセロナのスタッフからも話を聞いて、答えは大体見つかりました。スペインのある監督は、ペップはサイドバックの走らせ方など、すべてのサッカー指導者の見る目を変えさせたと言っていました。サッカーの常識を常識でなくした改革者です。ですからペップが僕にとって最大のライバルでしょうか(笑)
僕はブラジル大会の時のザック(ザッケローニ監督)のサッカーは間違っていないと思っています。ただちょっとしたボタンの掛け違いがあっただけで。「自分たちのサッカー」の前に、日の丸をつけたら死に物狂いでやらなければいけない。それなのに基本的なことを忘れてしまう。それが日本の悪いところです。ポゼッションサッカーの終焉と言われて、次の監督が来たらこれはすばらしい、と絶賛する。これはあぶないと思いましたね。
スペイン人の有名なコーチと話した時、「日本にはプレイモデルがないの?」と言われました。日本ではサッカーは自己判断のスポーツなので型にはめてはいけない、コーチング方式でやるものだと言われています。それが、あれだけ自由奔放なスペインには型があると言うのです。ものすごく議論して知ったのは、型といっても共通認識のようなものなのです。16歳まで徹底して型を練習して、そこから各自が自由にやっていくのです。日本は逆です。でも日本の武道では師匠の教えをとにかく守って、次にそれを破って離れて行きます。スペインのやり方はそれと同じなのです。だから驚くような発想が生まれます。
そこで、日本でも型を作れないかということで、育成を16歳まできちんとやって下部組織からトップまで同じフィロソフィーでやるようなクラブを作ろうと思いました。Jリーグのチームも候補に上がりましたが、10年かかっても実現できるところということで、今治でやることになりました。最初は現場もやろうと思いましたがとんでもない!経営ってこんなに大変なのかと思い、現場はあきらめました。
サッカーにサポートという言葉がありますが、いま今治では何種類ものサポートに番号をつけて、練習の時に何番のサポートか声を出すようにしています。言えるようになるためには時間がかかりますが、そうした共通認識を作って、まずトップに落とし込んでいるところです。16歳までにやらないとダメなのはわかっていますが、今はトップが強くならないといけませんから。
ロンドンオリンピックの前、文科省のメダル獲得タスクフォース実行委員長で色々な競技団体をまわりました。それまで他の競技はあまり知らなかったのですが、やっぱりサッカーは進んでいると思いました。競技として「プレイヤーズファーストです」と言ってもなかなか伝わらないことも多いのです。この言葉をもっと理解してほしいし、タニマチ探しをするのではなく、ビジネスとしてお金を出させるような仕組を作らなければなりません。
やはり指導者は好奇心を持って勉強し続けないと行けないし、他の競技から学ぶことが僕自身ものすごく多かったので、コーチ道のような複数の競技をまたいで学ぶというチャレンジはすばらしいと思います。そうしたことも含めた情熱、パッションがないとこの仕事はできないし、自分の情熱を信じきる以外、助けてくれる人は誰もいません。正解はない世界ですから。
でもスポーツ指導者も、競技の指導者であるだけでなく、スポーツにはすごい力があることをもっと理解する必要があります。僕もいま、スポーツの力で今治の人を元気にしたいと思っているわけです。社会があってこそのスポーツですから、社会での位置づけ、人間の営みの中でのスポーツということをもっと考えるようになった方がいいと思います。 (了)
(文:河崎美代子)
大阪府立天王寺高等学校、早稲田大学でサッカー部に所属。
同大学卒業後、古河電気工業に入社しサッカー日本代表に選出。
引退後は、クラブサッカーチームコーチを務め、
1997年に日本代表監督となり史上初のW杯本選出場を実現。
その後、Jリーグでのチーム監督を経て、2007年から再び日本代表監督を務め、
10年のW杯南アフリカ大会でチームをベスト16に導く。
中国サッカー・スーパーリーグ、杭州緑城の監督を経て、
14年11月四国リーグFC今治のオーナーに就任。
日本サッカー界の「育成改革」、そして「地方創生」に情熱を注いでいる。
*座右の銘
人間万事塞翁が馬