リレーインタビュー 第7回 三阪洋行さん(前編)

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「コーチ道リレーインタビュー」では、指導者の先達である方々のインタビューをリレー形式でご紹介しています。今回、中竹竜二さんからバトンを引き継いだのは、日本ウィルチェアーラグビー連盟強化副部長を務める三阪洋行さんです。

 

リオデジャネイロパラリンピックで、ウィルチェアーラグビーは初の銅メダルに輝きました。三阪さんはアシスタントコーチとしてメダル獲得に貢献、2020年の東京パラリンピックに向けて、多忙な日々を過ごしていらっしゃいます。

 

三阪さんがコーチとして学び続けてきたこと、目指しているもの、そして将来に向けての意気込みを、前・中・後編の3回にわたってご紹介していきます。 (2016年11月 インタビュアー:松場俊夫、河崎美代子)

 

 

◎リオ・デ・ジャネイロパラリンピックでは銅メダルおめでとうございます!メダル獲得でまわりの環境は変わりましたか?

 

変わりました。メダルを取るか否かで、まわりの対応や反応は驚くほど違います。メディアの影響は大きいですよ。私自身、「銅メダル獲得」をニュース速報で見て感動しました。

スポンサーも増えました。かつては全然興味を持たれませんでしたが、2010年のカナダでの世界選手権で初めて3位になった時から変わってきました。国の強化競技になり、年間の割り当て費用も増え、遠征や強化合宿ができるようになったことは大きいです。

 

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◎中竹さんからの質問ですが、コーチとして喜びを感じるのはどのような時ですか?

 

指導の経験が少なく、コーチとして未熟でしたし、年齢もプレーヤーと同世代、または私の方が年下でしたので苦労しました。プレーヤー時代の延長で話をしていたところもありますし、信頼を得るまでに時間がかかりました。自分の考え方をプレーヤーに伝えるのに四苦八苦しましたよ。でも、少しずつですが自分が伝えた提案がプレイに影響を与えるようになっていきました。そのうち、プレーヤーの方から尋ねられるようになって。試合中、うまくいってない局面で具体的な修正ポイントを提案、実行し、変化が生じたことをプレーヤーが気づいてくれた時に、 自分の成長を実感しました。自分のしたことが勝利につながり、プレーヤーの信頼を得る時、積み重ねが実った時が一番の喜び、まさにコーチ冥利に尽きる瞬間ですね。ただ、ウィルチェアーラグビーはバスケットボールの要素が強く、コーチの介入が多い競技なので、喜んでいる暇があまりないのも現実です。

 

 

◎そもそもコーチになったきっかけは何ですか?

 

ロンドンパラリンピックはコンディショニング面でうまくいかなかったこともあって、プレーヤーとしてコートに立てなかったのです。多分これが最後になるな、と思いました。ベンチにいる時間が長くなったので、サポートをしてほしいと言われましたが、まだ自分はプレーヤーだという気持ちが強かったので何をしていいかわからないまま、ただ思ったことを指示するだけで、何もできなくて。コーチの難しさを痛感しました。あの早い展開の中で、自分の選択で勝ち負けを左右させる様を目の当たりにして、自分はコーチには向いていない、自分にはできないと思いました。いきなりトップレベルのことをさせられましたからね。

結局、ロンドンがプレーヤーとしての自分の最後のパラリンピックだと思い、一線から離れました。強化の方からも距離をおいていたのですが、その間にカナダのアダム・フロスト氏がコーチに就任したのです。同世代のプレーヤーがまだチームに残って頑張っていましたから、時々のぞきに行っていたのですが、雰囲気をみてチームが生まれ変わろうとしているのがわかりました。フロストコーチからも連盟からも指導を手伝ってほしい、コーチングをやりなさい、と言われたので、まず強化育成選手の指導から始めました。

面食らいましたよ。改めて難しいと思いました。自分ではできても、人に伝えて実行させるのは本当に難しい。でも、どうすればいいか、いろいろ考えて発言したことをプレーヤーが実行し、それがうまくいった時、しっくり来るようになりました。若いプレーヤーは吸収もいいので、変化が出る瞬間を見る楽しさを知りました。それが芽生えでした。若い世代はまだ知識も少ないので、こちらがどんどん発言することで彼らのベースができていく。責任を感じながらもコーチングが楽しくなりました。

そんな立場で2年過ごした後、2014年のジャパンパラリンピックでテストマッチがあり、控えと若手で構成するBチームのコーチを「僕がやりますよ」という軽いノリで引き受けました。責任はありますが、プレーヤーの特徴や組み合わせ、それぞれのプレーヤーのモチベーションを考えたり、最初のミーティングで何を話そうか、などと準備を始めたら、その時間がすごく楽しかったのです。

そこで決断したのはまずチームのふわふわした上下の関係を「締める」ことからでした。目標設定をし3つのキーワードを決めたら、3日間でチームはぎゅっと締まりました。最初はベンチから出る声もバラバラでしたが、最終戦ではみな同じキーワードを言うようになって。チームの雰囲気がよくなり、格上のチームにも勝てるかもしれないという気持ちが出てきて、Aチームからもいいチームになったねと言われました。シンプルに徹したのがよかったのだと思いますが、最初にそういう経験ができて良かったです。初めのゲームでベンチに入った時、プレーヤーの時と見え方がまったく違うので多少不安はありましたが、結果、冷静でいられましたし、自分にもできるかもしれないという自信と楽しさが凝縮した大会でした。最下位だろうと言われていましたが、カナダBに勝てて結果は3位です。その成果を評価してもらえて、翌年体制を変える時に今の荻野ヘッドコーチからアシスタントコーチの打診をもらい、そこがコーチとしての正式なスタートになりました。

 

 

◎その時の目標設定、3つのキーワードについて教えていただけますか?

 

目標はとてもシンプルです。4チームでは最下位といわれていたので、3位を確保しながらカナダA、日本Aのどちらかには勝つぞ、と。日本同士でファイナルをやってもいいという思いでやってほしい、ここまで来たらだらだらするなと言いました。

キーワードは、コンテインディフェンス(注:相手のオフェンスからある程度離れて、ゴールとオフェンスの間で守る)を継続することと、スクリーンパス(ボール出しの際に用いるセットプレー)を作るよう徹底すること、とにかくトランジションスピード(注:オフェンスとディフェンスの入れ替わりの速さ)を上げること、この3つだけです。

ジャパンパラリンピックの後は、コーチ経験も少なく、基準がわからなかったので、あらゆるコネクションを辿ってたくさんの良いコーチに会いました。清宮(克幸)さんにもお会いしましたよ。「ヤマハ(発動機ジュビロ)のシーズンキックオフミーティングに来い」と言われて。大変なオーラの中で小さくなって話を聞きましたよ。否定するのではなくて肯定してから上乗せすること、言葉の羅列の中から本当に伝えたいことは何か、絞りに絞って3つだけにすること。これはいまでも肝に銘じています。キックオフミーティングはずっと見せてもらいましたがとても面白かったです。早稲田大学監督就任時の話ですが清宮さんはあまり歓迎されていない状況で監督を始められたので、ネガティブなことを言わせない意味でもファーストミーティングが非常に大事だとおっしゃっていましたね。

 

 

◎コーチとしてのスタイルは変わってきましたか?

 

エディ・ジョーンズ氏の話を聞きに行ったりして様々なものを集約しながら、この競技に向いているものは何なのだろうと考えました。私たちは健常者とは異なりますし、大会に入ってからも、例えば、3日間の間に立て続けに試合があったりします。ですから、一番意識してテーマにしたのは「準備」でした。まずフレームを立ててから映像で情報を取り、絞り込んでいくという準備をした上で、プレゼンテーションで落としていきます。自信がないところはプレゼンテーション能力を養って切り抜けます。プレゼンテーションスキルはこの1年でだいぶ良くなったと思います。

 

 

◎プレゼンテーションスキルはどのようにトレーニングしたのですか?

 

色々なコーチにプレゼンテーションに必要な話を聞いたり、実際に自分のプレゼンテーションを聞いてもらいレビューしてもらったりして、ポイントを教わりました。講演もして、そのフィードバックももらいました。中竹竜二さん(注:前回のリレーインタビュー参照)にはパラリンピックの後半に非常にお世話になりました。中竹さんが主催している若手コーチの研修合宿にも呼んでもらいました。3日間缶詰になって、質問もたくさんしましたし、面白い話を伺ってたくさんのことを学びました。例えば、戦術や戦略が多少詰まってなくても、プレゼンテーションで形にする技術も大切だということ、言葉でコントロールする必要性などです。プレーヤーが同世代なので明確な戦術をうまく選んであげたいという思いがあるのですが、それにはプレゼンテーションスキルと言葉のスキルの組み合わせが必要なのです。そのスキルを上げようと思い、見せ方よりも伝え方を意識するようにしました。理論的で明確な話にも「なぜならば」をつけることで、耳を傾けてくれる時間が長くなりましたし。こちらの意思が伝わるとプレーヤーからの信頼度が上がり、信頼されると自信がついてきます。(中編につづく)
(文:河崎美代子)

 

 

【三阪洋行さん プロフィール】

 

ウィルチェアーラグビー日本代表アシスタントコーチ。

 

ウィルチェアーラグビーチームBLAST(千葉)所属。 高校生の時ラグビーの事故で頸髄を損傷し車椅子生活に。 ウィルチェアーラグビーと出会い、日本代表として3 大会連続でパラリンピック出場。昨年より日本代表アシスタントコーチに就任。先日行われたリオパラリンピックでは銅メダル獲得に貢献。自身の経験を生かし、障害者への認識・理解 を上げる活動に取り組んでいる。

 

【略歴】

・1981 年 大阪府東大阪市に生まれる。

・布施工業高校ラグビー部3年生の時に、練習中の事故で頸椎を損傷し車いす生活になる。 ニュージーランドに 4 カ月ラグビー留学。

・2003 年 ウィルチェアーラグビー日本代表に初選出

・2004 年 アテネパラリンピックに日本代表として出場

・2006 年 カンタベリーに所属しニュージーランドリーグに参戦

・2008 年 北京パラリンピックに日本代表副将として出場

・2010 年 サウスオーストラリア・シャークスに所属しオーストラリアリーグに参戦

・2011 年 バークレイズ証券入社

・2012 年 ロンドンパラリンピックに日本代表副将として出場

・2015 年 日本代表アシスタントコーチに就任

・2016年 リオパラリンピックにアシスタントコーチとして参加し銅メダル獲得に貢献

 

☆日本ウィルチェアーラグビー連盟 公式サイト

http://jwrugby.com/

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