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リレーインタビュー第56回 杉本美香さん(前編)

「コーチ道リレーインタビュー」では、指導者の先達である方々、指導者として現在ご活躍の方々のインタビューをリレー形式でご紹介しています。今回のインタビューは、柔道家の杉本美香さんです。

杉本さんは2010年の世界選手権78kg超級・無差別級で金メダル、2012年ロンドンオリンピック78kg超級で銀メダルを獲得、世界を舞台に活躍してきました。引退後はコマツ女子柔道部のコーチ・監督を務め、現在は子どもたちの指導に当たる他、様々な方面でチャレンジを続けています。

明るい笑顔が魅力的な杉本さんですが、現役時代は度重なる大怪我や挫折を経験して来ました。杉本さんにとっての「怪我」とは。心から愛する柔道を通して子どもたちに何を伝えていきたいか。杉本さんのお話を3回にわたってご紹介します。

(2024年8月 インタビュアー:松場俊夫)

▷ 引退後すぐに指導者になったきっかけは何だったのですか?

自分の意思というよりも流れに乗ってしまった感じです。私は関西人ということもあって、場の雰囲気を和ませるのが得意で、もともと空気を読むというか、ちょっとした変化に気づくタイプなのです。「この選手、普段と何か違う感じがする」とか。そうした「見抜く力」を持っているところが、指導者と選手との間に入ってコミュニケーションを取る役として必要だったのかもしれません。

▷ そうした「察する力」「場を和ます力」は指導者になった時にどのように役立ちましたか?

良い部分と良くない部分、両方ありました。良くない部分は、気付き過ぎることで私自身がキャパオーバーしてしまったことで、問題解決に意識がいってしまい強化という本来の業務に支障をきたしたことです。ですが、それらが全てネガティブ経験になったわけではなく、関わり方を学びました。問題解決ではなく軌道修正をしながら導く方法、気付いていることを気付かないふりをすることも一つの方法だということを知りました。

良い部分は、早めに気付いて声をかけることで事前に怪我を防ぐことができたり、雰囲気を変えることができた点です。失敗や他人の言動が気になっていると集中力も低下してしまい、競技力向上の妨げになる可能性があったため、声掛けのタイミングも意識することができました。「気づくことのできる力」を取得できたことは誇りに思っています。

▷ コマツ在籍中、筑波大学大学院に行こうと思ったきっかけは何でしたか?

私は自分の体験談だけで指導をしたくなかったのです。海外では指導者がとても勉強しています。それらを見習って私は、大学院に行って今後の人生に活かせることを学びたいという気持ちになり、まず行動してみようと思いました。2013年にコーチを始めて、2014年に大学院に入りました。

私が入ったのはまだできたばかりの学科で、トップの指導者を目指す人たちが集まっていました。そこでたくさんの知識を得ましたが、それ以上に出会いが一番の宝物でした。卒業した今はなかなか交流がありませんが、連絡を取るとすぐに色々な話ができます。あの年に入学して本当に良かったです。修士課程を学ぶ場所として選んだのも、母校ですし、とても濃い2年間でした。

▷ 指導を学ぶ一方で、選手としての経験が最も活きたと思ったのは何でしたか?

選手の怪我のケアですね。私は全身怪我を経験しているので、身体の痛みがある部位は全身どこでもテーピングを巻くことができます。柔道の動きは独特なので試行錯誤しながら、選手の体型や動き、柔道スタイルを考えながらテープを巻くことができました。痛みへの対処、声かけもしました。私の場合は「やらない勇気」がなかったために怪我が続いてしまったので、その話をしながら選手たちには稽古を休ませることや練習強度を下げる選択肢も与えることがありました。実際に経験した者の言葉は選手も聞いてくれました。現役中は怪我をするたびに「なんで私ばっかり」と思っていましたが、今では怪我に感謝していますよ。

▷ 指導する中で、一番大切にしていたことは何でしたか?

コーチという立場はどちらかというと選手よりですが、大事なことを監督に伝えるという役割があります。選手から聞いたことをそのまま伝えて監督の気分を害したりしないように、その場に相応しい言葉遣いや組み立て方を工夫していました。選手よりでありながら、監督には「任せてください」と。それが私の役目だと思っていました。

でも監督になると立場が全く違い、覚悟、孤独、決断疲れ、その連続ですが、自分としては監督を経験させていただいたことは良かったと思っています。監督の時、一番大事にしていたのは選手への言葉掛けでした。監督業務はやることがたくさんあって頭がいっぱいになってしまうので、コミュニケーションを取ることを意識しておく必要がありました。

選手は皆それぞれタイプも違いますから、コミュニケーションの方法は様々でした。年齢の幅も広かったので、2を話して10理解する子もいれば、10を話して3だけ理解する子もいました。こちらもついイラッとしてしまうので、自分をどのようにコントロールするか、そうならないためにはどうすればいいかを考えたところ、伝え方のスキルを学ぶ必要がありました。きちんと言語化して確認作業を行うことで、お互い円滑に物事が進むようにコミュニケーションを工夫することを心掛けました。

▷ 競技以外の点で選手たちに意識して伝えていたことはありますか?

よく言っていたのは「人に求められる人になりなさい」ということです。選手時代は長い人生の中のほんの限られた一部で、その時は褒めてもらえていても、選手を引退するとまわりの反応も変わるわけです。そうなった時に傷つかないようにという気持ちもありましたし、誰かが「この案件どうしようか」と考えた時に「あ、あの人!」と思い出してもらえるような、人に求められるような生き方をしてほしかったのです。私の親も自分より他人のためにという生き方をしていて、私はそれを子どもの頃から見て育ちました。調子に乗ると怒られましたし、小学生の頃から「天狗になるな、謙虚であれ」とよく言われていました。なので、これからの私の人生も求めてもらえるように日々精進しつつ、きっかけを与えられるような人にもなりたいです。

▷ 「きっかけを与えられるような人」というのはどんな人ですか?

以前、私が指導に行った柔道教室に柔道経験のない子が来ていたのですが、その子はそれをきっかけに柔道を始め、先日、全国大会に出場したのです。何がきっかけになるかわからないですよね。柔道を始めてくれるきっかけだけではなく、例えば「このタイミングでこれを言われたことでこういう道に進めた」というきっかけを作れるような人でもありたいです。私は柔道が大好きですが、必ずしも柔道でなくてはならないという考えではないです。「杉本さんに言われたから」でなくても良いのです。見返りは全然いらないので、その人が目指す道に一歩でも進むことができたのなら、大きな拍手を送りたいです。

▷ ご自身の体験の中で、そういうきっかけはありましたか?

誰と出会うか、誰に声をかけてもらえるか。その時々できっかけというものはあると思うのですが、私は怪我したことで出会う人々も変わりましたし、かけてもらえる言葉も変わりました。私の柔道人生にとってはやはり怪我が大きいですね。何かを知らせてくれたものでもあります。でもそれは引退した後に振り返ってみて気づいたことです。

私は柔道ノートとかを書くのが嫌いなのですが、人が言ってくれたことのノートは作っています。「響いたな」と思った言葉や、尊敬している人が言っていた言葉を書き留めたり、もらった手紙を貼ったりもしています。後で見返してみて「あの時あの決断をして良かったな」と、後になって正解を見つけることができます。

印象に残っているのは、親の「もうやめていいんだよ」という言葉です。社会人になってから何度目かの手術の時に親に言われたのですが、負けず嫌いの私は「なにくそ!」と思いました。私の性格を理解して奮い立たせるために親は言ったのかもしれないし、本当にやめて欲しかったのかもしれないし、本心はわかりません。でも引退した時に「これでやっと落ち着ける」と言われて、親も一緒に戦ってくれていたんだなと思いました。もし自分の子供が怪我をしたら耐えられませんよ。私の親はすごかったと思います。(中編に続く)

(文:河崎美代子)

中編はこちらから↓
https://coach-do.com/interview/56-2/

後編はこちらから↓
https://coach-do.com/interview/56-3/

◎杉本美香さんプロフィール

柔道家

段位:六段

1984年8月27日 兵庫県伊丹市生まれ

2004年3月 大阪市立汎愛高校(日本で一つしかない武道科)卒業

2007年3月 筑波大学(体育専門学群)卒業

2007年4月 コマツ入社

2016年3月 筑波大学大学院(人間総合科学研究科体育学専攻ナショナルリーディングコーチ養成プログラム)修士課程修了

2019年9月〜2022年3月 コマツ女子柔道部監督

<主な戦績>

2008年 世界無差別選手権 銅メダル

2010年 東京世界選手権78kg超級・無差別級 金メダル

2011年 皇后杯全日本女子柔道選手権 優勝

2011年 パリ世界選手権 銅メダル

2011年 世界無差別選手権 銅メダル

2012年 ロンドンオリンピック 78kg超級 銀メダル

現役時代は度重なる大怪我に悩まされたが、2010年の東京世界選手権で二階級制覇を達成。2012年にはロンドン五輪に出場し銀メダルを獲得。

現役を引退後は、テレビ・イベントへの出演や、全国各地で柔道教室を行い、普及活動にも取り組んでいる。

*公式サイト:https://www.instagram.com/mika__sugimoto/