「コーチ道リレーインタビュー」では、指導者の先達である方々のインタビューをリレー形式でご紹介しています。今回、中竹竜二さんからバトンを引き継いだのは、日本ウィルチェアーラグビー連盟強化副部長を務める三阪洋行さんです。
リオデジャネイロパラリンピックで、ウィルチェアーラグビーは初の銅メダルに輝きました。三阪さんはアシスタントコーチとしてメダル獲得に貢献、2020年の東京パラリンピックに向けて、多忙な日々を過ごしていらっしゃいます。
三阪さんがコーチとして学び続けてきたこと、目指しているもの、そして将来に向けての意気込みを、前・中・後編の3回にわたってご紹介していきます。
(2016年11月 インタビュアー:松場俊夫、河崎美代子)
前編はこちらから↓
リレーインタビュー 第7回 三阪洋行さん(前編)
ヘッドコーチは、プレーヤーとしてのキャリアは私より少し長いのですが、コーチ歴は私とあまり変わらないのです。ですから、私の方では細かい采配を担当しています。戦略・戦術を提案したり、ゲームメイクやメンバーチェンジといった試合の采配です。
但し、分担を明確に分けるのではなく、お互い探り探りというのが現状です。私自身学んでいるところなので、見ていて違和感があるとつい言ってしまうことがあって。初めはヘッドコーチもなかなか認めませんでしたが、二人体制で色々試して、最終的にこの形になりました。1年以上かかりましたよ。
関係性の面では難しい部分もあります。私が前に出るべきではないと思っても、チームが勝つためには、自分がやらなければプレーヤーが不満を持ってしまうこともあります。プレーヤーは年齢的にも私に向かっての方が言いやすいですからね。中間管理の立場です。彼らの愚痴を聞き、フィルターをかけてヘッドコーチに伝えます。
明確な指導体制を作ることは、ストレスフルではありますが、一番大事な部分でもあります。ヘッドコーチとアシスタントコーチの立場は変わりませんが、指示系統がぶれるのは良くないですからね。試行錯誤の連続です。提案したことをヘッドコーチに落とし込んで実行してもらうのがいいのか、それではタイムラグができるから良くないのか、速い展開の中でそんなことをトップレベルでやるのは適していないのではないか等々、色々話し合いました。言い争いもしましたが、根底では勝ちたい、メダルがほしいという気持ちは変わりませんから、私も言わずにはいられないわけです。
結局、ヘッドコーチに勝つためのベストの方法は何かを考えてもらいながら、それに従って形を作っていきました。すべてをつないでくれていたのは、勝つ、メダルを獲るという大義で、もしそれがなかったら難しかったと思います。チームの下馬評もメダル獲得が微妙なボーダーラインにあったので、私も、黙って合わせていくだけで自分もチームも評価されたくありませんでしたしね。
プレーヤーにストレスが溜まって、直談判でヘッドコーチとやりあっていたら、チームがバラバラになっていたと思います。これ以上彼らのストレスが抑えられないと感じた時には、キャプテンだけを連れ出したりもしました。ヘッドコーチは、ラグビー以上にマネジメントを知っていないと絶対できないものです。戦術・戦略以上にマネジメントとプランニングが必要です。そういう意味では、アシスタントコーチは自分のパートに集中できるので、よりコーチングにフォーカスできるようにも思います。
例えば、サンウルブズのヘッドコーチであるマーク・ハメット氏が、ニュージーランドのハイランダーズのアシスタントコーチになった理由も、自分のやりたいことができるから、自分のスキルを活かせるからだったそうです。中竹竜二さん(注:前回のリレーインタビュー参照)にもそう教わりました。もし自分がヘッドコーチだったらできるだろうかと考えましたし、少ない経験でトップレベルのコーチという立場に立っているのででそういう面が見えたのかもしれません。クラブチームだったらすぐに諦めるところも、逃げ出さずに何が必要かを見出さなければならなかったこと、そんな場所で仕事をさせてもらったことは、自分にとっての財産だと思います。
コーチがしっかりしており、各セクションとのリレーションシップが確かで、それぞれがリーダーシップと責任を持ってうまくつながっている、プレーヤーだけではなく組織全体が良いチームワークでまとまっているチームはいいですね。リーダーシップを軸に連携をとっていくことで、チームの全体形を作れればいいなと思います。
それから、プレーヤーとコーチの関係がある程度クリアになっていることが理想です。私の場合、上から言って実行させるよりも、実行してもらうタイプなので、お互い話し合って勝つためのベストを作る。双方の関係をクリアにしておかないと、混乱を招くので良くありません。勝負に直接関わるプレイヤーをベストな状況で送り出すために、コーチはパラリンピックなどの長い戦いで追い込まれても、立ち戻れる場所を作っておくことが大事です。
プレーヤーとのコミュニケーションでしょうか。コーチとしての経験値が高くなかったので淡々とやるしかない中、プレーヤーの経験値は高く、キャプテンがうまくチームをまとめてくれました。プレーヤー間のミーティングも何度もやってくれていましたので助けられました。彼らとコミュニケーションを密にとって、コート内で彼らが瞬間、瞬間に何を考えているかをクリアにしていくことが必要でした。ですから、彼らにとって自分は話しやすい相手だという関係を活かして、プレーヤーと良いコミュニケーションが取れたと思います。
実質、采配をふるうという面で言うと、ヘッドコーチをサポートしつつリーダー的な役割も担っていました。プレーヤーから常にプレッシャーをかけられますから、ヘッドコーチの判断が鈍っている場合は、私が前に出ることもありました。ヘッドコーチの立場を考えつつも、自分ならこうするだろうなと思ったりもしました。でもアシスタントコーチでよかったと思う瞬間もありましたよ。それは、ベストのコメントがなかなか見つからない時です。それでも時間切れでプレーヤーに何か言わなければいけない。こういう局面がヘッドコーチには求められます。迷っていても、今この瞬間にAかBか、責任を持って選び伝えなければならない、そういう時にはアシスタントコーチはいいなと思いました。同時に、いつかヘッドコーチの立場に立った時に、自分には何ができるかを考え続けていました。
いやそれは難しいです。チームはもう一つ上の結果を目指しているので、キャリアがまだまだの私ではなく、即戦力のコーチを海外から招くのではないでしょうか。スポンサーやメダルの影響は大きく、組織をより強固に、という方向にあります。
もしもロンドンパラリンピック後の2年間にちゃんとやっていれば状況は変わったのではないか、と言われることがあります。しかし私にとってあの2年間は大事な時間でした。自分をもう一度咀嚼して、次のステップに何をするべきか考えることができました。もし、なし崩し的にコーチになっていたら、コーチの魅力に気づかないまま終わっていたかもしれません。
次の体制が決まった時、私の役割がどうなるかはわかりません。リオでは銅メダルは獲れましたが、金メダルを目指す上ではまだまだ未熟で経験不足でした。でも、まだまだできることがあると思いますし、トップレベルの人につける機会があればいいなと思います。いつどこでどんな役割を担うことになるかわかりませんから、引き続き勉強しながら、東京オリンピックでは、ワンランク上の戦いができる輪の中にいたいな、と思っています。(後編につづく)
(文:河崎美代子)
後編はこちらから↓
リレーインタビュー 第7回 三阪洋行さん(後編)
ウィルチェアーラグビー日本代表アシスタントコーチ。
ウィルチェアーラグビーチームBLAST(千葉)所属。 高校生の時ラグビーの事故で頸髄を損傷し車椅子生活に。 ウィルチェアーラグビーと出会い、日本代表として3 大会連続でパラリンピック出場。昨年より日本代表アシスタントコーチに就任。先日行われたリオパラリンピックでは銅メダル獲得に貢献。自身の経験を生かし、障害者への認識・理解 を上げる活動に取り組んでいる。
【略歴】
・1981 年 大阪府東大阪市に生まれ。
・布施工業高校ラグビー部3年生の時に、練習中の事故で頸椎を損傷し車いす生活になる。 ニュージーランドに 4 カ月ラグビー留学。
・2003 年 ウィルチェアーラグビー日本代表に初選出
・2004 年 アテネパラリンピックに日本代表として出場
・2006 年 カンタベリーに所属しニュージーランドリーグに参戦
・2008 年 北京パラリンピックに日本代表副将として出場
・2010 年 サウスオーストラリア・シャークスに所属しオーストラリアリーグに参戦
・2011 年 バークレイズ証券入社
・2012 年 ロンドンパラリンピックに日本代表副将として出場
・2015 年 日本代表アシスタントコーチに就任
・2016年 リオパラリンピックにアシスタントコーチとして参加し銅メダル獲得に貢献